hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

昔の子どものお手伝い

2018年01月02日 | 昔の話2

 

もう60年以上昔になってしまった私の子どもの頃、昭和25年~30年頃のことなのだが、子どもたちはお小遣いをもらわなくても当然のように親のお手伝いをしていた。

 

雨戸閉め

子供のころの借家には長い廊下があって、雨戸が8枚以上あった。この雨戸の開け閉めが私の役目だった。雨戸はもちろん木製で、戸袋から引っ張り出して、木の溝の上を滑らせる。良くすべるように、溝にはローソクを塗っておくのだが、それでも8枚の雨戸を一遍には押すことはできない。最初の何枚かは、勢いをつけて遠くへ押し出す。それでも5、6枚目で押し切れなくなり、先のほうへ行って、2、3枚だけ、最後まで押していく。締め切った後、最後の雨戸が外から開けられないように、下にある棒を溝の穴に刺し、上部にある棒を上の溝に押し上げ、落ちてこないように止めの棒を横に引いておしまいになる。外が暗くなると、ヨッシャとばかり立ち上がり雨戸を閉める。ちょっとした力仕事なので、男の子の私には好きなお手伝いだった。

 

縁側の廊下の雑巾がけ

だいたいは母が廊下の雑巾がけしていたのだが、ときどきお手伝いした。端から端まで両手を雑巾の上に乗せて腰を立てて足で廊下をけって進む。突き当りまで行って、雑巾を裏返して、戻って来て、バケツで雑巾を濯ぐ。ついつい走るように進むので、これも結構きつい。ときどき、オカラを入れた袋で磨いた。この時は一か所に留まって手の届く範囲を力を込めてキュッキュッと磨く。廊下が黒光りする茶色になり、ピカピカして子供心にも気持ちよいのだが、よく滑るようになって、走って止まるときに危なかった。

 

靴磨き

命じられて、父親の靴を磨く。子供なりに何となく自分の仕事という意識があって、やる気が出る。2足磨き、なんだか物足りなくなり、棚の中の靴も取り出してくる。だんだん熱中してきて、靴がピカピカになると、じっと眺めて、なんだか満足する。気がつくと、手はもちろん、顔まで墨がついてしまっていた。「靴磨き」については、2007年1月11日のブログ「靴磨き」に書いた。

 

 

鰹節削り

大工道具のカンナをひっくり返したような箱の上で鰹節を滑らして削る。ただただ削るだけで嫌になる。もともと小さい鰹節を削るように頼まれたときは、ホクホクだ。もう削れなくなると、母親に「もう削れないよ! 食べていいでしょ」と言う。鰹節の先端の方が透き通ってピンクぽい色になったのを食べるのだ。口に入れてしばらく舐めて多少柔らかくなったのを噛むと、ジワッと味が出てくる。そのまんま噛んで、どんどん味が濃くなってきて、幸せ!

 

毛糸巻き

買ってきたままの大きなループ状の新しい毛糸をボール状に巻き取る。着古したセーターなどをほどきながら巻き取ることもあった。片方の人が両手をループに入れて、スムーズにほどけるように左右にゆっくりゆする。少し離れて座ったもう一方の人がほどけてきた毛糸をボール状に巻き取る。私はループを持つことが多かったと思う。ほどけ具合を見ながら、手を左右にゆするのだが、ときどき2つほどけてしまい、オットトトとなる。

 奥さんの話だと、今は、毛糸は楕円形に巻かれた状態で売っているという。このお手伝いは時間がかかるので、母と私で何か話しながらしたのだろう。どんな話だったか、遠すぎて覚えていない。

 

米とぎ

一升瓶に精米していない米を入れて、棒でつついて精米する。一升瓶を両足で押さえ、少し斜めにして、瓶に突っ込んだ棒で米をザクリ、ザクリと突く。これは主に父の役目で、私はときどきしかやらなかった。かすかに覚えているだけなので、まだ幼いときだったのだろう。2007年9月3日のブログ「米穀通帳」に当時の米事情を書いた。

 

 

掃き掃除

お茶ガラや濡らしてちぎった新聞紙を撒いて箒で部屋を掃くのもときどき手伝った。部屋から廊下に掃き出し、さらに廊下から庭にゴミを掃き出すのだ。奥の廊下の端には掃き出し口があって、小さな引き戸を開けて、ごみを外へ掃き出す。今思えばゴミをただ庭に出すだけでよかったのだろうかと思う。

 

柱時計のネジ巻き

柱時計のネジを巻くのも私の役目だった。踏み台を持ってきてその上で背伸びしながら留め金を跳ね上げて時計の蓋を開ける。振子を止めて、その下に置いてある真鍮の耳のような形のネジを時計のネジ穴に差し込む。ギリギリと何回も廻してゼンマイを巻きあげる。最後の方は巻くのがきつくなるが、巻き上がって止まるまで巻く。ボーンボーンと時を打つハンマーもゼンマイの力で動くのだが、これを巻きあげるネジ穴にも差し込んで巻く。次に、長針を人差し指で進めて時刻を合わせる。最後に振子を動かして、左右に均等に触れているのを確かめ、さらに下で見ている家族に「時計、真っ直ぐになってる?」と聞いて、垂直を確かめる。

そういえば、ふと時計の振子を見た家族の誰かが「あ! 時計が止まってる」などと言うのだから、時間にルーズで、いいかげんだった。それでよかった時代だったのだ。

 

 

そのほか、ポストから新聞を取ってくるなど、いくつか私のお決まりの役目があった。あの頃の子どもは、お小遣いももらわず、当然のようにお手伝いをした。子どもの世界も今よりもっと生活に密着していた。洗濯機も電気釜もなく、主婦は家事で多忙だった。そんな親を見て、当然のようにお手伝し、ちょっと誇らしくもあった。そんな生活の中で親子のコミュニケーションがとれていたのだろう。

今の一見娘さんみたいな母親と異なり、当時の母親は割烹着を着て、髪に手ぬぐいを巻いて、お母さんはいかにもお母さんとすぐ判った。「おはぐろ」はしていなかったが。

コメント
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