国民は戦争を望まない 中日新聞東京本社主幹・山田哲夫(2014年5月16日)

2014-05-16 08:02:18 | 日記


国民は戦争を望まない 東京本社論説主幹・山田哲夫 

2014/5/16 朝刊
 安保法制懇の憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認は、戦後の平和主義を捨て、戦争のできる普通の国へとの提言だ。国を守る気概はもたなければならないとしても、国民は戦争をする国を望まない。

 安保法制懇は元外務事務次官、元防衛事務次官、憲法、国際法学者らの首相と考えを同じくする識者の会だが、その分野の主流派や多数派を代表しているわけではない。むしろ集団的自衛権行使が憲法解釈の変更によって可能とする主張は学会の少数派だし、砂川事件の最高裁判決が集団的自衛権を容認しているとの見解も異端だ。

 これまでも歴代政府は、憲法九条から集団的自衛権は行使できず、時々の政府判断によって解釈変更はできない、行使できるようにするには憲法改正が必要-としてきた。そこには時の内閣の短絡や暴走を防ぐ立憲主義や法の支配への誠実や忠実があり、何より三百十万人の犠牲を出した先の大戦への深い悔恨があったからだろう。

 他国の戦争に自衛隊が参加する集団的自衛権の行使容認は、歴史の反省に立つ平和主義憲法の根幹を変えてしまう。容認するにしても、小手先の解釈変更でなく、憲法改正の正統な手続きで国民的議論と合意の正攻法で行われるべきだ。

 集団的自衛権行使容認に日米同盟強化や戦争抑止がねらわれているとしても、地域に平和と安定をもたらすかどうか疑わしい。相互理解を欠く猜疑(さいぎ)が軍備増強の口実を与え、いわゆる安保のジレンマの軍拡競争を招きかねないからだ。

 限定容認の条件を付けても一度解かれた封印は歯止めを失う。かつてのベトナムやイラクのような誤れる戦争にも自衛隊は参戦を余儀なくされるだろう。平和主義と専守防衛の枠内で知恵と工夫を凝らすのが日本の未来を拓(ひら)く道だ。

 戦中派歌人、岡野弘彦さんの歌に<親ゆづり 祖父(おほぢ)ゆづりの 政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろぼす、民を亡(ほろ)ぼす>がある。戦争を知らず、歴史への洞察を欠く二世、三世議員たちに国をゆだねる危うさ。そのために憲法の制約もある。隣国との関係に心を砕くべきだ。



傾く平和、歯止めを 集団的自衛権 

2014/5/16 朝刊

首相官邸前で抗議活動の合間に、プラカードを見つめる女性=15日午後、東京・永田町で
◆広く声聞け

 「積み上げた平和が崩れてしまう」「戦争に巻き込まれる危険がある」-。安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認を目指す方針を表明した十五日、憲法の平和主義が転換するのではないかとの懸念が各地に広がった。解釈改憲をしてまで容認を急ごうとする首相。国会で、沖縄で、そして中部地方の街で、「歯止めを」との声が響いた。

 安倍首相が官邸で記者会見に臨んだ午後六時。名古屋市では市民グループ「愛知県平和委員会」のメンバーが街頭に立ち、「集団的自衛権の行使容認は戦争への道だ」と訴えた。

 帰宅途中の会社員や買い物客でにぎわう繁華街・栄の交差点。メンバーは声をからしながら行き交う人にチラシを渡し、解釈改憲に反対する署名も呼び掛けた。矢野創事務局長(41)は「行使を認めれば、イラク戦争のようなケースで日本も参戦に追い込まれる。今まで積み上げた平和な国が崩壊してしまう」と危機感を募らせる。

 東京の首相官邸前では、「戦争反対」などと抗議する多くの人が長い列をつくった。

 都内の会社員(57)は「こんなに簡単に長年守ってきた国の方針を変えてもいいのか」と憤った様子。五人の孫がいるという無職の女性(68)は「平和が当たり前と思っていたが、日本が戦争できる国になる。首相は反対する国民の声にも耳を傾けて」と注文を付けた。

 十五日に本土復帰から四十二年を迎えた沖縄では、平和の大切さを訴える「平和行進」の結団式が那覇市で開かれた。実行委員長を務める沖縄平和運動センターの山城博治議長は「一九七二年の復帰後も変わらない米軍基地に抗議しよう」と声を上げた。

