daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

捩じくれ寅彦

2014年09月07日 | (転載・記事)  総 合
(引用文)
宿屋や料理屋などの広告に、その庭園や泉石の風景をペンキ絵で描いた建て札のようなものが、よく田舎(いなか)の道ばたなどに立ててある。 たとえば、その池などが、ちょっとした湖水ぐらいはありそうに描かれているが、実際はほんの金魚池ぐらいのものであったりする。 ああいう絵をかく絵かきは、しかし、ある意味でえらいと思う。 天然を超越して、しかもまたとにかく新しい現実を創造するのだから。 (大正十年十二月、渋柿)


(大正十年十二月号掲載文から引用)

現代でも地方を車で走っていると看板を見かける。

数キロ手前から対象客の注意を惹きつける目的か。

初めて訪れる人にとって、看板は道案内にもなる。

駐車場がなければ、車での客は困るところである。


その店の特徴は看板に表れるのだから、嘘は困る。

それで、寺田寅彦はここで何を言いたいのですか。

寅彦は看板を描いた絵描きを誉めているのだろう。

天然には存在しない店の特徴を描いていると言う。


それはそうだ。宿屋も料理屋も天然の物ではない。

実際、天然のままなら、寅彦は入らないだろうよ。

絵描きなら、人手を加えた店の特徴を強調するさ。

店のオーナーや大工にない感性で絵を描くのです。


だが、寅彦の誉めかたはネチネチして気色が悪い。

寅彦よ!どうしてキミは素直に誉められないのだ。

悲しいことだが、キミの心は捻じれているようだ。

キミは誉めるのに素直になれずに、皮肉って弄ぶ。


キミは東大を卒業して公費留学までさせて貰った。

帰国後は東大で学生に講義もしている指導者だぜ。

寅彦よ!キミの態度は日本の上流階級の手本だぜ。

その程度の常識の持ち合わせも無かったと言うか。


そんな寅彦の俳句なんか、大したことないだろう。

俳句界へのキミの悪影響なんかは気にしていない。

だが、キミに倣って捻じくれた文化人が巣立つぞ。

五十年後、百年後の日本にどう責任を感じるんだ。


キミの文章に何にも感じない文化人が育つんだぞ。

訳も判らずに、ベンチャラ言うだけの文化人だぞ。

そんな連中が日本中に増えるなんて、おぞましい。

そんなイヤな時代が「平成」なんて、おぞましい。


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