メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

上流社会

2016-12-25 14:51:31 | 映画
上流社会(High Society、1956米、112分)
監督:チャールズ・ウォルターズ、原作:フィリップ・バリー、脚本:ジョン・パトリック、音楽:コール・ポーター
ビング・クロスビー(デクスター)、グレース・ケリー(トレイシー)、フランク・シナトラ(マイク・コナー)、セレステ・ホルム(イムブリー)、ジョン・ランド(ジョージ)、リンダ・リード(キャロライン)、ルイ・アームストロング
 
最初に見たのは確か1960年代後半に渋谷の東急名画座(旧東急文化会館内)でだったと思う。なぜ見てみる気になったかと言えば、先日ジャズの発表会で歌ったJust one of those things の楽譜(米国で出ているシナトラ・レパートリー曲集中)でタイトルの下にHigh Societyとあり、映画にシナトラが出ているから、ひょっとしてそこで歌っているのかなと思った次第。どうも歌ってはいないとわかったので、DVDを入手して映画を見直すのはあとになった。
 
これが有名な「フィラデルフィア物語」(1940)のミュージカル版ということは、後者を見るまで知らなかった。どっちもオールスターキャストで、映画としてうるさく見る人からはフィラデルフィア物語の方が評価されるだろう。演劇の役者としては達者なひとたちだし。
 
そう思って今回みたけれど、まあそううるさいこと言わなくてもいい話ではないかとも思った。そもそも扱っているのは、成り上がりのブルジョア、スノッブたち、それのゴシップ雑誌記者たちの世界で、このきれいなカラー画面(本当にきれいである)の中の虚飾は、それなりに自己批評になっている(褒めすぎか?)。
 
若くしてデクスター(クロスビー)と結婚したが、うまくいかず別れたトレーシーがジョージ(ジョン・ランド)と結婚する前日の話で、未練があるデクスターは近所に住んでおり、いろいろ仕掛けてくる。そしてゴシップ記者のマイク(シナトラ)がカメラ担当の女性と入ってきて、デクスター、トレーシー、ジョージ、マイクの間でややこしい騒動がおこり、最後は予定調和というか、まあ予想された結末になる。
 
コール・ポーターの曲がもう少し多くてもいいのだが、そこはクロスビー、シナトラ、そして歌でひっぱり込まれたグレース・ケリーもまずまず可愛く歌う。
そのグレース・ケリーにとってはモナコ王妃になる直前の引退映画のようなもの。「真昼の決闘」とこれくらいしか記憶にないが、このあたりで引退というのもいいタイミングだったと思う。この映画でもエレガントといえばそうだが、細すぎてセクシーさはない。
 
デクスターが今回の結婚祝いにと送った自身の新婚旅行の思い出のヨットの模型を送る(なんともずうずうしい)、これをプールに浮かべて有名なTrue Love を歌うシーンは、なぜか何十年をこえて覚えていた。
 
シナトラが最初にちょっかいを出すシーンの歌いだしはほろぼれするほどきざで見事。
 
トレーシーがちょっとやけを起こしてマイクを誘い、屋敷から車で走り出る。このときけたたましい音をたてて飛ばすのはメルセデスのロードスターで、今から思えばグレース・ケリーの最後と符号しているようで、気の毒になった。

シナトラは、この明るくて、ちょっとインチキくさい役柄が、うまくあっている。この人の歌のよさはこれが出来るところがベースにあると思う。
 
さて、デクスターは作曲家で、この舞台となっているニューポートで予定されている催しに来るルイ・アームストロングを結婚パーティに呼んでいる。これも映画としては見世物で、サッチモがサッチモとして(as himself)出ているわけである。1956年時点で、もう彼は他の登場人物全部が白人という中で破格の扱いだった。ジャズ・プレーヤーという限定はあったにしても。
 
トレーシーから少し歳のはなれた妹キャロラインは、いまでもデクスターが好きでジョージが嫌い、いろんなはねっかえりを見せる。アメリカ映画ではよく出てくるキャラクターだが、この子なかなかうまい。
 
ところで、この映画のあと、ブロードウェイ版のミュージカルもあったらしく、最近でもそれがロンドンで上演され、あのケヴィン・スペイシーが出ていたようだ。あの「ビヨンドtheシー夢見るように歌えば」(2004)を見ているから、彼なら歌もうまいし、映像があれば見てみたい。


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