daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

俳諧は去来抄に詳しい

2014年10月02日 | (転載・記事)  総 合

>『去来抄』は芭蕉の死後、高弟の去来が芭蕉の教えを書き残したものである。
>芭蕉がこの世を去ると、基角、支考、惟然、ら有力な門弟たちはそれぞれの道を歩みはじめる。
>去来は…蕉風が草に埋もれてしまうのを憂えて、『『去来抄』を書きはじめ…
>去来が亡くなったときにはすさまじい推敲の筆の入った草稿が遺された。
>『去来抄』が出版されたのはさらに七十年後…蕉風復興運動の最中。
>『去来抄』は芭蕉の生の言葉を伝える蕉風の聖典として世に流布する…

芭蕉が提唱した俳諧については『去来抄』に詳しく述べられている。
それなら、俳諧の専門知識は『去来抄』に譲ることにしたいと思う。
それでココでは、於多福姉ていどの知識が学べる場として参ります。

俳諧とは何ぞや。

俳諧・俳句の「俳」は、戯れることですが、戯れるって、どんな事?
俳諧の「諧」は、おどける事です。そして、諧謔もおどける事です。
俳諧の意は即ち、おどけ・戯れるサービス(精神)をいうと思います。

だから、俳句の場に「諧謔」を求め・持込む人たちが現れるのかも。
ただ、諧謔の精神と詩心は同一の地平にあるモノではなさそうです。
芭蕉が生きた時代、諧謔とは常に下位者が上位者に尽すことでした。

俳諧は、そのような封建的な体質から脱却出来ているのでしょうか。
封建体制を笑い飛ばす文芸では、狂歌・川柳等が健闘してきました。
それなら今、昼間の幽霊のように諧謔を持出す真意は何でしょうか。

私の好きな詩「梁塵秘抄」を紹介します。ネットで見つけました。
ェエ~ッ!? 梁塵秘抄は「詩」ではないっておっしゃいましたか?
詩と読むも、説教と読むも、読み手まかせだと私は思っています!?


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