hiyamizu's blog

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米原万里『偉くない「私」が一番自由』を読む

2017年02月21日 | 読書2

 

 米原万里著、佐藤優編『偉くない「私」が一番自由』(文春文庫よ21-7、2016年4月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

 裏表紙にはこうある。

ロシア語会議通訳、作家、エッセイストとして活躍した米原万里の作品を、激動のロシアで親交を結んだ盟友・佐藤優がよりぬいた傑作選。メインディッシュは、初公開の東京外語大学卒業論文、詩人ネクラーソフの生涯。ロシア、食、言葉をめぐる傑作エッセイ、単行本未収録作品などをロシア料理のフルコースに見立て、佐藤シェフの解説付きで紹介する。

 

 

 冒頭の「シェフからのおすすめ」で佐藤優はこう書いている。

米原さんが亡くなる四カ月くらい前のことだったと記憶している。・・・私は鎌倉の米原邸を訪ねた。米原さんは、だいぶ時間をかけて二階の寝室から一階の応接間に杖をつきながら降りてきた。

「杖をつくような状態になっちゃったのよ。それにしても、ガンは痛くて苦しい。今までみんなによくしてもらったし、もう向こう側に行ってもいいと思うのよ。生きていて本当に良かった。みんなに感謝しているのよ」

 米原さんは、笑みを浮かべながらこう言っていた。

 

 この本は、佐藤さんが”外務省のラスプーチン”などと四面楚歌で叩かれていたときに、佐藤さんを作家への道に導いてくれた米原さんへのオマージュ(賛辞)だ。

 

 小3でプラハへ移り、中2で日本に戻った米原さんは、日本的平等主義の教育にショックを受ける。

プラハのソビエト学校の学友たちにも、劣等感という感情、人の才能とか能力に対するねたみとかひがみみたいのがなかった。・・・根底には自分と他人はもともと全く違って当然という思考習慣が横たわっているように思う。

 

 本の題名の由来は、詩人ネクラーソフを紹介したあとで、米原さんはこう語っている。

 どこからも文句の来ない、一方的で閉じられた神の言葉であり続けようとする限り、一定の集団を代表する言葉である限り、言葉は不自由極まりないままなのである。偉くない「私」、一個人に過ぎない「私」の言葉が一番自由なのだ。

そんなことを、たとえばNHKのキャスターの、あるいは大新聞の論説の、退屈で生気の無い言葉を耳や目にする度に思ってしまうこの頃である

 

ドゥマゴ文学賞に米原さんの「オリガ・モリゾヴナの反語法」を選んだ池澤夏樹さんとの対談が面白い。

 

初出:2001年6月角川書店より刊行

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

部分的には★★★★(四つ星)なのだが、冗長な部分が多く、★★★(三つ星)とする。

米原さんの外語大の卒論「ニコライ・・・ネクラーソフの生涯」が原文のまま100ページ以上掲載されているが、私にとっては退屈で、そのままパスした。

 

 

佐藤優(さとう・まさる)
1960年生まれ。作家・元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了。

米原万里とは外務省時代にロシアで知り合う。

主な著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞)、『交渉術』など。

 

 

米原万里(よねはら・まり)
1950年東京生まれ。父親は共産党幹部の米原昶。少女時代(59~64年)、プラハのソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学ロシア語学科卒業、東京大学大学院露語露文学修士課程修了。
ロシア語の会議同時通訳を20年、約4千の会議に立会う。
著書に、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』(読売文学賞)、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『オリガ・モリソヴナの反語法』(Bunkamuraドゥマゴ文学賞)、『米原万里の「愛の法則」』、『マイナス50℃の世界』『ガセネッタ&シモネッタ』、本書『偉くない「私」が一番自由』
2006年5月ガンで歿。

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