(引用文)
シヤトルの勧工場(かんこうば)でいろいろのみやげ物を買ったついでに、草花の種を少しばかり求めた。 そのときに、そこの売り子が「これはあなたにあげましょう。私この花がすきですから」 と言って、おまけに添えてくれたのが、珍しくもない鳳仙花(ほうせんか)の種であった。 帰って来てまいたこれらのいろいろの種のうちの多くのものは、てんで発芽もしなかったし、また生えたのでもたいていろくな花はつけず、一年きりで影も形もなく消えてしまった。 しかし、かの売り子がおまけにくれた鳳仙花だけは、実にみごとに生長して、そうして鳳仙花とは思われないほどに大きく美しく花を着けた。 そうしてその花の種は、今でもなお、年々に裏庭の夏から秋へかけてのながめをにぎわすことになっている。 この一些事(さじ)の中にも、霊魂不滅の問題が隠れているのではないかという気がする。 (大正十一年十一月、渋柿)
(大正十一年十一月号掲載文を読んで)
寅彦がアメリカ留学した時の、これは土産話だろうか。つまり、
ごく普通の感覚の寅彦が珍しい土産を探したと考えて好いだろう。
花に大した関心を持っていなかった寅彦、私も似たような物だが、
日本にない花を育てたいと思ってもちっとも不思議ではないんだ。
鳳仙花なら日本の土壌にお馴染ってこと、寅彦の文に露わである。
日本の土壌に合うか否か判らない草花を素人は咲かせたいだろう。
その寅彦の期待はモノの見事に裏切られて失敗したというのです。
東大教授は偉い人だという錯覚が日本の知識人の知的水準である。
「東大教授は偉い」というロジックの間違いが分らないのである。
料理に関しては女性の方が男性よりもよく知っている道理である。
花植に関しては農家の方が東大教授より専門知識に優れていよう。
素直に専門家に教えを乞えば済むのに、寅彦は科学的でなかった。
尤も、誰に教えを乞うべきかも判っていなかったのかも知れない。
科学者ならば論理的に考えただろうに、そこは寅彦も凡人だった。
寅彦は「霊魂不滅説」で一件落着として一区切りつけたかったか。
鳳仙花は売り子の女性の愛が宿った結果「花開いた」も楽しいが。
少しでも俳句をたしなむ者として、しっかり観察して欲しかった。
ま!寺田寅彦は坊ちゃん育ちだから仕方ないとして、許そうよ。