夫婦で歩いた四国の遍路

奥さんの「お遍路しちゃいました」を併記しました。 (プロローグ2月10日より、ページタイトルのクリックで読みやすく)

参考文献

2006-06-29 13:13:01 | Weblog
参考文献
         「四国遍路ひとり歩き同国二人」 1997年9月1日  第5版
             著者  宮崎 建樹
             発行所 へんろみち保存協力会
                 〒791-8075愛媛県松山市ひばりヶ丘5−15
                 TEL 089−952-3820
         「四国遍路ひとり歩き同国二人」 2004年4月1日  第6版
             同上
             解説編(¥1,000)と別冊地図編(¥2,500)で構成
             計画、予算、装備、予防、ケア、宿泊、作法、から托
             鉢、野宿まで準備に必要な項目が網羅されている。地
             図編は国土地理院の地形図をベースにして道中ずっと
             お世話に成る物、食事のできる店、宿泊の連絡先が記
             載されていて必携品。
         「娘巡礼記」  2005年5月24日  第4刷
             著者 高群 逸枝
             岩波文庫
             1918年6月6日から12月16日 九州日日新聞紙上105回の
             掲載が初出、遍路紀行の古典
         「四国遍路」  2004年12月17日  第13刷
             著者 辰濃 和男
             岩波新書
             著者は元朝日新聞「天声人語(1975〜88年)」を担当




                   「夫婦で歩いた四国の遍路
                          &
                       お遍路しちゃいました」

                       2005年7月1日
                        hissuz@nifty.com
                http://www.geocities.jp/hissuz(経費明細) 


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「エピローグ」

2005-06-24 16:12:36 | Weblog
エピローグ

■「お四国さん」は異次元の世界だという人がいる。非日常的な体験を通して自分の中に独特の世界が作られていく。
 「お四国病」という病があるという。一度回ると、また回りたくなるという。5回で緑の納め札、8回で赤、25回で銀、50回で金、百回以上で錦のお札を用いるという。
 遠い古から歩いて回っていた人たち。現在の自動車で回る人と違いもあり、一通りではないが、先達、大先達として世過ぎをする制度もあるようである。
 誰かが大人のテーマパークだといった。多くの人たちに会い、また親しく接して暖かい気持ちを戴く。現実世界では出来なかった体験である。
 若い人たちも多く回っていた。野宿の若者、1日4〜50キロも歩く若者、女性の一人旅。中には女性の野宿もいた。動機はそれぞれだが、皆素直な気持ちで接して呉れることも現実世界では難しい体験である。
 道ですれちがう土地の人たちは必ず会釈をして通り過ぎる。子供達までが一様に挨拶をしてくれる。遍路姿はオフィシャルなのである。
 道端で座って食事をしていると、何処で見ていたんだろうと思うほど接待の飲み物をわざわざ持ってきて下さる。ずいぶんドリンク剤と缶コーヒーを頂いた。川原で休んでいると大きな夏みかんを持ってきて、食べやすいようにとナイフを入れて頂いた。たまたま通りすがりの人から飲み物でも、といって、100円、120円と渡された。バイクで追いかけて来て渡してくださった方もいた。
道で立ち止まって地図を見ながらキョロキョロしていると、必ず車が止まってこちらです、と教えてくれる。10分間に3台の車が止まってくれたこともあった。
 今年の春はお遍路の数が多かったようである。ブームといっても言い過ぎではないのかもしれない。しかしこれだけ広い、年代、世代に支えられて1000年の歴史がある。一方の極に、「門付け野宿」という本来の遍路姿があり、今でも続いている。奥が深い。
 お寺さんによってもいろいろで、ただの納経帳にパートタイマーが機械的に書いて渡すだけのところから、通夜堂、宿坊を含めて生一杯のもてなしで迎えて下さり、去りがたい気持ちでついつい長居をしてしまうお寺さんもある。
 民宿に泊まって、女将自らが洗濯をしてくれた事もたびたびであった。もっとも妻はその後で、下着を自分で洗っていたが。
 出かける前、今度四国へ行ってくると、徳島出身の友人に言うと、中止せよと忠告された。他人のお寺さんをお参りするより、自分の先祖の供養をする方が先ではないか。四国のお寺にはお大師様さまだけでなく、怨霊が沢山いて、いい加減な気持ち、迷った気持ちで行くとよくないと言われた。
また道中で会った6年間ずっと帰らず夏も冬も回り続けている遍路からはお接待を受けるということは、それと同時にその人の厄も一緒に貰う事である。接待を受けたら次のお寺で、その厄を必ず落として行かなければいけないと言われた。
 昔から道中で行き倒れになった人の数は一説によると、10万体と言い、また他の説ではとてもその数で収まらないだろうという。遍路みちにはお地蔵さんと共に、無縁仏の石碑が至る所で見ることができる。行き倒れを村人が葬ってあげたんだと言う。
不治の病で家に帰れなかった人たちが、集団で行動していて皆でいっしょにお大師様さまのところへ行こうと自ら命を絶った人たちの話しも有った。
修験者が修行していた場所では、その厄がいっぱい落とされているのでと言って、お守りとお札を38枚渡されてから、その場所への立ち入りを許された所もあった。
 大先達の方からは巡礼から帰ったらまず、先祖の墓に報告をしなさい。そして自分の守り本尊の真言を唱えると何処にいても、来て呉れて守ってくれると言われた。
 私自身、1番印象深かったのは、古代インドの四住期(学生期、家住期、林住期、遊行期)のうち、最後の遊行期に相当するのではないだろうかと思った場面であった。手押し車を肩紐で引っ張っていた兵庫から来ていた方が、さりげなく私は一人暮らしで、家に居てもすることがないからこうして回っているのです。雨の日に動いて怪我をしてからは急ぐ必要もないので、雨の日はじっとして動かないことに決めました、と話をされていた。その姿がなぜかすがすがしくて、今でも脳裏を離れないでいる。現代人がとかく林住期で安住してしまう事から、遊行期にまで精神的に昇華されていった姿がそこにあり、あるいは自分が求めていたものがこれであったのかもしれないと、そのとき鳥肌が立つほどの想いがしたことであった。
井上優氏が言われた「日本人にとっての究極の旅」とは一体なんであったのか、テーマパークから「死の島」まで、そして1000年の歴史を超えてなお、「お四国さん」は存在し、今まさにブーム到来といった感じである。それだけの魅力があり、今後とも人それぞれの思いの中にそれぞれの四国であり続けていくのかも知れない。

●夫に付いて私もお遍路に行こうと決めたとき、まったく知識のなかった私はインターネットや本などで、お遍路とはどんなものか調べました。でもその結果歩き遍路は中年〜老年の男性が行く、なんだか堅苦しい修行と言うか自分探しの旅?のような気がして、文章には「○番を打ち終わりその後・・・・」てきな文章ばかりで。そんなところに私が行って大丈夫なのかしら?それも体力もないおばさんだし、と不安でいっぱいでした。
 でも行って見てびっくり若い人も女性も一人で歩いていて、これがなかなか楽しかったです。さすがにおばさんは家庭のこととか孫のこととか(私がおもうには)で2〜3人しか会わなかったけど、でもこんな楽しい旅おじさんだけにさせたらいけないと、思いました。
 足が痛くて毎日シップをはってとかいろいろ大変な話するけど顔は少年のように輝いてるんです。若者もそうです。歩いてるうち皆いい顔になって。もっと気楽にお遍路楽しんでいいじゃないですか。何も考えなくても最後には自分が今日こうしていられるのはって、わかってくるんです。
 何しろ私は悩める若者に勧めたいな。お金がなければ野宿でも通夜堂でも四国に行けば白衣を着ればお大師様がみかたです。ぜったいリフレッシュできます。気持ち変わります。人の意見を聞かない、自分が一番正しいと思ってるおばさんの私でさえ、考えちょっと変わりました。別に遠くまで行かなくても四国でいいんです。白衣を着て杖を持てばそこは異次元、究極のテーマパークです。


