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風景・風物詩 旧東海道品川宿 タイムスリップまち歩き北品川宿(その3)

2007年07月07日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2007

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法善寺
品海公園(地図案内図参照)から旧東海道を下ると直ぐ法善寺の参道で、参道を進むと法善寺正門脇に「品川小学校発祥之地」の石碑が建っています。
品川区で一番古い小学校の「 品川小学校」は、1874年(明治7年)に法禅寺で、それまでの私塾を引き継ぐ形で開かれました。 開校当時の名前は「第二中学区第六番小学品川学校」でした。

     法善寺正門      品川小学校発祥の石碑     法善寺本堂

法善寺(品川区北品川2-2-14)は、1384年の開創と云われ、本堂の等身大の本尊「阿弥陀如来坐像」は1705年(宝永2年)の安阿弥末流大仏師、大部の作であり、造高29センチの「法然上人坐像」は、室町時代から鎌倉時代の作者不明の像で品川区指定有形文化財です。

また、文化財の縦180、横157.5センチの釈迦誕生の絵「紙本着色釈尊誕生変相図」は神田宗庭貞信(1765~1800)の作で、神江戸期を通じ上野寛永寺の絵画役を務めた絵所で、貞信はその七世です。縦228.5、横127.5センチの「紙本着色地獄変相図」は、地獄での亡者の様相と阿弥陀如来の救済の情景を描いた絵で、品川宿で旅籠屋を営んでいた田村屋清七の筆になるもので、1828年(文政11年)に寄進されたもので品川区指定有形文化財です。
本堂の右には、結婚50周年を記念に奉納の布袋尊の石像(トップ写真)が鎮座してます。

・流民叢塚碑
1838年(天保4年)の天保大飢饉では多くの餓死者を出し、品川宿には農村などから流浪してくる者が多く、病や飢餓でたおれる人を法禅寺と海蔵寺に葬られました。
「流民叢塚碑」は、なくなった人たちを祀る供養塔であり、初めは円墳状の塚で、1871年(明治4年)に塚の上に、流民叢塚碑が立てられました。1934年(昭和9年)の境内整備の折、コンクリート製の納骨堂が建てられ、その上に碑が置かれました。

   流民叢塚碑説明板     流民叢塚碑     法善寺板碑説明板      古石仏

・法禅寺板碑(付 法禅寺遺墳碑)
板碑は、鎌倉時代から戦国時代にかけて造られた石造の供養塔で、関東を中心に広く分布しております。品川台場の築造の折りに、品川御殿山から宝篋印塔・五輪塔とともに出土したものの一部で、破片を含めて総数121基あります。
遺墳碑はその時の由来を記しており、最も古い板碑は1308年(徳治3年)で、最も新しいのは1490年(延徳2年)の銘が確認されています。

  法善寺末社         杉森稲荷鳥居     杉森稲荷社        

・大イチョウ
本堂の左手に品川区指定天然記念物の幹囲り3.4m、高さ25mで、推定樹齢400年の雌樹の大イチョウがあります。

    法善寺とイチョウ     樹齢400のイチョウ    法善寺のイチョウ説明板  

溜屋横丁と丸屋
溜屋横町は、法禅寺の斜め前から海岸へ出る横町で、利田新地へ渡る鳥海橋(後の品海橋)に海岸線で通じる横町です。

    溜屋横町説明板         丸屋丸屋履物店

溜屋横町から約100mくらいの旧東海道の右側に、大変歴史が古い丸屋履物店があります。
趣味の履物の丸屋(品川区北品川2-3-7)は、1865年(慶応元年)からの老舗で、現在のお店の建物は何時ごろ建てたのかは分からないほど古く、下駄や草履などの和物の履物を売っております。一人がやっと通れる路地を挟んだ隣のお店も、丸屋に劣らず大変古い建物のお店で、北品川の旧東海道沿いには古い建物のお店がかなり見かけられ、昔の感触が味わえます。

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