daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

科学の限界

2014年09月07日 | (転載・記事)  総 合

(引用文)
鰻(うなぎ)をとる方法がいろいろある。 筌(うえ)を用いるのは、人間のほうから言って最も受動的な方法である。 鰻のほうで押しかけて来なければものにならない。 次には、蚯蚓(みみず)の数珠(じゅず)を束ねたので誘惑する方法がある。 その次には、鰻のいる穴の中へ釣り針をさしこんで、鰻の鼻先に見せびらかす方法がある。 これらはよほど主動的であるが、それでも鰻のほうで気がなければ成立しない。 次には、鰻の穴を捜して泥(どろ)の中へ手を突っ込んでつかまえる。 これは純粋に主動的な方法である。 最後に鰻掻(うなぎか)きという方法がある。 この場合のなりゆきを支配するものは「偶然」である。 (大正十二年六月、渋柿)


(大正十二年六月号掲載文を読んで)

天然鰻を捕まえるにも色々の方法があるというのである。

その鰻を捕まえる方法を科学的に分析すべきと言うのか。

寅彦が生きた時代、なるほど、寅彦の言いたい事も判る。

寅彦の考え方や時代を現代から振り返るとき、逆もある。


寅彦の考え方の延長上に、鰻の養殖が考えられて育った。

そして人々の思いは往年の良き時代を懐かしむのだろう。

結局、原始時代の暮らしの良さにいつ気づくのだろうか。

地球が養殖場と化し、天然物が絶滅する前に気づくのか.


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