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加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読む

2017年06月15日 | 読書2

 

加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫か-77-1、2016年7月1日発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

膨大な犠牲と反省を重ねながら、明治以来、四つの対外戦争を戦った日本。指導者、軍人、官僚、そして一般市民はそれぞれに国家の未来を思い、なお参戦やむなしの判断を下した。その論理を支えたものは何だったのか。鋭い質疑応答と縦横無尽に繰り出す史料が行き交う中高生への5日間の集中講義を通して、過去の戦争を現実の緊張感のなかで生き、考える日本近現代史。小林秀雄賞受賞。

 

 初出:2009年朝日出版社より刊行。

2007年の年末から翌年のお正月にかけて五日間にわたって、私立・栄光学園で行った講義をもとに構成した。

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

 

 正直、読みやすい本ではなく、文庫本とはいえ約500ページと大部だ。

 

 なんであんな馬鹿な戦争を始めたんだ。まけるに決まってるじゃん。国民がだまされたのは分かるが、国の指導者は何考えてたんだ。300万人も死なせて、当然死刑だ、と私は思っていた。

 

 日清、日露、日中戦争への流れを概観すると、あきらかに無謀な太平洋戦争と進んでいく雰囲気は理解できた。

 アメリカの底力は圧倒的だったが、当時のアメリカ軍備は桁外れではなく、日独伊の合計では英米に勝っていた項目もあった。しかし、それでも国の指導者たる者たちは、冷静に世界を見渡す頭脳を持ち、初戦に勝った後のことをしっかり考えるべきだった。

 

 各国の外交交渉の、権謀術数、丁々発止なやりとりが面白い。

 

 

加藤陽子(かとう・ようこ)

1960(昭和35)年埼玉県生れ。桜陰高校から東京大学文学部へ。東京大学大学院博士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科教授。

専攻は日本近現代史、なかでも1930年代の外交と軍事。

「安倍政権を特に危険だ」とみなしている。

著書に『模索する一九三〇年代』『満州事変から日中戦争へ』『昭和史裁判』(半藤一利氏と共著)等がある。2010年本書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞受賞。

 

 

メモ

はじめに

 1937年の日中戦争の頃まで、当時の国民は、あっくまで政党政治を通じた国内の社会民主主義的な改革を求めていた。しかし、既成政党、貴族院などの壁に阻まれて実現できなかったため、疑似的な改革推進者としても軍部への国民の人気が高まっていった。

(強い指導者を求める現在の日本の状況が似ているので恐ろしい)

 

1章 日清戦争 (「侵略・被侵略」では見えてこないもの)

 日清戦争は1894(明治27)年に始まって翌年に終わる、9カ月の短い戦争。朝鮮に出兵した清に対して日本も出兵したとき、清の後ろ盾のあるロシアに対抗するためイギリスは日英通商航海条約を締結して日本を応援する。

 勝利の結果、国家予算の3倍もの賠償金を得たが、ロシア、ドイツ、フランスによる三国干渉を受け遼東半島を失った。

 

2章 日露戦争 (朝鮮か満州か、それが問題)

 日本の戦死者84千人、戦傷者143千人、ロシアの戦死者50千人、戦傷者220千人。

 この結果、満州事変の前後に、日本は、「20億の資財と20万の生霊によって獲得された満州を守れ」と言って、日中戦争を煽る。

 日露交渉において、日本は韓国における日本の優越権を持つ一方、満州での鉄道沿線はロシアの勢力圏と認めると主張する。ロシアはそれならさらにロシアに朝鮮海峡の自由航行権を認めろと主張し、まとまらなかった。日本はアメリカに満州の各国への門戸開放を提案して味方につける。

 結果として、満州は諸外国に開放され、江戸末期以来の日本の不平等条約は解消された。一方で賠償金は取れず、厳しい増税となった。その結果として、選挙権者が戦前の1.6倍、150万人になり政治家の質も変わった。

 

3章 第一次世界大戦 (日本が抱いた主観的な挫折)

 第一次大戦後のパリの講和会議の最中、1919年3月1日朝鮮独立を求める「三・一運動」が勃発する。日本の過酷な朝鮮統治が世界に知られる。

 

4章 満州事変と日中戦争 (日本切腹、中国介錯論)

 満州事変:関東軍参謀・石原莞爾が計画し、1931(昭和6)年満州鉄道を爆破し、中国側の仕業だとして、張学良の軍事拠点を占領した。さらに、問題児陸軍は、天皇の裁可を得て、満州国熱河地方に軍を進めた。これを国際連盟が重大問題と捉えると気づいた斎藤実首相は天皇に裁可撤回を願い出たが、陸軍などの反乱を恐れた侍従武官や西園寺など元老に阻まれる。天皇も自分の命令で止められないのかと侍従武官に強く求めたがならなかった。

 

 陸軍統制派は、第一次大戦のドイツは武力戦では最後まで勝っていたが、経済封鎖で窮乏した国民の戦意喪失で内部自壊したと分析していた。そして、貧しさに苦しむ日本国民に耳障りの良い政治改革を宣伝し、国民の期待を集めた。

 

5章 太平洋戦争 戦死者の死に場所を教えられなかった国

 聴講する生徒の二つの疑問

●日本とアメリカには圧倒的な戦力差があったのに、なぜ日本は戦争に踏み切ったのか? どれだけの人がこのことを知っていたのか?

●日本が初戦に勝利したとしても、戦争をどんなふうに終わらせようと考えていたのか?

 

 一般の人はもちろん、知識人も全体の流れに流された。正しい知識を持ち、反対したのは極一部の知識人。天皇も「英米相手の武力戦は可能なのか?」と繰り返し確認しているのだが。

 アメリカは飛行機を年間2141機しか作れなかった(日本は4467機)。しかし、総動員体制に入った1941年ではアメリカは19,433機で、日本は5088機製造と大差になった。

 アメリカの底力を見通せなかった。(アメリカは多民族国家だから危機になれば分裂するなどと考えていた指導者もいたと何かの本で読んだ)

 陸軍は特別会計で日中戦争に3割しか使わず、太平洋戦争に備えて7割(現在換算20兆円)をため込んでいて、これを使えば、少なくとも初戦は勝利できると考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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