憲法武器に民主主義守れ 「共謀罪」法、恵庭事件元被告が訴える(2017年7月12日中日新聞)

2017-07-17 10:16:49 | 桜ヶ丘9条の会
憲法武器に民主主義守れ 「共謀罪」法、恵庭事件元被告が訴える 

2017/7/12 中日新聞

 十一日施行の「共謀罪」法に強い危機感を抱く一人に、北海道北広島市の野崎健美さん(82)がいる。五十年前、自衛隊演習による爆音への抗議活動が自衛隊法違反に問われた「恵庭事件」の元被告だ。無罪判決を勝ち取ったのは「憲法を武器に戦ったから」。個人の権利が脅かされようとしている今、半世紀前の事件が伝えるものとは。

 「共謀罪があったら、間違いなく有罪だったでしょうね」

 東京と変わらない蒸し暑さが続く北広島市で、野崎さんが切り出した。「あのころ、約束を守らない自衛隊にひと泡吹かせたいと、弟とよく話し合っていたんですから」

 一九六二年十二月のことだった。

 当時、恵庭町(現恵庭市)で酪農を営んでいた野崎さんと弟の美晴さんは、隣接する陸上自衛隊演習場の騒音に抗議するため、自衛隊員らの目の前で、大砲演習用の通信線をペンチで切断。それが罪に問われた。

 何度抗議をしても聞き流され、改善の約束もほごにされてきた。父母は騒音のストレスに倒れて札幌に避難した。「戦車の前に立ちふさがって追い返したこともある。もちろん怖かったが、生活がかかっていたから必死だ」

 牧場を守る二十代の兄弟が何よりも耐え難かったのは、乳牛の価格に影響する乳量や質の検査当日に、牧場近くで牛たちをおびえさせる大砲演習が強行されたことだ。「約束が違う」と中止を求めたが、聞き入れられなかった。

 だが、この「抗議活動」は思わぬ展開を見せていく。兄弟は刑法の器物損壊罪ではなく、民間人として初めて自衛隊法違反(防衛供用物損壊)の罪で起訴されたのだ。騒音の「被害者」を国が追いつめる異例の展開に、全国から四百八十人の弁護士が手弁当で駆けつけた。

 三年半に及ぶ裁判で、弁護側は、そもそも自衛隊は違憲の疑いがあり、自衛隊法は無効として無罪を主張した。「裁判が全国の注目を集め、国はようやく騒音対策に目を向け始めた。それまで住民への補償もなかったんです」

 裁判は裁判官が一人の単独審で始まったが、途中から合議制に切り替わった。

 裁判の最終盤。裁判官は憲法判断の前に、野崎さん兄弟が問われた罪の事実調べをしたいと言い渡した。「裁判上の慣例といい、弁護士も納得していたが、どうしてもふに落ちなかった」。次の法廷で野崎さんは自ら訴えた。「自衛隊が合憲か違憲か分からないうちに事実調べをするのは、この法廷が憲法違反になる恐れがある。許されないと思う」

 訴えは通り、事実調べは取りやめられた。検察官は異議を申し立てなかった。次の論告求刑公判で、野崎さんは再び被告席から手を挙げた。「事実調べもしないで、検察官は求刑ができるのか」

 正当性を立証する機会が与えられていない論告求刑は不当だとする野崎さんの訴えは受け入れられ、裁判所は検察官に論告求刑を禁じた。

 判決は「無罪」。「通信線は防衛供用物に該当しない」とされた。当初、「読み上げに一時間以上かかる」と告げられた判決は十分ほどで切り上げられ、憲法判断には踏み込まなかった。検察側は控訴せず、兄弟の無罪は確定した。

 「法律の素人だから、憲法の原点から考えることができた」と野崎さんは振り返る。被告の訴えに耳を傾ける「新憲法下」の裁判官たちの愚直さも特筆すべきだろう。

 敗戦の痛みは誰にも生々しかった。学校で教えられたことが百八十度ひっくり返った野崎少年も「国や先生の言うことをむやみに信じてはいけない。自分でものを考えるしかない」と胸に刻んでいた。新制中学二年のときに施行された新憲法は鮮烈だった。「前文には『政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』とある。政府ってほっておくと戦争をするんだと分かった」

 家族の暮らしが自衛隊に脅かされたとき、野崎さんが何度も読み返したのも憲法だった。

 「憲法一二条には『この憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない』とある。一二条が権力に立ち向かう勇気をくれた。『不断の努力』で戦ったんです」

 事件後、野崎さんは牧場再建に奔走し、後に食品加工会社を起こしてからは経営に専念してきた。公の場で発言することはなくなっていた。だが、特定秘密保護法や安全保障関連法を強引に成立させていく最近の政府の動きには、黙っていられなかった。

 「いろいろあっても、自民党なりに国民を食べさせる努力をしていたのは認める。でも、憲法をなし崩しにしようとしている今の政権は違う。個人の権利を脅かす戦前回帰を許してはならない」

 野崎さんは二〇一三年ごろから講演活動などを始め、「憲法を武器に」戦った恵庭事件の意義を伝えている。

 この半世紀前の事件を問い直す動きも広がっている。北海道出身の稲塚秀孝監督(66)は今夏、事件を題材にした映画「憲法を武器として」を完成させた。

 判決当時、稲塚さんは苫小牧市の高校生。新聞記事で事件に興味を抱き、夏休みにカメラとテープレコーダーを持って野崎兄弟に会いに行った。丁寧に応じてくれた野崎さんたちの話を聞き「自衛隊の存在はどう考えても憲法と整合性がない」と感じた。高校の文化祭でフォークソングを歌いたいという級友たちを説き伏せ、「叫び」という演劇にして上演した。

 大学を卒業後、テレビ制作に携わってきた稲塚さんは二年前に映画化を構想。自衛隊の海外派遣を広げる安倍政権の動きが進むにつけ、野崎さんたちの戦いが思い出されたからだ。兄弟の快諾を得て映画製作に取りかかり、膨大な裁判記録をあらためて読み直した。「当時法廷で語られていたことは何も解決していない」と痛感した。

 当時、検察側に求刑をさせなかったことから「違憲判決」への期待は高まっていた。だが、憲法判断はなく「肩すかし判決」とも評された。映画ではその経緯にも迫った。裁判官や検事ら関係者の多くは亡くなっていたが、裁判長の次女は、父親が生前「(違憲判決を出すなと)上からの指示があった」と漏らしていたことを証言した。

 関係者へのインタビューを収録したほか、法廷での白熱したやりとりをプロの俳優らによる再現ドラマで描いた。

 稲塚さんは「憲法判断がされなかったことで、自衛隊は『戦力』という本質をあいまいにしたまま、国連平和維持活動などの『実績』を積み上げた。自衛隊を憲法に明記する動きが出ている今、自衛隊とは何かが問われた恵庭事件に学ぶことは多い」と話す。

 十一日にはテロ対策名目で作られた「共謀罪」法が施行された。野崎さんは「恣意(しい)的に利用すれば、民主主義にとって一番大事なデモや集会という国民の表現さえ対象にできるようになった」と憤りを隠さない。「民主主義を壊すものに勝つか負けるかの分かれ目にある。特に若い人たちには、憲法を武器に戦う強さを知ってほしい」

 (佐藤大、中山洋子)
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 電通事件正式裁判へ 公開の... | トップ | 「改正個人情報保護法の全面... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

桜ヶ丘9条の会」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。