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「46日目」

2005-05-18 00:00:00 | Weblog

■2005/05/17     「46日目」   
 いよいよ今日は奥の院にお参りして88箇所巡りの締めくくりである。6時半から本堂で朝のお勤めに参加する、といっても読経を約30分間聞くだけであるが、スイス人は神妙に座っている。7時から毘沙門堂に移動して護摩法要である。昨日説明のときに撮影の許可をいただいてあったので初めての護摩法要をベストポジションで撮影することができた。
 奥の院は9時ごろから納経出来るというので8時30分になり荷物を預けて出かける。一の橋から先は大きな杉林の中に歴史上の人物を含めて旧藩の菩提所が続いている。中の橋を渡りなお行くと御廟橋から先は撮影禁止である。奥の院は聞いていたとおり右回りに御廟を回り参拝を済ます。帰りに一の端まで違う道を散策しながら歩く。真新しい菩提所は企業の物故者を祀る墓所になっていて、企業が現代の大名であることが理解できる。
 恵光院で荷物を受け取りここからはそれぞれ高野山を散策しながら帰って行くことになる。妻の土産物に付き合いながら本山である金剛峯寺まで歩き納経を済ませ、内部の見学をさせていただく。高野山で昼食をと思っていたがあまりお店がなく、大阪難波まで行くことにして高野山を後にする。これで全工程終了である。南海高野線の特急でビール、ウイスキーを飲みながら越し方を振り返る。
 難波から心斎橋まで歩き途中お好み焼きと明石焼きの昼食をとり一路新幹線で東京に戻る。我が家に8時過ぎに着き、とにかく無事今回のイベントが終了したことに感謝する。

●5月17日 東京へ
 朝お勤めと護摩法要に参加して奥の院まで行きました。ここでお大師様は眠ってるそうです。納経をすませ、総本山にも行き最後のお経をすませました。般若心経200回近くあげたけどとうとう暗記できませんでした。でもだいぶお経らしくなってきたとおもってます。

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「45日目」

2005-05-17 00:00:00 | Weblog

■2005/05/16     「45日目」    晴れ   4キロ
 6時朝食、7時スタートで今日は下山日である。
Oさん(横田めぐみのお母さんに良く似ている、巣鴨、66歳)、永チャン、Yさん(独眼流正宗、元恵比寿、73歳)と5人で4キロ先のバス停長野まで歩くことになる。大窪寺発のコミュニティーバスは10時30分なのでそれによりも早いバスに乗るために歩き、8時50分発JR三本木駅まで行き、そこからJR高徳線で徳島駅に出る。徳島駅からは高速バスで大阪灘波まで行き、高野山のケーブル山頂駅の観光案内所で宿坊の紹介をお願いする。
 奥の院近くの恵光院に4名が入る。永チャンのみ南海の高速バスで2時間ほど遅れで別行動。4時30分宿着、恵光院は大きなお寺さんでよく行き届いている。建物が格調の高く歴史をしのばせるが、設備は最新の設備で清潔でありチリ一つなく、随所に大きな生花が配置されており気持ちが良い。庭にはシャクナゲが満開で、部屋の窓からも一面のシャクナゲである。寺の配慮で5時30分からの夕食は4名一緒の部屋に用意され、ここでも私とYさんは酒盛りである。高野山はまだ寒く部屋にはストーブをつけ通しであった。
 私たちの隣りの部屋は風呂場で一緒であった外国人のカップルで名古屋の万博に今年1月より来ているスイス人である。彼女を3週間の滞在で呼び寄せ金沢、高山、東京などをバカンスで回っているという。

●5月16日 高野山恵光院宿坊
 朝6時に宿を出て、バスーJR−高速バス−南海電車―ケーブルカーーバスと乗り継いで4時ごろこの宿坊に到着。
 高野山について昔20歳ごろ来たおぼえはあるのだけど、こんなに町全体がお寺さんだったなんて、それも半分が宿坊してるなんて、知りませんでした。
 この恵光院はケーブル降りたところの案内所で紹介してもらったのだけれど、すごく広くて古いけど、トイレやお風呂は綺麗であたらしくどこもピカピカにみがいてあって、お花が飾ってありとても気持ちのいいお寺です。
 夕食もおいしく量もちょうどよく四国からいっしょのYさんOさんと4人で楽しく食べました。隣の部屋は愛知博で仕事に来てるスイスのカップルでした。
 明日は6時半から本堂でお勤めだそうです。部屋から眺める庭には石楠花が満開で最後の旅の夜を飾るのにぴったりの宿です。何しろ45泊のうちにはいろんなところありました。でもこの2,3日良い宿に恵まれ感謝です。そして気持ちのいい道ずれと最後旅が出来本当に楽しい遍路の旅でした。明日は奥の院と総本山に最後の納経です。

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「44日目」

2005-05-16 00:00:00 | Weblog

■2005/05/15    「44日目」   12Km  昨日同様日陰は涼しく過ごしやすい
 今日は出来るだけゆっくりで良いのだがスタートしたのは6時45分であった。体がそれに慣れてしまい、5時になると自然と目が覚める。88番大窪寺を残してすべてを回ってきて最後の日になった。皆それぞれ足取りは軽やかである。休憩をいっぱい取りながら楽しんで歩きたいと皆思っている。終わってしまうのが惜しい気持ちである。
 昨晩夕食を共にした夫婦は10キロ先の白鳥温泉まで行くそうである。同宿の一人は朝6時20分にタクシーを呼んで出かけていった。どうしても明日東京で用事があり今日は大窪寺と高野山のお参りをすませたうえで今晩東京まで戻るそうである。そういうことも出来るようになったと宿の女将が話してくれる。その女将と宿の前で記念撮影をして出発した。
 最初は県道3号線を行くが途中より平行する遍路道に入る。途中コンビニで昼食のパンとオニギリを買う。通常であれば5時間行程で昼に着いてしまうが、できるだけゆっくり歩きたくて昼食を調達する。昨年の台風で決壊しした来栖神社経由の山道は修復されて通れるようになったばかりであったが、3号線沿いにある遍路交流サロンによって行く為にダムを超えて道の駅まで行く。その正面にサロンはあり、資料館を見学させてもらう。
 館長の木村さんから完歩証としての「四国88箇所遍路大使任命証」とバッチを戴く。無料で地元ロータリークラブのボランティアであった。妻は早速ザックにつけさせてもらう。道案内に貼ってあった大型の案内シールのデザインで洒落たものである。
 山道は標高774メートルの女体山へと登っていくが道は至る所で決壊されていて、修復されてないところは巻き道を通り、かろうじて手製の橋が架かったばかりのところもあり、以前とは様相が一変していると地元のハイカー氏である。もっともそのハイカー氏も30年前に来ただけで、今日は病み上がりの足慣らしできているという。我々が林道を避けて山道に入ろうとすると、そちらは険しいのでやめた方が良いという。我々は車道を避けたいのであえて山道を選んでいる、昔の遍路道でみんなここを通るっていると地図で示すと、それでは自分も行ってみると言って歩き始める。
 女体山頂の休憩所でみんなの顔が合いそれまでの鎖場などを登って来ただけに「女体にはお互い苦労させられますなあ」との言葉で妻は元先生に違いないといった。聞いてみるとやはりそうであった。女性の観察眼の鋭さである。昨日志度寺で泊っていたのはやはり元先生であった、10キロやせたとのことで初めは分からなかった。A嬢、N君などはだいぶ後を歩いているという、元先生のSさんは多い日は50キロ歩いたこともあったという。後で聞いた話では日本史の教師をやめ今度できるであろうサッカーチームの監督に誘われ、近くブラジルに研修に行く予定であるという。歩きから体育会系と目星をつけていたが高校のサッカーの監督をやっていてそのものであった。まだ正式契約をお終わっていないのでとの注釈付きで話をしてくれた。
 そこからは今度は一気に標高445メートルの大窪寺まで330メートルほど降る急な坂道となる。やはり膝にくる。やっとの思いで大窪寺に着いたときは先を行っているはずのエイチャン事矢沢永吉のソックリさんと一緒になる。ゆっくり納経を済ませしばらく境内で皆と談笑する。こんなことは今までなかったことである。お互い記念写真のシャッターを押し合い、ここで傘と杖を納めさせてもらう。そして「証」の結願証を戴く。
 宿八十窪の夕食は大変和やかなもので全員で記念撮影などをして、話も大いに弾む。皆酒が進み42日間の酒断ちを今解いたという人もある。私自身も夕食前にはビール3本が空いている。夕食の後、部屋で宿のノートに書き込みをしていると元先生が部屋まで訪ねてきた。各部屋を回っている。 こんなことは今までの自分にはできなかったことで有る、教師は自分の方からこうしたことをすることが苦手な人種であるとい言っていたが顔が輝いて見えた。みんないい顔をしている。きっとサッカーチームもうまく行きますよ、私たちも応援しますとここでも酒を飲み交わす。妻と同じ54歳だという。10年間思いきり仕事をして、もう一度10年後にくるといっている。今回の四国遍路もそれへの自分自身の挑戦であったようである。明日は歩いて1番まで戻り、それから高野山に行くといい、一番まで戻る最初に会った人となった。1番霊山寺まで34キロを1日で歩いて行きたいと言っている、できそうな勢いである。最終日にふさわしい1日となった。

