先日、訪問した結城市の三蔵神社についての補足。
神仏習合と言う言葉があります。
私も専門家では無いし、複雑すぎて、理解が追いついているわけでは無いですが、簡単にメモしておきます。
仏教が日本に入ってきたのは、538年と552年の二つの説があるそうです。それ以前にも公的では無いルートで入ってきた可能性もありますが、いずれにしろ6世紀ということのようです。日本古来の宗教である神道は、その成立が不明瞭であるものの、現在根幹となっている天皇の暦である、皇紀が西暦+660ですから、紀元前660には存在していたのでしょう。この場合、紀元前1世紀と言うことになるので。日本での歴史には7世紀の差がある計算です。
二つの宗教は、仏教の仏の神化、神道の神の仏化によって、境界が曖昧になっていきます。これが神仏習合で、明治時代に再び分離します。
ネットでの情報が少なくて、私の想像も入りますけど、三蔵神社の祭神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)という記事を見つけました。出雲大社や大洗磯前神社、氷川神社や二荒山神社と言った全国の一之宮に祀られている有力神です。三蔵法師は、神仏習合前に祀られていたらしいのですが、それだと元々は寺なのかって事になります。三蔵法師=大国主神もよく判らないし。
この神社はよく判らないことが多くて、現地を見る限りは、土塁や堀がはっきり見えるので中世城郭と思われますが、茨城県の文化財データベースでは、「三蔵神社遺跡」として、縄文時代から平安時代の遺跡(12世紀までの遺跡)となっています。いや、これ中世の遺跡じゃ無いのか。
また、三蔵法師は、西遊記に登場しますが、実在した玄奘(げんじょう[602~664])がモデルです。水戸黄門と同じように、三蔵法師は尊称のことです。ですから、三蔵法師の誰を祀ったか不明ですし、もし彼を祀ったなら、あなたインドに行ったんじゃ・・・となります。日本人にも三蔵法師と呼ばれた人物がいたそうですね。
いずれにしろよく判らないということです。