(引用文)
彼はある日歯医者へ行って、奥歯を一本抜いてもらった。 舌の先でさわってみると、そこにできた空虚な空間が、自分の口腔(こうこう)全体に対して異常に大きく、不合理にだだっ広いもののように思われた。 ……それが、ひどく彼に人間の肉体のはかなさ、たよりなさを感じさせた。 またある時、かたちんばの下駄(げた)をはいてわずかに三町ばかり歩いた。 すると、自分の腰から下が、どうも自分のものでないような、なんとも言われない情けない心持ちになってしまった。 それから、…… そんな事から彼は、おしまいには、とうとう坊主になってしまった。 (大正十年二月、渋柿)
(大正十年二月号掲載文を読んで)
宗教心の初めは他人事よりも吾が事と言えよう。
即ち、他人の幸せより、吾が幸せが重要ゆえに。
他人の歯が抜けたところで、痛くも痒くもない。
極端には、他人が脚を失っても平気でいられる。
だが、己の事ともなると悠長なことは言わない。
多くの者は他人を巻き込んで大騒ぎするだろう。
そしてもっと深く考えて、宗教に至る者がいる。