●5月15日 民宿八十窪
 今日結願(けちがんって言うそうです)です。
パチ、パチ、パチ、頑張ったね。おめでとう。自分をほめて上げるよ。
歩くのだけでも大変なのに重いリュックを背負ってだもの偉かった。
 とこのくらいにして、最後の女体山が結構大変でいっきに760メートル登りお寺は400メートルのところだけど何しろ岩場があってそこでころんで手をすりむいてる人もいたりして。途中お遍路交流センターと言うところがあって、そこで一人ずつにお遍路大使任命書って言うのとバッチをくださりお茶とお菓子でちょっとくつろげました。
 最後の宿は定員8人でほとんど皆どこかで会っている人です。みんなとってもいい顔で私は3キロしか痩せなかったけど夫8キロ、最初の方に会ったことのある学校の先生だった方なんか10キロも痩せたんだそうでちょっと始、分からなかったくらいです。
 夕食はみんなでビールで乾杯し記念写真を撮ったり思い出話に花が咲いて楽しく過ごしました。お赤飯もだしてくださったんです。
 いろいろ迷ったのですが金剛杖と菅傘は88番大窪寺に納めてきました。なんか手持ち無沙汰です。明日は高野山にお礼参りです。

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「43日目」

2005-05-15 00:00:00 | Weblog
■2005/05/14    「43日目」    晴れ  20℃  日陰は涼しいぐらいで快適
 握り飯を食べて6時15分スタート、昨夜いなかった宿の主人が出てきて見送ってくれる。足はどうか道は分っているかと色々気を遣ってくれる。84番札所屋島寺へは昨日来た方に一度戻り、西側斜面から登っていくことになる。道はよく整備されているというよりは石畳が頂上まで続いていてそこをウォーキングの人たちと一緒に登っていく。
 土曜日とはいえあまりにも多く、何か大会でもあるのかと思っていたら山門直下のところにウォーキング番付表があってそれにトライしている事が分かった。千回で横綱であり、何人もの人が登録されていた。
 標高284メートルはゆっくり40分ほどで到着、眼下に瀬戸を見下ろす絶景の景勝地である。源平の戦場であり、それらの遺跡に囲まれて、いま又、NHKの大河ドラマ、タッキーの源義経ブームの中だけに登り旗が上がっている。境内は広くゆったりとしていて遍路姿がちらほら程度で朝早いお参りを楽しむ。一人遍路と、もうすぐ終わってしまうのは惜しいですね、やっと調子が出てきたのに等の話になる。
 下りは反対側の急な山道を降りる。途中横断注意の立て札のある自動車専用道路を横切って里山へ降りてゆく、一度降りきって車道を今度は85番八栗寺に向かう。すぐ反対側の山への上りになる。両方とも山にはケーブルカーが動いているがわれわれには縁のない代物である。ケーブルカー駅前のうどん屋でまだ開店準備中のところをうどんだったらできるというので食べさせてもらう。古色然とした重厚な建物に酒袋の座布団といった凝った作りでビールとおでんもついでにもらう。朝おにぎり一つで二つの山越えは厳しい。
 これでやっと準備が整う。こちらの山道もよく整備されていて土曜日のせいかボランティアの方が清掃をしてくださっていた。山頂から振り返ると84番屋島寺がここよりやや高い位置に見える。ここからの下りも大変だった。ずっと車道を降りるのだが急な長いコンクリートの下りは大変疲れる。降りたところが石工の町牟礼である。
 あとでわかったがここにはイサムノグチの庭園美術館のあるところである。もっとも美術館はあらかじめ予約を取ってないと入れないのだが、一度訪れてみたい美術館の一つである。
 道は琴電志度線とJR高徳線に挟まれて86番志度寺へ向かう。終点志度駅の手前に平賀源内の生誕地と資料館がある。近くのお寺でパンとビールの昼食をとる。これぐらいの昼食の方が調子がいい。志度寺で野宿の修業僧とあったのでK氏のことを聞くと昨晩善通寺の通夜堂で一緒であったという、1日遅れぐらいの所にいるようだ。自転車はすでに乗り捨て徒歩であったとのこと。88番で線香屋のN君の父君と話をしたいと言っていたのでそれに合わせて移動しているのだろう。
 ここから87番長尾寺へは国道11号線を行くことになるが、4キロ地点からは旧遍路道に入りホッとする。国道歩きは本当に疲れる。同じ距離でも遍路道だと疲れは半分以下の感じで、歩くことが気持ちがよい。要所要所に遍路休憩所も設けられて湿った靴下を交換してザックに乾かしながら歩くと全く快適である。終り近くになってやっても始まらない。それまでの苦労が嘘のようである。長尾寺門前の旅館ながお路が今日の宿である。荷物を置かせてもらいお参りをすます。旅館は清潔で気持ちよくここのところ終盤を楽しませてもらっている。夜の夕食では同じく夫婦二人連れの歩き遍路と、一人の老婦人遍路と同席になりこれまでの話に花が咲く、ここでもいちばんには戻る必要はないと皆の意見が一致してしまうのは面白い。菅笠と杖は88番に収めていくという事になる。あとは高野山に一泊するかどうか、慌てる旅でもないのでできるだけゆっくり楽しみたいところである。
 国道11号を歩いていると山頭火の石碑「カラスがないて わたしはひとり」があった。妻は「ウグイスが鳴いて 私は一人」でも、「牛が鳴いて 私は一人」でも一緒という。歌心のない奴である、私は「妻がぶつぶつ言って 私は一人」と返す。

●5月14日 民宿ながお路
 もう残すところ1日です。今日は84番屋島寺、85番八栗寺、86番志度寺、87番長尾寺です。
84番屋島寺は源氏と平家の戦いで有名なところですが、今はロープウエイが廃止されたせいか、訪れる人も少なくホテルもとっても見晴らしのいい場所にあるにもかかわらず廃墟となっている所がありました。85番八栗寺も町の中を抜けてまた山登りでしたが、こちらはロープウエイがあるので人がそこそこきてました。もちろん私たちは歩きです。
 夫は足が歩いてると汗かいてそれが冷えるとしびれるんだそうで、もともと冷え性で夏でも靴下はくタイプなので大変です。1時間ごとに休んで足を虫干しして、靴下も変えて脱いだほうはリュックにぶら下げて乾かし次の休憩で取り替えるって方法あみだしました。
 それでも午後になると足がじんじんするって言って、不機嫌になって、何か言うと逆切れするしまったく困ったもんです。今度来るときつれてきてあげないからって思ったけど、つれて来られたのは私のほうだった・・・・。もう来てあげないんだ。