 式の前には琉球大大学院の高良鉄美教授が講演。「県民は七二年当時、平和主義の憲法の下で基地から解放されると思って復帰を望んだが、米軍基地はなくならなかった」と説明した。

◆国際状況悪化、賛成の声も

 集団的自衛権の行使を認める安倍首相の方針に、中部地方の市民団体などから賛否の意見が出た。

 愛知県豊橋市を中心に活動する「東三河九条の会」事務局の杉浦雄司さん(68)は「近隣との対立を自らあおっておいて、『国民を守るため』と解釈改憲を進めるのはおかしい」と批判。「(首相の私的諮問機関は)いかにも第三者が議論したように見せているが、最初から結論ありきで、このまま進むのが怖い」と懸念する。

 三重県鳥羽市の「とば九条の会」事務局の山本弘さん(61)は「安倍首相の『私が代表者だから私が決める』という姿勢が、まずおかしい。言葉で本質をごまかそうとしている」と痛烈だ。「自衛と言っても、他の国の戦争の手助けをすることになる。戦後、日本が国際社会から信頼を得てきたのは、人の血を流さなかったからなのに、何の得があるのだろうか」

 一方、改憲を主張してきた民間団体「日本会議岐阜県本部」(岐阜市)の馬渕雅宣専務理事(57)は「九条改正は必要だが、時間がかかるから」と、解釈改憲に理解を示した。「取り巻く状況は劇的に悪化している。安全保障の強化が急務だ」と首相を後押し。武力攻撃に至らない「グレーゾーン」についても「法的に不備がある。自衛隊法の早急な改正が必要だ」と主張する。

 愛知県小牧市などの元自衛隊員約五十人でつくる県隊友会小牧支部の泉保二支部長(77)=同市久保一色=も容認を支持。「ただし、国民を巻き込む戦いはしてはならない。集団的自衛権という(政治的な)カードを持った上で、相手国と話し合いで紛争を解決するといった考えを国の指導者は持ってほしい」と話した。



「主観的な正義」は危険 作家・保阪正康氏に聞く 

2014/5/16 朝刊
 戦後の安全保障の大転換を図る安倍政権について、昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康氏に聞いた。

 集団的自衛権の必要性を説くとき、「同盟国・日本のために米青年が血を流すのを黙って見てられるか」と語る。日本人なら当然そう思う。靖国参拝も「首相が戦争で亡くなった人を追悼するのは当然」と力説し、私も国民誰しも「そうだ」と思う。

 しかし、冷静に考えると、戦後六十九年そんなことは一度もなかったことへの説明がない。

 靖国もなぜ米、欧州連合(EU)まで反対するのか説明がない。安倍首相の論理は、反論できない言葉が先行し、前提条件と結論がつながっていない。「美しい国」「積極的平和主義」も同じだ。

 言葉だけで国民をそう思わせる「情念的感情的政治」は戦前にもあった。五・一五事件や二・二六事件後、軍事指導者たちが盛んに「非常時」という言葉を使い、議員も庶民も世の中全体が「非常時」と思うようになった。しかし、両事件も満州事変も軍が自作自演したものだ。

 「わが国を取り巻く環境が急速に悪化」との言葉もよく使われるが、今の中韓との緊張は安倍首相に責任がないとは言えない。安倍首相は「東京裁判は戦勝国の一方的裁判だ」と言う。そういう一面もあるが、欧米は反ファシズム戦争で民主主義勢力が勝利したと考えている。「戦後レジームからの脱却」を唱える姿は「日本は反省せず、欧米の歴史観に異議を申し立てている」と疑念を抱かれている。

 日本がおかしくなっていく昭和十年代、「日本的で主観的な正義」が声高に叫ばれた。

 太平洋戦争の開戦前、東南アジアに南進する際も「米は怒らないだろう」と客観性を欠いた見通しがはびこった。今の日本も世界の潮流が見えず、政党も国民も、主観的判断で政策を判断してしまう岐路にある。

 しかし、議会政治を守ろうと演説した斎藤隆夫議員が帝国議会の投票で除名されるような戦前の歴史は繰り返さないだろう。自民党は「腐っても鯛(たい)」。自民党も公明党も、安倍首相の独善的空間だけで支配できる政党ではないはずだ。


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