京都市会議員鈴木マサホひとくち日記

民進党京都市会議員鈴木正穂(マサホ)の日々の活動と京都市や民進党、左京区の話題が満載。

「月刊地域闘争」と三重県総合博物館に    9月7日ー10日

2017年09月27日 | 日記
●9月10日(日)

    <チェルキオの会 三重県津へバス旅行>

 吉田神社前のチェルキオに中尾写真館の中尾勇さんのお世話で始まったサロン、チェルキオの会。今回で48回目かな。
 特別例会で元京都大学総合博物館館長大野先生に案内してもらう三重の旅、三重県総合博物館見学と専修寺拝観、関宿散策の夏の終わりの一日。
 ぼくが添乗員役。東一条に中型の明星観光バスに乗り込んで新名神経由、三重県は津市に。平成26年に開館した三重県総合博物館(Miemu みえむ)。大野先生が館長。立派な建物。三重県で発掘された骨格を復元した巨大なミエゾウがお迎え。
 三重の自然と歴史・文化が凝縮された展示。古代から現代まで色々と工夫されてました。また企画展では、みんなの乗り物大集合ということで近鉄や名鉄、JRや三重バス、御在所岳のロープウエイなどが実物も展示してあり、子供たちは大喜び。
 博物館の次に、真宗高田派本山、専修寺(せんじゅじ)に。蓮池は花が咲いた後で残念、食事の後、拝観。国内の木造建築物では5番目の大きさとか。本願寺など見慣れているが、その大きさにびっくり。親鸞聖人との由来があるそうです。 
そして、東海道53次の宿場町、関宿も散策。親しいメンバーと楽しい一日を過ごして英気を養いました。ちなみにぼくは添乗員役でした。

●9月9日(土)

     <高齢者ふれあい福祉大会>

 土曜日、わが母校、第四錦林小学校で吉田社会福祉協議会主催の高齢者ふれあい福祉大会。米寿のお祝い。今年の米寿の方は鴨沂高校一期生の狂言師、木村要さんら41名。お祝いの言葉を書いた賞状?が送られて、社協のマスコット「あかりちゃん」らと記念撮影。
 第四錦林小学校児童の国際部の児童によるバンブーダンスの披露や児童館の子供たちのフラフープでのお祝い。三年前か、おふくろの代わりにぼくがお祝いの言葉をいただいたのを思い出した。どうぞご長寿で!
その後、地元の吉田をウロウロ。小学校からの同級生のきくやに行ったら愛ちゃん、一心不乱に蕎麦打ちの最中。がんばってや!で、

 味美屋で讃岐うどん。美味かった!その後、吉田神社参道で剣鉾の練習が始まりまっていたのでお茶を差し入れ。
地元をウロウロ。

     <十二提灯こども神輿のこと>

 夜は、十二提灯子ども神輿の打ち合わせ。かれこれ復活して20年余か。いちおうぼくが代表世話人。剣鉾の仲間らを中心に地元の吉田のコアなメンバーと準備しています。昨年は親父を見送り喪中ということで裏方に徹したが、今年はいつものように復活。10月7日(土)の午後子ども神輿と十二提灯の2基を二手に分かれて、吉田の東部を練りあるき、8日(日)は神幸列の前を歩きます。吉田のこどもたち、ぜひ参加してね。
 解散後、友人に来てもらって、30年の集いに参加してもらえる人にチケットの発送作業。370人を超えそう。うれしいな。

●9月8日(金)

 朝、近衛広場で公園体操。リーダーの中川長重さんは、体操の前に最近は太極拳まで始められているのです。元気だし話術は巧みやし、もう脱帽。

     <『月刊地域闘争』と星野建士さんのこと>

 昼前、全国住民運動交流誌『月刊地域闘争』(ロシナンテ社刊)の発行人だった星野建士さんの告別式。1979年初めて市会議員選挙に出て負けた後、「月刊地域闘争」の編集に携わった。下鴨の一本松のバス停を東に行ったところのアパートの一室がロシナンテ社で星野さんや中広さん、そして播本さんらと悪戦苦闘しながら日々を過ごした。
 全国の住民運動に関わる人から原稿をもらって慣れない編集作業。洗剤の問題や給食のこと、ゴミ問題や原発など全国の住民運動をしている人に出会い、敦賀にも出向いて原発問題の特集を作ったのも記憶に残っている。その頃はもちろんパソコンもワープロもなにもなくて手書きの原稿で割り付けにも苦労した。そして何よりも営業活動がたいへんで、経営状態は最悪。星野さんたちは色々と苦労されていた。ぼくは画家の鈴木靖将さんにお願いして、素敵な絵を表紙にした。星野さんとは近くの鈴木屋という飲み屋でよく飲んだが、人間関係がギスギスしていて、新しい若いメンバーもすぐに辞めていったし、我が家も経済的にもしんどかったなあ。2年ほどでぼくは退社した。それ以降、星野さんもロシナンテ社を辞めて、後を四方君が継いで「月刊むすぶ」と改題して発行し続けた。

 その後、星野さんは「関西よつ葉連絡会」に就職。時たま集会などで会う機会もあったが疎遠になっていた。
市民環境研究所の石田紀郎さんのブログによると、「左京区在住で、<戦争をさせない左京1000人委員会>の主要なメンバーであり、この2年間ほどの間に、「左京フォーラム」講演会を17回も開催した仲間であった星野建士さんが9月6日の朝に他界されました。1970年代から反公害住民闘争を支援する雑誌「月刊地域闘争」の発行に尽力されたロシナンテ社の代表でした。最近は、私も参加している前記の1000人委員会の活動を中心に、フクシマの被災者、避難者への支援を続けておられました。彼が東京の知人に依頼して集めてくれる家庭内ホコリの放射線を私が測定していました。京都の我が家のホコリ中の放射線の百倍も高い線量が計測されました。こんな地道な活動を生涯を通して続けてきた星野さんでした。ひたすらご冥福と休んでくださいと伝えたいものです。」
 
 告別式では、当時のロシナンテ社時代に知り合った人と久しぶりに再会。心よりご冥福をお祈りいたします。
 
 その後、ひたすら事務所に戻って、30年の集いに参加の申し込みのあった人に向けてチケットを発送するべく名簿づくり。

●9月7日(木)

 朝からテレビのワイドショーは山尾問題。見るのも嫌になる。

 17日の集いに間に合うように、事務所でひたすら「30年の軌跡」の冊子の編集作業。福祉工房P&Pに無理を言ってなんとか15日までに冊子ができるようにお願い。そして参加申し込みの葉書が続々と来るのでうれしい悲鳴。350人程の方が参加してくれそうです。
 夜は、自治労教育支部のビアパーティ。今年採用された職員が初々しく司会するのでいつもながら感心する。支部長や書記長も若いし、
活気がある。日頃色々と議論している部長や課長らとも交流できてこのビアパーティはいつも楽しい。みんながんばってや!
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