今日も日曜日(旧ヒストリア)

定年退職後の毎日についてブログにしました。
当初は定年後立ち上げた「掛川ヒストリア」というグループのブログでした。

とうもんの会 名倉さん

2017-02-05 | 大日本報徳社 2016~

20170205

報徳社、2月常会。

2月5日(第1日曜日)午前中、この日は雨が降り寒い日となった。

今回の講師は「とうもんの会」の名倉さん。

「とうもんの会」とは掛川の南、旧大須賀町にある「とうもんの里」を拠点に、農村(景観や文化)の良さ・農業の楽しさを守り伝えたいと活動をしている。とうもんの里には何度かお邪魔したことはあるが、話をじっくり聞かせてもらったのは初めて。実にいろいろな事を知っていて、二宮尊徳より二宮金次郎が好きという、お茶目な所もあるおばちゃんだった。

 

 とても参考になる話も多かった。この活動は10年になるという。とうもんの会のブログ

何が彼女たちをこういった活動に駆り立てたか。全ては消費者との接点から始まったという。

彼女自身はメロン農家だったという。それまでは農協から出来について小言を言われたことはあっても、消費者からの誉め言葉を聞いたことがなかった。それは当然。メロンや作物は市場に出している時は、出荷すれば終わり。価格だけが出した作物の評価、1年間の丹精を込めた作物の評価は金銭評価だった。ところが市場に出せないものを直接お客さんに販売したところ、「うまかったー!」「甘かったねー!」という褒め言葉をもらったという。

消費者は自分たちの野菜をこんなに喜んでくれるのかという初めての驚きだったらしい。褒めてくれる、また来てくれる消費者は農家の又作ろう、もっといいものを作ろうという意欲につながった。大袈裟な云い方をすれば、生き甲斐・やり甲斐だ。

またとうもんの里に来たお客さんから、田圃だけの周囲の景観を見て「何もなくて良いところだ」と評価された。この景色は自分たちがもっと評価すべき資産なのではないだろうかとこれも外のお客の話から気付かされた。

そうして10年が経って、地域の自然や伝統が感じられるようにと今は100の事業を行っているという。

例えば、行事食。この地区は海に近いエリアであるため魚などが食卓にあがるのだろうが、農家には農作業と密接に結びついた行事食がある。節分なら鰯(いわし)、お茶の作業のホイロあげの頃には小振りで丸いカツオを料理したかつお茶漬け、田植えが終わった「さなぶり」にはマグロのベッコウ漬けやベッコウ寿司。恵比寿講にはサクラ飯と紅白ナマス。そろそろ米の途切れ始める7月頃(昔は十分に自家用の米を確保しなかったという)には素麺などの粉もの。こういった行事食の文化を残したいと活動拠点に併設した食堂で、こういった料理を出すという。

こういった行事食が嫁姑問題などもあり、家1軒だけではなかなか伝承され難い問題があるようだ。しかし地域で行事食を評価し直していると、若い嫁さんが関心を持って取り入れて工夫をしようとするらしい。家の姑にはそういった知恵もあったりするのだろうが、何とも今様で面白い。しかし形はどうあれ、昔から様々な知恵で地元にはそういった行事食があったということが伝わることはこれまた素晴らしい事でもある。

百姓についても触れていた。百姓は「100の仕事のプロ」だという。草鞋を編む、川を改修する、家を建てる、木を切る、瓦を焼く、綿や絹の糸を作る、衣類を作るとそれぞれ得手不得手はあろうが、何から何まで自分で行う。現在では分業化が進む。レタスだけを栽培する人はもはや百姓ではない。レタス栽培農家だ。良い悪いではなくそういう時代だということ。報徳訓の「衣食住の三つは田畑山林にあり」という。

百姓は「諦めない心と諦める心」が必要だという。諦める心とは、災害や天災に遭った時のことだという。このあたり二宮尊徳の云う「水車」の話と似ている。現実を受け入れ・受止め、その状況をどう変えていくかというあの話だ。今食べている米は昨年丹精を込めて収穫した米、今田圃にある稲は来年食べる米という話は、報徳訓に云う「今年の衣食は昨年の産業にあり、来年の衣食は今年の艱難にあり」に相当する。

なかなか味わいのある話を聞かせてもらった。有難うございました。

 

 



コメントを投稿