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「42日目」

2005-05-14 00:00:00 | Weblog

■2005/05/13    「42日目」     晴れ時々曇り  24Km
 朝5時15分からの座禅はひざが思うようにならず、また妻は昨晩電話などの物音でよく眠れなかったので欠席をさせてもらう。7時30分からの朝食を食べずに出掛け様とする私たちに、またコーヒーを入れてくれ乾パンの差し入れまでしてくれる、すべてこれらはは世話焼きさんの自腹なはずである。結局この道場は世話焼きさんによって外部との接点が保たれ、あとはほとんど我々と口をきけないような状況である。
 6時15分スタート天気は良く車の通っていない車道の下山である。はるか下界は瀬戸内の景色が遠くかすんで見える。普通ではできない良い体験をさせてもらったと話しながら降りてくる。道はショートカットの遍路道を交互に降りて里山に出る、鬼無の植木盆栽の産地となっている中を通り過ぎる、駅前の食料品店でやっとパンとリンゴを購入近くの神社で食べる。アンパンとリンゴの丸かじりは定番になりつつある。
さかんに通学の学生と行き交う。ここから先は古い街道、農道、生活道路をつないだ遍路道を標識を頼りに確認しながら進んでいると、朝の散歩中のお年寄りが先に立って案内してくれる。約30分位してこれから先は分かりやすくなっているからと別れる。高松高専下の沈下橋を渡ってから標識を見失い大回りしてロスをしてしまう。それからもまた裏路地のような所を通りながら道はくねくねとよく曲り、やっとのことで83番一宮寺に着く。
 正面の山門に回り納経をすますが境内は一般参拝が一人二人いる程度でまだ静かである。名の通ったお寺とそうでないお寺との参拝客の差が著しい。
 84番屋島寺へは高松市内を通り過ぎて行くわけだが、地図によると県道172号で市内中心部に入ることになっているが、同行二人の愛媛に入ってから見る標識に従って旧遍路道をたどって行くと、どうやら市街地は通らず郊外の裏道をつないでいるようである。途中昼食を食べようと道をそれて、町中のセルフうどん店に行った後、先ほどからたどってきた旧遍路道に入ろうとするが見失ってしまう。
 琴電太田駅を過ぎたあたりから、旧街道をあきらめて新しくできた11号バイパスを行く。郊外型のショッピングモールになっている広い通りを何度となく横断地下道を通らされながら進み、JR高徳線を過ぎ従来の遍路地図の通り11号線を屋島へと向かう。途中詰田川手前で大きな車4台を巻き込んだ交通事故に遭遇しながらも町中の固いアスファルト道路を頑張っていると、自転車に乗った上品なおばさんにお接待をさせてくださいと、二人に200円ずつ待たされる。を札を渡すと大事そうに受け取られた。
 やっとの思いで今日の宿泊先である琴電屋島駅前のひろせ旅館に3時頃到着。宿の女将に屋島寺まで行ってくるかと聞かれるが二人にはその元気は残っていない。早速風呂に入れてもらい夕食までの一時、布団をひかせてもらい仮眠する。特に妻は昨晩よく眠れなかったとのことで気持ちよさそうである。6時に電話で起こされ、食事別の素泊りになっているが1階の食堂でおでん定食をいただく。翌朝は7時からの朝食とのことでおにぎりを用意してもらう。
 昨晩の宿に比べてこぢんまりとしているが清潔な宿は天国のように感じられ、風呂もゆっくり入れてもらい、昨晩出来なかった髪も洗え、洗濯物も広い干し場でいっぱいに使わしてもらって白衣からすべて洗濯をさせてもらいもらう。日が明るく差し込む部屋でゆっくり昼寝をさせてもらい幸せな気分になれたのは、昨日との比較で昨日の体験があって今日の幸せな気持ちが味わえたわけである。当たり前と言えることの有難みを感じている。
 気さくな女将で今日は主人の身内に不幸があって旦那は出かけていて女将一人でやっている。素泊まりで安く、食事は好きなものを食べられる気さくさがあって、お勧めの宿の一つである。今日は昨日の分までビールを飲んでいる。妻は横で昨日分まで寝ている。
 今日は高松市内の中心部をひたすら避けて歩き、栗林公園も関係なく、昨日は金毘羅さんも関係ない旅である。目的のある旅というのはこういうものであるのかと思う。残す工程はあと2日だけになってしまった、名残り惜しいような気持ちもあって感慨ひとしおである。

●5月13日 ひろせ旅館
 禅喝破道場の朝の座禅もお勤めも食事(7時からと言うので)も辞退して6時半出発しました。でも何かと親切にしてくださった和歌山から来てると言うSさん。(本堂の横の部屋に寝起きしてらして夜コーヒーとか乾パンとか差し入れしてくださったんです)学校の先生だったそうで、定年でやめて子供が(教え子だと思うけど)この道場に入りたいと言うのでどんなところか去年の11月に体験入山してそのまま手伝ってって言われて、今もいるそうです。
 道場に隣接して不登校児など預かる施設ありました。そちらにも先生やお世話する方いると思うけど、何しろ道場ではこの先生だけ普通って感じで、後は良く分からなくて・・・・。それで先生住所もここにもってきてずうと手伝ってって言われてるそうです。私ならことわっちゃうけど。だってなんか訳分からないんだもの。
 夫なんかビールの空瓶がケースに入って置いてあったのみてぬるーい風呂はいったあと「ビールありますか?」って聞いたら「ここは禅道場ですからアルコールは禁止です」って怒られたんですって。まあもっともな話だけど、一応遍路宿もしてるわけなんだから、座禅とかも自由参加にしてほしいよね。だいたいこの辺までくるとみんな大なり小なり足痛めてるんだから。
 とか思いながらずーと山を下りて町の中に入り車道をくねくね曲がり12キロあまりで83番一宮寺に着きまたそれから10キロ高松市を抜け屋島へ。山道はいいけどほんとにコンクリートの道は疲れます。きのうの夜なんだか怖くて1時間くらいしか寝てなかったのでくたくたです。国道を歩いていたら車4台を巻き込んだ事故見てしまいました。長く歩いてるといろんなことにあいます。
 今日の宿は琴電の屋島の駅前です。食堂もしていて部屋はなんと素泊まり3800円です。食事は食堂で好きなもの頼んで私はおでん定食にしました。甘いお味噌がかかっておいしかったです。朝ははやいのでおにぎり作ってもらいました。お部屋もお風呂もきれいに掃除してあって気持ちよく洗濯も屋上で好きなときできて物干しも広く太陽で乾かせすっきりしました。きのうの体験があるから今日の普通が素晴らしく見えるのかも。明日あさってで88ヶ所結願です。

