日本と世界で起きた原発事故(ブログ「発電と原子力」より

2017-10-16 20:14:09 | 桜ヶ丘9条の会
日本の原子力発電所や原子力施設の事故というと、2011年3月の東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所の事故が記憶に新しいですが、実は、日本の原子力発電所や原子力施設では、これまでにさまざまな事故が起きています。

国際原子力事象評価尺度(INES)

日本の原子力関連施設では、放射性物質が環境中へ放出されて公衆の健康を害する恐れが生じた場合やそれ以上を「事故」と呼び、そのような状況に至らない施設内での不測の事態は「異常事象」と呼んで区別しています。


レベル 日付 事故名 事象
レベル7 2011年
3月11日 福島第一原子力発電所炉心溶融・水素爆発事故 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東京電力福島第一原子力発電所ではすべての電源を失い、圧力容器内の水位が低下し炉心が高温になる。非常用電源も故障で緊急炉心冷却システムも作動せず、水蒸気爆発の可能性が高まった。燃料棒も一部溶解。日本初となる原子力緊急事態宣言が発令され、周辺半径20kmの住民には避難指示が出された。詳しくは福島第一原発の事故の事故をご覧下さい。
レベル4 1999年
9月30日 東海村JCO核燃料加工施設臨界事故 核燃料加工施設、株式会社JCOが起こした日本で3番目の臨界事故。作業員2名が死亡という、日本国内で初めて事故被曝による死亡者を出した。詳しくは、東海村JCO臨界事故をご覧下さい。
レベル3以下の事故
1973年
3月 美浜発電所燃料棒破損 美浜一号炉において発生した核燃料棒が折損する事故。関西電力はこの事故を公表せず秘匿していたが、内部告発によってあきらかとなった。
1974年
9月1日 原子力船「むつ」の放射線漏れ事故 遮蔽リングの設計ミスにより、北太平洋航行中に放射線(中性子)漏れを観測する。
1978年
11月2日 福島第一原子力発電所3号機事故 日本で最初の臨界事故とされる。しかし、公表されたのは事故発生から29年後の2007年3月22日だった。事故は、戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け、午前3時から10時半までの7時間半臨界が続いたとされる。
1989年
1月1日 福島第二原子力発電所3号機事故 3号機の原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属片等が流出、長期にわたって発電所を停止に追い込んだ事故。レベル2。
1990年
9月9日 福島第一原子力発電所3号機事故 主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。レベル2。
1991年
2月9日 美浜発電所2号機事故 2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断し、原子炉が自動停止、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した事故。55トンの一次冷却水が漏洩した。レベル2。放出量0.6キュリー。
1991年
4月4日 浜岡原子力発電所3号機事故 誤信号により原子炉給水量が減少し、原子炉が自動停止した。レベル2。
1995年
12月8日 高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故 2次主冷却系の温度計の鞘が折れ、ナトリウムが漏洩し燃焼した。レベル1。詳しくはもんじゅナトリウム漏洩火災事故をご覧下さい。
1997年
3月11日 動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故 低レベル放射性物質をアスファルト固化する施設で火災発生、爆発。レベル3。
1998年
2月22日 福島第一原子力発電所 第4号機の定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。
1999年
6月18日 北陸電力志賀原子力発電所1号機事故
日本で2番目の臨界事故とされる。
定期点検中に沸騰水型原子炉 (BWR) の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の制御棒が抜け、臨界が15分間続いた。臨界になる主な原因は、点検前にスクラム用の窒素を全ての弁で抜いてあったというミスと、マニュアルで弁操作が開閉逆だったためといわれている。所長も参加する所内幹部会議で隠蔽が決定され、運転日誌への記載も本社への報告も無かったとされるが、2007年3月公表。レベル1 - 3。
2004年
8月9日 美浜発電所3号機2次系配管破損事故 2次冷却系のタービン発電機付近の配管破損により高温高圧の水蒸気が多量に噴出。逃げ遅れた作業員5名が熱傷で死亡。レベル0+。
2007年
7月16日 新潟県中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故 新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし、微量の放射性物質の漏洩が検出された。また、震災後の高波によって敷地内が冠水し、使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失した。レベル0-
2010年
6月17日 福島第一原子力発電所2号炉緊急自動停止 水位低下事故。3号機プルサーマルのためMOX燃料を導入しようとした矢先、2号機で水位低下する事故が発生。制御板補修工事のミスがあったが、電源停止により冷却系ファンの停止を招き、緊急自動停止した。電源停止により水位が2m低下した。燃料棒露出まで40cm(単純計算で6分)であった。
2011年
3月11日 福島第二原子力発電所事故 東日本大震災による地震・津波で3本の送電系統のうち2本を喪失、津波の影響で海水ポンプとその電源が水没し原子炉の冷却機能が喪失し、一時不全状態に陥った事故。総延長9kmケーブルを使って、仮設電源につなぎ、機能を回復。冷温停止に成功した。原子力安全・保安院は2011年3月18日にINESレベル3であるとの暫定評価を下した。

世界各地で起きた原発事故のうち、主なものをあげてみました。
(日本の事故については、日本で起きた原発事故をご覧下さい。)

