daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

おくのほそ道の句③

2014年09月07日 | (転載・記事)  総 合
>立石寺での句に続いて天地の静寂をとらえた大柄な句がいくつか並んでいる。
>…何と深閑として空しい大きな句だろうか。
>貞門の言葉遊びや談林の悪ふざけと比べると雲泥の差がある。

*雲の峰幾つ崩(くづれ)て月の山

雲の峰とは盛夏の空にモクモクと盛り上がるデッカイ入道雲、
その雲が山の峰や巨大ビルのようにそびえる様を形容しています。
そんなデッカイ物が幾つも大地に降り重なったような月山だなぁ…。
於多福姉は地名を「月の山」とするのは、櫂氏と違って感心しない。

*暑き日を海にいれたり最上川

最上川は、さぞやスケールの大きな川なのでしょう。
水量の豊富な最上川の川面は太陽に照らされてギラギラ輝いている。
その広い最上川の流れがどこまでも滔々と続いて、海に注ぐのです。
自然のまま・そのままをどこまでも形容して淡々と詠んでいますね。

*荒海や佐渡によこたふ天(あまの)河

・日本では、夏と冬に天の川が南北に頭の上を越える位置に来る。
・これをまたいで夏には夏の大三角が、冬には冬の大三角が見える。
・他の星も天の川の周辺に多いので、夏と冬の夜空はにぎやかで…(wikipedia)

芭蕉は、北陸道・越後・出雲崎でこの句を詠んだとあります。
波の荒い海の向こうに佐渡を望んでいる芭蕉の様子が窺われます。
実に十七文字の宇宙に詠み込めないモノは何もないと言いたげです。


>元禄二年八月、芭蕉は…『おくのほそ道』の旅を終える。

長谷川櫂氏の案内にのって私も『おくのほそ道』の旅を終えました。
芭蕉の作句を振り返ってみて、現代俳句の基本型の完成品を感じた。
二句一章・取り合わせ・季語・切れ字など…全て完成していました。

芭蕉俳句を知る機会を与えて下さった“長谷川櫂氏”に感謝します。

>二年間、芭蕉は上方にとどまり、故郷の伊賀、京、近江の間を行き来して過ごす。
>この二年間に芭蕉は二つの選集の編集に取り組んだ。
>『ひさご』は歌仙五巻を収めるだけの瀟洒な歌仙集である…
>『猿蓑』は発句三百八十二句のほか歌仙四巻、俳文三篇を収める本格的な俳諧俳文集である。

さて、
芭蕉は「おくのほそ道」の旅の後で、何故に江戸に帰らなかったのか?
そして何故、
芭蕉は「ひさご」「猿蓑」の選集に二年間の歳月を掛けたのでしょうか?
結局、
松尾芭蕉の真実は、こういった行動に見え隠れしているのでしょう。

ともあれ、櫂氏のストーリーはもう少し続くようです。
芭蕉俳句の旅も又、案内人のメニューのままに最終点まで参ります。


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