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「41日目」

2005-05-13 00:00:00 | Weblog

■2005/05/12    「41日目」   雨のち曇り    22Km
 朝食をとらずにホテルを6時20分にスタート、県道33号線を行き途中のコンビニで朝食と昼食を買い、朝食を例によってコンビニの前で座って食べる。おにぎり1個とお茶の朝食である。誰も昨夜ホテルに泊まっていたとは思わないだろう。その非日常性とギャップが楽しい。
 朝は気温が高めであったので、案の定明るかった空がだんだん雲が厚くなってくる。79番高照院を打ち終わったあたりからポツポツと降り始める。高照院はトイレの鍵がかかっていて使えないので納経所に行くと鍵を貸してくれて、使ったら閉めておけと言われたとのこと。掃除をしてないのが理由であると言っている。いろいろである。妻はぶつぶつ言っている、女性にとってトイレの問題は大きい。
 途中の家で庭の掃除をしていた主婦に今日の天気予報を聞いたら雨だとのことで、菅笠とザックカバーをつけて、雨具をすぐ取り出せるように準備をする。どこかで耳にした週間予報で週末頃、一度天気が崩れるようなことを言っいてた事を想いだす。降れば降ったで対応すればよい、旧街道の遍路道を行き一度鴨川駅前から橋を渡って綾川沿いをしばらく行と、国道11号と合流して国分駅手前から遍路道に入り、80番札所国分寺につく。
 国分寺は大きなお寺さんですでに団体さんが何組もお参りをしている。連休を過ぎてから又団体さんが増えてきた。やはり雨は打ち終わるころから本降りになってきて、完全装備で出発する。
 81番白峯寺と82番根香寺へは山登りである、車道から山道の遍路道に入り上りは比較的緩やかだったが整備された道はだんだん高度を上げて行く。昨日追い抜いていった2人組みが上から降りてきた。聞くと82番を先に回ってしまい、仕方なく一度下山してから81番を打ち直すとの事である。急いで歩いても、これでは仕方が無い。
 1本松で車道に出るが、その手前の展望台で買ってきたパンを食べ昼食とする。白峯寺へは車道を行くが、五色台ハイウェイはたまにしか車が来ないため、ほとんど車道の中央を歩く。遍路道の入口からしばらく下ったところが白峯寺で、ここで時間調整も兼ねて休憩を取る。
 この頃には雨はすっかり上がり青空が見え出してくる。白峯寺からは下の遍路道を行き十九丁の出会いを過ぎて今日の宿泊先である禅喝破道場に向かう。平坦な林の中の道は快適な山道で時々遍路と行き交う。五色台ハイウェイに一度出てから根香寺方面に向かうと道場への入口である。荷物を置かせてもらい、先に根香寺に参拝に向かう。ここから寺は20分ほどの距離にあり4時30分ごろに帰ってくる。
 本来は座禅の終わった午後8時から風呂とのことだが特別に早く入れてもらう、風呂は38度のぬるいまま、温かいお湯が出ず頭を洗えない。5時半の夕食(ネギトロ丼と味噌汁、さやいんげんのお浸しの質素な夕食)を皆さんと一緒にいただく。7時15分から45分間の座禅はほとんど膝を痛めていることから座禅になってない。隣で妻は座り通している。寝室というものはなく修行僧の大部屋に二人だけで寝ることになり、布団も適当に使えという。大変な経験である。
 定年退職をした元小学校教諭の世話焼きさんが座禅の後、持ってきてくれたインスタントコーヒーの何とありがたかったことか、ビールが飲めなかった分ウイスキーをこっそり入れて飲む。明朝は5時15分から座禅を45分するという。寺は若竹学園という不登校児童の施設が併設されていて財団法人運営となっている。道場には4〜5人(客分2名)と学園には7〜8名と見受けられた。ボランティア的な精神での運営であろう。これも体験の一つである。

●5月12日 禅喝破道場
 再び今日行ったお寺トイレに行ったら入り口に鍵掛かってたんです。納経所の女性に「トイレ借りたいんですですけど?」って言ったら「まだ掃除してないので鍵貸すので使ったらまた鍵かけてもってきてください」って言うんです。もう8時すぎてお遍路さんもちらほら着てるのにです。そうして行ったら今日掃除してないんじゃなくて、ずーとしてないから使わせたくなかったみたい。勿論ペーパーのあるはずもなくです。困ったものです。
 朝から気分悪く次のお寺80番国分寺はなかなか綺麗でちゃんと庭箒持った方が掃除していて、なんか頑張ってるって感じでお土産いっぱい買っちゃいました。
 81番白峯寺82番根香寺はまた山登りずーと登って(400メートル)少し下りて右と左に分かれていて打った後帰り、それを登るとゆうパターンで、もう残り少なくなってきて明日との調整でどうしても禅喝破道場と言うところに泊まることに。
 それが着いても誰が責任者と言うか係りの人か分からなくて、一人だけ話のわかる男性がいてその方にいろいろ教えてもらい始めて座禅もしました。食事の仕方も禅で、よくテレビなどでみるように最後にたくあんを残しといて白湯で器を洗って沢庵で隅のこびりついたかすを落とし白湯も飲み沢庵も食べるとゆうような作法です。
 座禅も45分間、これは線香が1本燃え尽きる時間だそうです。頑張りました、私はね。夫は少し前から下りで膝を痛めてたので15分くらいしか持ちませんでした。あの肩をピシってやるのは、自分から手を合わせて頭を下げてお願いしてやってもらうそうです。動いたら誰彼かまわずするのかと思って心配してたら、眠くなったり、妄想が浮かんだりしたとき払うためにお願いするそうです。眠くはならなかったけど、妄想はいっぱいでした。
 最後にいい経験したというか、疲れたというかです。

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「40日目」

2005-05-12 00:00:00 | Weblog

■2005/05/11    「40日目」   晴れ    18.5キロ
 6時30分朝食6時45分スタート、今日は18.5キロの半休息日の行程である。昨日一昨日の行程が目いっぱいだったためと、あと4日残った工程が短縮できそうもないのでできるだけ均等に割ふったことによる。今日の宿泊予定先の坂出船員保険保養所ブルースカイのチェックインがフロントが堅そうな人で3時からと言うので途中食事などに時間をかけながらゆっくり行程で行く。
 約4キロの76番札所金倉寺には善通寺の山道からまっすぐ県道24号線を行く。昨日門前の宿以外には外を歩いていなかったが、門前町の商店街にはそれなりの面白そうなお店がありまだ閉まっているのでウィンドウだけのぞきながら通る。国道に出る手前より遍路道に入り旧道、畦道、生活道路をつないで行く。金倉寺には約1時間で着き納経を済ませて休んでいると昨日一緒だった一人歩き遍路の若い男性が来る。昨晩は善通寺の宿坊泊まりで、そのほかに通夜堂もあるようだ。ここまで前後していた名古屋からの区切り夫婦を先にやり、我々はゆっくり行程で行くこととする。
 ここからは県道21号線を丸亀に行くことになる。妻がどうしてもモスバーガーが食べたいと言うので10時過ぎであったが、早めの昼食とする。ビールはあらかじめ手前の酒屋で調達してあった缶ビールを飲む。午後は早めにさぬきうどんを食べようという計画である。丸亀市内を抜け、78番郷照寺までは7kmであるが、今日も比較的涼しい風が吹いていたが、さすがに日が高くなってくると暑くなってくる。寺まで最後の上りを登り切ると境内には日差しを遮るものが無い。日陰があるのは納経所の所だけである。ベンチ一つなくさっぱりしたものである。寺の奥は立派な庭園なっているが参拝客用には疲れを癒す場所がない、早々に退散して近くの小さな公園で靴を脱いで足を乾かす。
参拝者に心にくいまでの気配りの寺から、まったく無関心と言うか無視とまで受け取れる寺までいろいろである。寺の役割として精神的支柱と宗教者として普及啓蒙等があるはずであるが、黙っていて銭が入ってくる仕組みが出来上っていて、何をかいわんやである。
 丸亀市内を通過中、自転車に乗った二人の青年キリスト教者(内一人は外国人)に呼び止められ、何をしているのか、なんでその衣装をつけているのかと問われたので、ウォーキングをしている、白衣は失礼にならないように着用している正装であると答え、すでに今日まで1000キロ歩いてきた残すところ100キロだと言うと、1日どのくらい歩くのかと聞かれて約25キロ平均で今まで40日かかっている、に驚いて私たちは神の存在を信じて布教活動していると言うので、それは大変結構なことです頑張って下さいと別れた。
 郷照寺から遍路みちを通り、県道33号線に出る手前で手打ちうどんの看板を見つけもしやと思ったら、やはり地元の人たちの行く製麺工場のやっているうどん屋さんであった。雨よけのひさしの下にテーブルを出しただけの土間である。普通の店であったら無理に食べようとは思わなかっただろうが、コカコーラの配達員が二人食べていたので躊躇なくうどんを頼んだ。冷たいうどんにゲソ天、生姜をすって入れて食べる。奥にはテレビ局などいろいろな人達の取材写真などが貼ってあった。叔母ちゃんとお婆ちゃん二人でやっていて記念撮影をお願いする。今年からイトーヨーカドーで冷凍のパックを売り出したので東京でも買えるようになったという。その時まであまりお腹は空いていなかったが小うどん一杯が、すうーっと入ってしまい何とも後味がよい。なんと言うめぐり合わせであるか!こういう店に一度入ってみたかったのである。それまでタクシーに乗って連れて行ってもらおうかなどと話しながら歩いていただけにまたまたお大師様のはからいだという。
 その先から坂出市内に入りアーケードを駅前まで行く。アーケードは大きな通りだがやはりここでも少なからず店が閉まっている。駅前通りを折れると33号線を通りすぎブルースカイホテルに着く。公共の施設らしくここも立派であり、設備も良い。しかしチェックインは3時、風呂は4時以降と決められており朝食は7時半からだと言うので断るとキャンペーン中の得々パックが適用されず割高になると言う、洋室よりは和室が安いと言うので変更してもらう。洗濯について聞くとここには設備はなくできないという。同じ船員組合であっても愛媛のハイプラザにはちゃんと設備もあり、あまりうるさいことも言わず、朝食も6時半から食べさせてくれた、いろいろである。
 現在まだ決まっていないのは88番を打ち終わって1番の霊山寺に行くべきか、88番から直接高野山へ行くことも多いいようである。多分に霊山寺への妬みもありそうだが行かなくても良いという方が多く、1番まで戻って初めて一周したことになるとはっきり言ったのは旅館あずまの女将だけである。
 もう一つは金剛杖と菅笠を最後の寺に奉納していくか、おそらく家に持って帰っても粗大ゴミ化してしまうことは目に見えている。