国 事故 年月日 事故の詳細
カナダ チョーク・リバー研究所事故 1952年12月12日 1947年にカナダオンタリオ州(オタワの北西150km)に建設された出力4.2万KWの実験用原子炉NRXの事故である。操作ミスで制御棒が引き抜かれ、1万キュリーまたは370テラベクレルの放射能が外部に漏れた。その後1993年まで稼働していた
ソビエト連邦
ウラル核惨事 1957年9月29日 旧ソビエト連邦ウラル地方カスリ市(現在はウクライナ共和国)のほど近くに建設された「チェリヤビンスク65」という暗号名を持つ秘密都市の、「マヤーク」(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラントで起こった事故。プルトニウムを含む200万キュリーの放射性物質が飛散した。
チェルノブイリ原子力発電所事故 1986年4月26日 ウクライナ共和国チェルノブイリ原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出されたレベル7の大事故。原因は諸説あるが、発電実験中、出力が急上昇して起こったとされている。放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらした。詳しくは、チェルノブイリ原子力発電所事故をご覧下さい。
イギリス ウィンズケール原子炉火災事故 1957年10月10日 世界初の原子炉重大事故。イギリス北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケイル原子力工場(現セラフィールド)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。避2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロメートルを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。
アメリカ合衆国
サンタスザーナ野外実験所燃料棒溶融事故 1959年7月13日 カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外約50kmのシミバレーにあったナトリウム冷却原子炉の燃料棒が溶融した。1500-6500キュリーのヨウ素131と1300キュリーのセシウム137が環境中に放出されたとされる。1960年に閉鎖されその後解体されたが、1979年に学生が偶然資料を発見し公表するまで極秘であり、2011年8月現在エネルギー省のサイトに一切情報がない。
SL-1事故 1961年1月3日 SL-1 (Stationary Low-Power Reactor Number One) はアメリカのアイダホフォールズにあった海軍の軍事用の試験炉。事故の原因ははっきりとは分かっていないが、制御棒を運転員が誤って引き抜き、原子炉の暴走が起きたと考えられている。その結果大量の水蒸気が瞬時に発生し炉内が高圧になって炉が破壊された。事故で放出されたエネルギーは約50 MJに相当し、炉内にあった約100万キュリーの核分裂生成物のうち約1パーセントが放出されたと考えられている。3人の運転員のうち2人は即死であったと考えられる。 チェルノブイリ原子力発電所事故が起きるまでは原子炉で死者が出た唯一の事故として知られていた。
エンリコ・フェルミ1号炉 1966年10月5日 エンリコ・フェルミ炉はアメリカのデトロイト郊外にあった高速増殖炉試験炉。1966年10月5日に炉心溶融を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。
バーモントヤンキー原発 1973年11月 沸騰水型原子炉の臨界事故。 検査のため抜いた状態だった制御棒の隣の制御棒を誤って抜き、炉心の一部が臨界。圧力容器と格納容器の蓋は開けたままだった。
ミルストン原発1号機 1976年11月 沸騰水型原子炉の臨界事故。 臨界は炉心スクラムで止まった。
スリーマイル島原子力発電所事故 1979年3月28日 アメリカ・スリーマイル島原子力発電所の炉心溶融事故。レベル5の事故。詳しくはスリーマイル島原子力発電所事故をご覧下さい。
フランス
サン・ローラン・デ・ゾー原子炉燃料溶融事故 1963年10月 サン・ローラン・デ・ゾー原子炉で燃料溶融事故
トリカスタン原子力発電所事故 2008年7月7日 7月7日の夜から8日にかけて、フランス・アヴィニョン北部ボレーヌ市に接するトリカスタン原子力発電所において、ウラン溶液貯蔵タンクのメンテナンス中、 タンクからウラン溶液約3万リットルが溢れ出し、職員100人余が被曝し、付近の河川に74 kgのウラニウムが流れ出した。フランス原子力安全庁は事故レベルを0としている。
スイス リュサンス原発炉心溶融事故 1969年1月21日 スイスのボー州リュサンス(Lucens)の研究用ガス冷却地下原子炉での冷却材喪失事故で、炉心燃料が一部溶融、放射性物資が洞窟内に漏れた。その後地下水経由での環境中への放射性物質流出が続いている。
スウェーデン オスカーシャム原発3号機 1987年7月 沸騰水型原子炉の臨界事故 。制御棒の効果を調べる試験中に制御棒を抜いていたところ想定外の臨界状態になったが、運転員が気付くのが遅れ、臨界状態が続いた。
ブラジル ゴイアニア被曝事故 1987年9月 ブラジルのゴイアニア市で発生した放射能汚染事故。閉鎖された病院に放置されていた放射線療法用の医療機器から放射線源が盗難に遭い、地元のスクラップ業者によって解体された事で内部のセシウム137が露出。暗闇で光るという特性に好奇心を持った人々が自宅に持ち帰るなどした事で、貧民街を中心に汚染が広がった。同年の12月までに250人が被曝し、4人が急性放射線障害で死亡した。


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