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大森町界隈あれこれ 昭和戦後史 第1編 太平洋戦争の終結 第4回

2007年03月13日 | 大森町界隈あれこれ 戦後史
kan-haru blog 2007

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墨塗り教科書
疎開から戻り東京での戦後の授業は、終戦により混乱を極めておりました。
1945年(昭和20年)8月の終戦でわが国の教育は転換をせまられ、教科書について大きく変革を求められ、9月20日に文部省は「終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ関スル件」の次官通牒をだし、国定五期教科書の戦時色の濃い教材の全部あるいは部分的修正削除を指示しました。これにより「墨ぬり」や「切り取り」が実施されました。先ず、この文部次官通牒は、10月2日連合国軍最高指令官総司令部による指令「日本教育制度ニ対スル管理政策」以前のもので、文部省が独自の判断で自主的に行ったものでした。

国民学校の教科書は「国体の本義」「臣民の道」を基調にして日本民族の優秀性を誇示し、国家主義・軍国主義を強くだして戦意の高揚を図っていた。米国政府は日本の教科書を「軍国主義・国家主義的観念を執拗に織り込んで生徒に課し、このような観念を生徒に植え込むのもの」とし、12月31日に内容のひどい修身・国史・地理の回収を指示しました。これにより、文部省は1946.年1月11日に修身・国史・地理の授業停止を命ずることの指令を発し、2月から教科書の回収がはじまりました。
しかし、それらの教科書を急に切りかえることは至難であったので、軍国色の強い個所はこれまで教えてきた教師が指示して、教えをうけた児童が自分の手で墨を塗るという作業が進められました。

教科書の墨塗りは、担任の先生は習字道具を出して墨を塗るように指示して、『国語の教科書を出しなさい、進駐軍の命令で今使っている本の中で戦争のことが書いてある部分を消すから、先生の言う所に墨をぬって読めないようにしなさい』というようなことを言って、今まで絶対に正しいと信じ、落書きもしなかった教科書を墨で塗りつぶした時代があったのです。


若山武義氏の戦後史手記(1946年記述) マッカーサーの進駐 第4回
戦意昂揚の宣伝標語
勝った勝ったで有頂天であったし、負けても撤收、玉砕である、最後は必ず勝つのであるから、我一人位怠けた処で戦局にさしさわりあるまいと思いもした。それについても、戦争中アメリカの散布した軍民離間、戦意喪失の宣伝ビラと、我が方の戦意昂揚の為の街頭宣伝ビラを茲にひろって見よう。

近衛さんの新体制運動華かなりし頃の
  大政翼賛 臣道実践
はたしかに当時の人心にピッタしでうけ、全国を風靡したものである。林さんの
  滅私奉公
これも林さんの人柄らしい申分であるが、御題目と云うだけに何の迫力もない。又平沼さんの逃げ口上、所轄「複雑怪奇」は平沼さんの性格其のままである。
戦争中は新語制作に寧日なしであったが、二、三記憶に残るもののうちから
  撃ちてし止まん
神武天皇の御製から持って来ただけ、全国に一番流行したであろう。応召の際の日の丸に第一に書いたものである。全くこれ以上のものはなかった。あとは無駄で必要なしだった。

それから後は平凡駄作「一億一心」、「一億総体当り」。
議会の開院式の敬語に、「憤激を新たにし」と仰せ給うたので、すぐ「一億総憤激総厥起運動」となった。国民精神総動員なんかの空念仏よりは、敬語から来ただけに「ピリッ」とした。それは今迄憤激が足りず、敵がい心がたしかに足りなかった。
  もう一機、もう一艦
いよいよ苦しくなって来て、我々国民が怠けてるような御叱りである。一機や一艦で、戦勢を牛を馬に乗り換えるようになまやさしいものとは誰れしも思わん。最後の勝は本土決戦の秋と思うて居たからである。
  何が何でもやりぬくぞ
に至っては、何人の傑作か知らんが。ない、ない、ない盡しの物資不足の時に街頭に仰々しくペタペタ張り出されたが、やりぬきたい人だけやりぬけよと、口には出さぬが、馬鹿馬鹿しさに腹も立たない。殊に学童の懸賞に
  欲しがりません、勝つまでは  
に至っては、敗戦の今日惨めとして云う言葉もない。こう云う標語の濫発で、戦意が昂揚され、生産が能率を挙げると御思召し遊ばされたのであろうか、御伺い申上げたい処である。

これ等に対しアメリカはただ一語
  真珠湾をわすれるな
の一本槍で、開戦から終戦まで、ただこれだけでアメリカ全国民が結束し、全世界に武器、弾薬を供給し、我が国に撃沈撃破されても、より以上倍以上補給充足、遂に我が国を屈伏せしめたのである。

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1 コメント

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こんにちは (税金対策本部)
2007-03-18 19:41:58
はじめまして

突然のコメント失礼致します。

私のサイトで、こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/taxinfo/archives/53262251.html
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