●5月11日 船員保険保養センターブルースカイ
 今日は全行程20キロと短いので朝からのんびり気が楽でした。きのうは善通寺前の旅館で、これで3回目なんだけれど、洗濯してくれるので出してくださいとのこと。このサービスもおじいちゃんお遍路さんには喜ばれるかもしれないけど、若い?私にとってはちょっとありがた迷惑かな?って思ってしまって・・・。
 お風呂場の隅に洗濯機と乾燥機置いてもらってお金(コインランドリー)とってもらったら気兼ねなく洗濯できるのに。ほとんどそうゆうシステムが多かったけど、洗濯も毎日のことだからね。
歩いてたら久しぶりにモスバーガーみつけ、時間もありすぎなのでまだ11時だったけどゆっくりくつろいで食べました。
 76番金倉寺77番道隆寺78番郷照寺と3カ寺周りあと2キロくらいで宿に着くねっていってたところ讃岐うどんの店見つけたんです。前から「おいしい讃岐うどんたべたいね」って言ってたので、即入りました。半分外って感じで屋根代わりのブルーシートが掛かってて見た目は「えっ?」て感じだけどおいしかった!!ここのうどん屋さん長楽って言ってテレビにも出てて、今度東京のイト−・ヨーカドーでも冷凍売るそうです。
 今日は食べ物の話ばかりしてしまったけど、話は変わって、今日行ったお寺さんで思ったこと前にも書いたけどお寺さんって少し高いところにあって言わばその町の顔でしょ。それなのにお昼ちょっとすぎ行ったらすっごく暑いのに木陰もなく納経所の前にはベンチもなく、荷物置く場所もないとこあったんです。裏の方には日本庭園とかいってすごいお庭があるのかもしれないけど、まずちょっと休むとこ作るべきだと思うな。とりあえずお参りしたらホット一息したいじゃない。長い階段登ってくるお年よりだっているんだもの。
 それと今までお寺をまわって思ったのはトイレが綺麗に掃除が行き届いてるお寺はすべてにおいて○ってこと。トイレットペーパーも置いてないなんて言語道断です。

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「39日目」

2005-05-11 00:00:00 | Weblog

■2005/05/10     「39日目」   晴れ風があって涼しい   25Km
 朝食を早めに済ませ6時半前にスタートする、財田川を遡ることになり土手のサイクリングロード行く、道は通学の学生の自転車と犬の散歩の人たちだけで寺までの5kmは休憩なしであっと言う間に着いてしまう。
 70番札所本山寺で名古屋からの区切りうちの夫婦に会い、この日1日を前後して歩くことになる。本山寺を打ち終わって山門のところまで戻るとK氏の自転車があり、例のように座り込んでいる。大変な思いで雲辺寺まで自転車を上げたという。見上げた根性である。民宿青空の女将に開業して1年になるが上から自転車で降りてきた人に初めて会ったと言われたという。彼独特の価値観に基づく行為なのであろう。一般的な馬鹿さ加減が通用しない御仁である。足は地下足袋に変わっていて途中穴のあいた靴を見た人がくれたのだという。地下足袋には百姓なので履きなれていて何ら問題はないという。
 本山寺からは一変して国道11号線を行くことになる、その間7.4キロ延々と国道の側道を歩いていると車の音が耳について、休憩の時ぐらいはその音から解放されたくて道を離れたところまで移動することになる。
 やっとコンビニのポプラの手前から旧道の遍路道に入ってホッとする。車は通っても地元の軽自動車がほとんどの生活道路である。こういう道ならばどれだけ歩いていても苦にならない。冷たい風が吹いて心地よい、愛媛に入ってからミカンの花が咲いていてその香りがとっても良い、かなり遠くからでも匂ってくる。花ではジャスミンが生垣に咲いてこちらも甘い香りを漂わせている。
71番弥谷寺に1キロという地点から地図には描かれてなかった登りになり、それからが幾重にもこれでもかこれでもかと階段また階段で終わったかと思ったらまた階段であった。お寺さん自体はお太師様の修行の洞窟などがあり、大変ゆかりの多いところが今でも見られて太師堂自体は遺跡のようになっている。本堂がまたそれから大分上にある。
 帰りに山門近くにあった俳句茶屋でビールとところてん、うどんの昼食をとる。天井一面俳句の短冊がぶら下がっている。2000円の本桐の下駄を売っている。あまり安いのでお客さんが信用しないという。製造元直接仕入れの人の委託販売であるという。変わった茶店である。
 その先から遍路道は山道になりしばらく下りが続く、こんなに登ってきたのかと思い直すほど降りたところで大きな溜池に出て農道を行く、72番曼荼羅寺の裏に着きぐるっと回って表門から入ることになる。73番出釈迦寺にはこれから上方600メートルとすぐ近くにあり、さらに山を登っていくと1396メートルの奥の捨身ヶ嶽になるがもちろん我々にそれを登っていく体力も気力も失せている。いくら日陰に入ると涼しいと言ってもやはり午後になると直射日光の下では体力が徐々に奪われていく。
 2.2キロ離れた74番甲山寺に着く頃にはただ無心で歩いて今日の行程を終わりにしたい思いだけになる。最終の本日の打ち止め75番善通寺門前の山本屋本館に荷物を預け納経に行く。たいへん大きなお寺さんで本堂と太師堂が別々の山門を挟んで100メートルほど離れて別のお寺になっている。お大師様の生まれたお寺さんである。団体さんが何組も境内を埋めている。連休が終わってまた香川に入ってお寺さんが多くなると急に賑やかになってくる。ここでも納経は個人を優先してくれる配慮がなされていた。団体さんの納経係の人は皆プロなのでこの辺のところはよくわきまえている。お礼を行って先にすまさせていただく。
 やはりここも宿に戻ると風呂の用意ができていて一番風呂に入れて戴く。ここもK氏おすすめの宿である。ただ妻は女性にとって洗濯物を宿の人にお願いするのは抵抗があると言って、下着は出したがらない。遍路に多い中年以上の男性にとっては大変ありがたいサービスであるはずなのだが、女性には抵抗があるようである。女将も仲居さんも大変愛想がよく気が利いていて気持ちがよい。

