ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

Cashmere blazer & Black watch pants

2010-12-15 04:00:00 | 白井さん


 誠に勝手ながら、今回はいつもより一日早い更新です。

 私は通常、“白井さん”撮影の前日にこのブログを書いているのですが、如何せん素人の哀しさでついつい執筆に手間取り寝不足になった挙句、肝心な翌日の撮影でボケ~っとしてしまうことが多々ありました。しかし、16日に迫った信濃屋さんのクリスマスパーティーでの撮影はいわばこのブログ“白井さん”を始めた一年前から待ちに待った“大舞台”!そのような大事な撮影日に寝不足の体で臨むわけには参りません。体調を整え万全を期すため今回はこのような運びとなりました(笑)。

 さて、今回の白井さんは久しぶりの“Blue blazer”。そして、今回は綺麗に撮れました(苦笑)“Black watch pants”を組み合わせての“ブレザースタイル”です。

 

 あれ?ボタンが??・・・。“もしかして、白井さん、寒いのかな?”と思われた方、私も同じことを考えました。

 『あれ?白井さん・・・ボタン3つ留まってますけど・・・(汗)。』

 『ん?いいじゃない、たまには(笑)。』

 ムムッ、どうやら寒さが原因ではないようです。

  

 実は、理由は今日のネクタイ。

 白井さんがこの日の組み合わせに選ばれた縞のネクタイはかなりの年代物とのことで、ブレザーのボタンを開けて見せていただいたそのネクタイは大剣のあたりに擦り切れがちらほら・・・この日の朝、締めた時にちょうどノットになる部分にも擦り切れが見えたので、結び目の位置を変えてやりかえしたそうです。ところが、そうすると大検より小剣の方が長くなってしまったので、今日は“3ボタン全部留め”という“遊び心”でネクタイをそっと包み隠された・・・というのが理由だったのです(笑)。このお話を伺ってピンっと来たのが、以前ネットで見た白井さんのインタビュー記事(以下抜粋)・・・。

 『色が好きだったりして愛着があるものは擦り切れてもしていますよ(笑)。』

 『ネクタイの締め方で肝心なのは、首もと(襟と結び目の間)にだらしない空きをつくらないことです。その急所さえおさえておけば、あとはそんなにピシッと決めなくても無造作でいいんじゃないですかね。僕も知らずに下(小剣)が出ていることだってあるし。ただ、こういう話をすると、それがイキとか言ってわざとやる人もいますけど(笑)。』

 横浜初物語 十二景 信濃屋シルクネクタイ・コレクション『白井俊夫のネクタイ考』より

 “ネクタイの小剣が出ちゃっても構わない”という発言も驚きなのですが、それ以上に驚く、というよりこの一年間もずっと思っていたことですが、白井さんはいつでも“言行一致”ですし、そしてその発言にも全く“ぶれ”がないですね。

  

 “ボタン好き”と自ら仰る白井さんは、今日のブレザーも、数あるコレクションの中から気に入られている“被せ”のメタル釦に付け替えられたそうです。“被せ”がお好きな一番の理由は“軽いから”とのこと。

 さて、今日のブレザーはカルロ・バルベラ(伊)のカシミアを使って製作した信濃屋オリジナル。

 ブレザーについて信濃屋さんのHPに掲載されている記事はいくつかあり、以前このブログでも一度引用させていただきましたが、今回もう一つご紹介させてください。少し長くなりますが、とても素敵な、私も大好きな一文です。

 『 オリジナルで初めてブレザーを製作したのは1967年頃のこと。M社で作ったものが初代となる。残念ながらディティールには少々不満があったと記憶する。先日ブレザーの修理を承った。それは今から40年前に製作したW社製オリジナルであった。そのお客様は当時、馬車道店のウインドーを眺め、20歳の記念に意を決して求められた思い入れのある商品とのことであった。これだけの年月を経てきたにも拘わらず、コンディションは良く、細かなところの修理のみで応対させていただいた。子供の代にまで伝えたい、今までもそしてこれからも大切にしていきたい一着と、少々照れくさそうに語っていた。(この時点で、もう一着35年前のR社製の3代目のブレザーも修理させていただいた。)

   ナチュラルショルダー、3つボタン上2つ掛け、7mmステッチ。ポケットは3パッチで腰はフラップ付き、センターフックドベント、ウエストは絞りの無い寸胴スタイル。英国Fox brothersのネイビーフラノ生地、裏地は海老茶色、ボタンはふっくらとしたメタルボタンと、当時にして米国BB社のものに勝るとも劣らない本格的なスタイル。この2代目にあたるブレザーには製作した信濃屋としても非常に思い入れのあるものだ。