●5月10日 旅館山本屋本館
 きのうの雲辺寺を終え、あとは町中だからきついところはないと余裕で70番本山寺を後に、71番弥谷寺にむかいました。
 もうそろそろかなっと思ってたらいきなり山の中で上り坂になって、もうつくだろうと思ったらそこは茶店で、やっと門だ!着いた!っと思ったらなんとそこから階段で、こんどこそついたと思ったらそこは大師堂で、本堂はまたそこから階段・・・・。階段だけでも555段あったんです。本に普通、標高とかでてるのにここだけは印刷ミスか平地のようにかいてあったんです。実は400メートルくらいあったんです。
 全然考えてなかったので二人とも必要以上に疲れて不機嫌になり険悪な状態で次の寺に向かいました。72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺。この寺はお大師様が7歳の時に人々を救うため身を投げたとされる捨身嶽禅定とゆう1396メートルの場所があるのですが、さすがにそこまで行く元気がありませんでした。
 74番甲山寺をお参りし、弘法大師誕生の地とされる75番善通寺に向かいました。階段もなく町の中にある大きなお寺でした。参拝客もぐっと増えて大型バスが何台もいて団体のお遍路さん見たの久しぶりでした。
 今日の宿はこの寺の前です。

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「38日目」

2005-05-10 00:00:00 | Weblog
■2005/05/09      「38日目」  霧のち晴れ     24Km
 6時食事、15分白地荘の女将の運転で先に出発した組とは別に、昨日通り越してきた雲辺寺への登山道入り口まで送ってもらう。雲辺寺910メートルで登山口300メートルから一気に登りである。遍路道の入り口で自転車を置き悩んでいるK氏がいた。1時間前からここで遍路みちに自転車をかつぎあげるかどうしようか迷っているとのこと。
 我々で、今日此処を上っていったのは6人目とのことである。岡田屋は主人が高齢のためお客は6人までしか取らないとのことで、白地荘には7人泊っていたので順打ちで登っていくのは合計13名になるはずである。途中6人まで我々を追い越していったが、残りの一名は確認できていない。
 結局K氏は一度ザックを背負ってあげ、つぎに自転車をかつぎあげに又降りてきた。大変なスタミナである。600メートル地点ぐらいまでは一気に高度あげそれからだらだら上りで669をメートル地点で車道と出会う。あとは2kmほどの距離を250メートルぐらい高度あげて雲辺寺に着く。88箇所の終盤戦、最後の山場になると覚悟を決めて登ってきたが案外あっさり雲辺寺に9時前に着いてしまう。本来ここからの展望が素晴らしいとのことであるが今日は濃い霧に包まれていて何も見えず、気温も9℃とのことで肌寒いを通り越して慌ててシャツを着込む。まだ寒く手袋を取り出してはめることになった。
 大きな立派なお寺さんで羅漢さんの石仏が素晴らしい。凍えそうで早々に打ち終わって降ることにする。下りは700メートルを4.3キロかけて延々と降りてゆく。下るにつれて晴れ間が見え暑くなってくる。名古屋かららしい区切り打ちの夫婦と前後しながら降りてゆく。下り切る手前の木陰で休んだがそこに地図を置き忘れて1キロほどひき返して取りに行く1幕もあった。
 新池を過ぎ栗井町に入った頃に、買い物で車から降りてきたお婆さんにちょっと待ちなさいと言われる、それぞれにドリンク剤と缶コーヒー1本ずつのお接待をしてくれる。おじいさんがよくお接待をしているそうで今日は留守との事、時間があれば休んで行けと言われるが、今日はまだ先が長いので遠慮して歩き始める。岩鍋池端の集会所の濡れ縁を使わしてもらって白地荘の女将に持たせてもらったおにぎりで昼食にする。
 ここからは次の札所67番の大興寺までは2キロほどとなり、今日の宿泊先へは昼から10キロを残し、今までのペースになったのでゆっくり歩くことにする。大興寺では、白地荘で昨晩いっしょに食事をした若い一人遍路が番外荻原寺へ向かっていったが此処でまた一緒になる。今日は70番までいく予定であるという、30キロほどになる。
 大興寺からは途中より、県道6号を行く事になり、また側道歩きである。今日は風が有って暑さは和らぎしのぎやすいが、大きな上り下りをしてきた後なので足はやはり疲れている。遠くに街らしき様子とこんもりとした緑の丘が見え目的地の観音寺と当りをつけて歩いたがそれから長い。やっと3時30分に今日の宿泊宿、K氏に薦められた若松屋別館につき、荷物を置いてから68番神恵院と69番観音寺を打ちに行く。
 財田川の大きな橋を渡ってしばらく行くと寺の山門になり、階段をのぼっていくと同じ境内の中に二つの札所が同居している珍しいお寺さんである。次々と本堂と太師堂にお参りをして納経所へ行くと2ページ分を記入してくれる。しばらく休憩してから旅館に戻ると宿では風呂の準備を整えて待っていてくれた。
 今まで数多く止まっている宿で羽毛布団を使っている宿はその他のことにも行き届いていて客の気持ちを汲んで対応してくれているところが多い。仙遊寺は豪華な設備だけでなく蛍光灯にも暖色系のものを使っているといった配慮はさすがで、全てにおいて1級で頭が下がるほど快適であった。結局ケチで目先の利益を追っているところが客をなくすことになるだろう。本日の旅館若松屋別館は派手な押しつけがましさがなく、それでいてちゃんと行き届いている。食事も朝6時からと為すべき事は分かっている。好感の持てる宿であった。

●5月9日 旅館若松屋別館。
 今日は6:15分に白地荘を出てきのう通ってきた雲辺寺の登山口まで送ってもらい、それから後半最後のメインイベント910mの山登りです。たしかにあせだくで大変だったけど、ゆっくり登れば別になんとことなかったけどくだりが痛めた(疲れた?)足とひざにきつかったー!!
 頂上はとっても見晴らしがいいらしいけれど、霧が深くて全然見えず、9度くらいしかなくて寒くて即下山してしまいました。でも霧の中の五百羅漢の石像は迫力ありみごとでした。
 それから途中で夫が地図を忘れたのに気づき20分くらいロスがあり、またまた残り15kくらいつかれた足で歩きました。あのいざり松のあと、足はつかれるけど、けっこう調子はいいみたいで、今日も宿についた時はへろへろだけど歩いてる時はけっこう快調でした。
 67番大興寺の後宿に荷物を置いて68番神恵院69番観音寺に向かいました。また雲辺寺を自転車担いで登ったKさんに会いました。何しろすごくタフな方です。
 神恵院と観音寺は同じ敷地の中に隣り合っていて納経所も一緒のちょっと変わったところでした。