 「当時住まいしていたアパートに、これに前後して交流の始まる赤峰幸生氏が大量の生地サンプルを持ち込み、一つ一つの生地を矯めつ眇めつ激論を交わし、こういったものを作ろう、ああいったものはどうかと時の経つのも忘れ、気がつけば朝になっていたことも一度や二度ではなかった。今思えば懐かしく、そしてとても楽しく貴重な時間であった。」当時を振り返り白井は語った。』(信濃屋HP“ORIGINAL BLAZER”2009・3・20掲載より

 

 文中に登場されている赤峰幸生氏は“マエストロ”の名で服飾好きな方なら知らない人はいない著名な紳士。そして先日、白井さんに伺って初めて知ったのですが、白井さんと赤峰さんは『桑沢デザイン研究所』の先輩後輩のご関係でもあるのだそうです。

 『当時の桑沢は今では考えられないくらい講師陣が豪華でね。亀倉雄策氏、田中一光氏、剣持勇氏、豊口克平氏、佐藤忠良氏、朝倉摂氏、浜口隆一氏、とまだまだ挙げればキリが無いくらいの錚錚たる顔ぶれだったよ。同級生にもいろんな奴がいて面白かったな。この前、当時の校舎の屋上で撮った集合写真を見たんだけど、背景に作りかけの東京タワーが写ってたよ(笑)。』

 と、白井さんから学生時代の思い出を伺ったこともありました。でも、

 『友達と遊んでばかりいてあまり真面目な学生じゃなかったね(苦笑)。』

 とのこと(笑)。作りかけの東京タワー、青春時代の白井さん、モノを作り出すエネルギーに満ち溢れた時代、良き師、良き友、そして信濃屋オリジナルのブレザー・・・何だか全てが一つに繋がるような気がするのは私だけでしょうか。



 この日の横浜はやや暖かいながらも朝から風が強く、白井さんは中折れとレインコートで凌がれたとのこと。忘れがちですが、“風”への防ぎは帽子とコートの大切な役目の一つなのですね。

 

 この日は『SHINANOYA SHOES COLLECTION』の初日とあって、多くのお客様が信濃屋さんの紳士フロアにお越しになっていました。そして、その方々の中には私にとって大切なお二人も・・・。

 まずは、『本格靴コレクター・おじおじの日記』のおじおじさん。

 おじおじさんには多くのコメントを頂いたり、また『“A SHOE SHINE MAN”』の回では、偶然にも“手”と“声”で動画にご出演してくださり(笑)、その余りのタイミングの良さとその回のシチュエーションにピッタリの絶妙の“キャスティング”には何ともいえないお可笑みがありました(笑)。おじおじさんには折に触れこのブログを盛り上げていただいたことに大変感謝しています。本当にありがとうございました。
 
 そして、もう一人。私と歳も近く、お互いまだまだ未熟ながら“真の着こなし”を学ぼうと切磋琢磨し合っている友人のT君。

 この日は“禁断の”ヤフーオークションで落札した信濃屋別注シルヴァーノ・ラッタンツィを履いて来店したT君。

 『良い色だね~それ、どうしたの?』

 と、白井さんに問われた時のT君の強張った顔。その後、白井さんにネクタイを選んでいただき、

 『10秒で決まりました(汗)。』

 と悦に入っていたT君の嬉しそうな顔。そのギャップはまさに“天国と地獄”といった観があり、傍らの私は笑いを堪えるのに必死でした。

 そんな忙しいT君。今だから言えますが、実は私にはたった一度だけ、このブログの連載を挫折しそうになっていた時がありました。そんな危機の時、私の心情を察してくれたT君は、信濃屋さんで“白井さん”撮影中の私を不意に訪ね、そっと励ましてくれたことがありました。

 もし、あの時のT君の行動が無ければ、もしかしたらこのブログは今日を迎えられなかったかもしれません。T君、本当に、本当にありがとう。

 白井さん、皆様、最後が些か内輪ネタになってしまい申し訳ありませんでした。ただ、お二人にはどこかのタイミングでどうしてもお礼を言っておきたかったのでお許し下さい。面と向っては恥ずかしいですから(笑)。

 さて次回、このブログはいよいよ“クライマックス”を迎えるでしょう。私が着ていく服は一年近く前からもう既に決まっていますので、後顧の憂い無く、“白井さん”撮影に集中できると思います。



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