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「37日目」

2005-05-09 00:00:00 | Weblog
■2005/05/08      「37日目」   高曇り    20Km
 今日は三角寺を目指して最後の日である。宿は6時30分朝食の7時スタートで昨日の自転車君が途中がんばってくださいと声をかけて、あっと言う間に追い抜いていった。彼は昨日三角寺を打って戻ってきており、今日は雲辺寺を目指している。
 宿でもらった地図に従って高速道路の高架下まで上りそこから遍路みちに入る。ここまでが標高70メートルでここから500メートルのお寺まで登っていくことになる。細い農道になっている遍路みちを登っていると、自動車が追い越していく、そしてその先の空き地に車を止めて山靴に履き替え、カマ1本を手に登っていく、後でわかったが遍路みちを整備にきたボランティア氏であった。帰ってくるのに会い礼をいうとほかに行くとそちらの方のお世話になっているから、私の受け持ち区域はここだけですと言い残して山を降りていった。
 急な遍路みちを抜けると車道に出てしばらくして三角寺につく。三角寺は朝早くから何組かの団体さんの参拝で賑わっている。ただ10分もすると潮が引いたように静かになり、あわただしく過ぎ去って行く。中に小学生の女の子が手持ちの木魚を持った団体さんがいて、得意げに木魚を叩いていたのが印象的であった。
 三角寺を打ち終わると後はひたすら車道を降りて行くことになるが、通る車は参拝客のみでたまに行き交うぐらいである。平山で休憩していると近くのミカン畑で草刈りをしていたおじさん夫婦が話しかけてきて、的確な答えが返ってくる。今まで8回車で回っているという。以前は三角寺と雲辺寺にも宿坊があって良かったが、今は岡田屋だけになってこの間が固定されてしまっている。早い人では岡田屋に10時に着いて泊まっていった人もいたそうである。
 椿堂付近で追い越して行った二人組は年寄り同士であったが達者なものであった。道はこの先から国道192号線に合流して車の量が増えた。境目トンネル855メートルは歩道があるとはいえなかなか威圧感がある。今日は日曜日のためか大型車が少なくて助かった。出口が見えてからが遠く先を行く二人が豆粒のように見えている。トンネル過ぎると久しぶりににぎわっているドライブインがあり、コンビニも備わっていた。そこを過ぎて少し行くと道端の小屋の中から急に呼び止められた。
 昨日話していたK氏である。小屋は最近出来たバス停を兼ねた遍路小屋であった。すでに自宅のある町を過ぎている。追い越されたのも知らなかったと聞くと、途中から自転車をもらって走っていると言い、昨日は自宅にこっそり寄ってジュースなどをとってきて、近所の人に見つからないようタオルを頭からかぶって急いで通過してきたそうである。家に帰るとソラマメの収穫に忙しく捕まってしまうので88番まで行くことにしたと言う。その理由の一つは線香屋のN君のお父さんが88番の到着に合わせて来ると言うので、どのような気持ちでN君を遍路に出したのか話をしてみたいという。昨年は続けて2回まわってしまった、今年もそうなるかもしれないと、どこまでもわれわれの理解を超えた人である。
 さかんに将来の夢を話して、善根宿ではない共同の宿を作って、そこで自給自足の生活をやり、泊まり客も生産をしながら泊まっていけば良く、期間は限らずいつまで居ても良い。それをやるには親がいなくなった後で無ければ理解されずできないという。昨日会った農学修士のKさんは兄弟ではなく近所にいくつかある同姓の一人であるとのことであった。
 そこからすぐ降りたところが民宿岡田屋で先に追い抜いていったうちの1人も岡田屋が満杯のため我々と同じ白地荘から車で迎えに来てもらうと言っていた。だいぶ道草を食ってしまったので待たされるのを覚悟で歩いていると、ワゴン車が止まり迎えにきた白地荘の車であるとのことである。そこから岡田屋によって、先の一人を便乗させていく。我々のツキの良さに二人ともただただお大師さまに感謝である。
 民宿白地荘は10キロほど下がった丘の上にありテラスからは一体が展望できる静かなロケーションにあった。遠くにJR土讃線の列車が模型のように見えている。テラスで風呂あがりのビールを2本飲んでしまい5時半からの早めの夕食は待望の焼肉であったのでまたビールを飲みながら昼間追い抜いていった老遍路(元恵比寿にいて今は埼玉に住んでいる)は歩く事が趣味で73歳の健脚ぶりであった。4月1日スタートで足の故障で今まで3回連泊しているという。我々がかなわない。
 この宿にくるとみなさんよくビールを飲まれると主人が言っていた。一つの炭焼の囲炉裏を囲んで大阪からのバイク二人組と若い茨城からの歩き遍路と談笑しながら、いい雰囲気である。民宿岡田屋も良いという評判だが、ここの方が良かったのではと皆が一致する。バイク組みは我々の話に一つ一つ驚いていた、それほど歩き遍路とは驚きの連続である。

●5月8日 民宿 白地荘
 朝6:45分に宿を出て65番三角寺までひたすら登りました。H500mで久しぶりに山登りだったので変化があって楽でした。それからずーとコンクリートの道をくだり、この辺で1件の民宿岡田さんが満室ということで、白地荘とゆう民宿を紹介してもらいました。少し遠いので白地荘の人が岡田さんまで向かえにきてくれるということです。
 で歩いていたら、途中の遍路小屋兼バスの待合室から声をかけられ、歩きだしてしばらく前後してたKさんという愛媛の人と久しぶりに再会しました。30分くらい話をして、ふたたび歩きだして5分もしたら前からきた車がちょうど白地荘のむかえの車でそのまま乗せてもらい、もう一人70すぎのおじいちゃんと3人で民宿にむかいました。
 久しぶりに10kちかくドライブして少し山の上のみはらしの良いとても歩いてはこれそうもない民宿でお風呂に入り、テラスでビールを飲み、くつろげました。夕食は焼肉でした。さしみと天ぷらにあきてたので、もうラッキーでした。おじいちゃんの他に34歳の青年とバイクで旅行中という中年の男性2人と盛り上がって楽しい夕食でした。

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「36日目」

2005-05-08 00:00:00 | Weblog

■2005//05/07 「36日目」  小雨のち晴れ  24Km  23℃
 朝食は昨夜コンビニで買っておいたおにぎりですまし6時20分スタート、出掛けに確認した天気予報では晴れている筈なのに、霧雨が降っている。
 かまわず雨具をつけずにザックカバーと菅笠のカバーをして出発する。ビジネスホテルミソラの名前はオーナーのお父さんがひばりファンだったとのことで予想的中であった。今日は三角寺を目指して2日目であり途中の参拝もなくただひたすら歩くのみの行程である。妻は並走しているJR予讃線に乗りたがったが、もうお参りも最後の段階に入ってきて、もう一息だからということで歩く事とす る。
 国道を通り越して旧道の遍路道を行く、朝早いためか車の量も少なく安心して歩ける。自動車道の上までいったんあがってしばらく並走する。アップダウンが多いので標高170メートル地点からそれて村道を行き、国道11号線に一度合流する。すぐまた旧道の遍路道に分かれでここからはどこまでも旧道が並走していて国道を歩くのとはずいぶん気分の上から違う。
 天気も一時パラパラときたがすぐにやみ、これ以上崩れそうにないが、空はまだ雲がどんより厚く覆っているままである。遠く見える海の向こうの水平線から青空が見えだしてくる。だんだん空が明るくなってきた。昨晩泊り客にもう一人遍路がいようだが顔を合わせていない。早立ちをしたのかもしれない。
 途中番外12番の延命時によって遍路小屋で休憩していると一般の参拝客が来ていろいろ話しをする。そこには大きな松の根があり「いざり松」というそうである。2〜30年ほど前に枯れてしまったが、昔は松の根の中を川が流れていて周囲30メートル4方に葉が茂っていたそうである。お大師様が修行しているところに足の悪い人が来たのでその川の水で足を洗うと良いと言われ、その通りにすると足が良くなったので、それから「いざり松」と呼ばれるようになった。多くの信仰を集めているとのことで、その参拝客の夫婦も、もう何度も来ているそうである。遍路のことはよく理解しておらず、わざわざお参りに来たと言っている。
 早速妻はお参りに行き足が軽くなったといっている。天気はすっかり回復して気温は涼しい風が吹いてさほど暑くないが日差しは強い。
 関川郵便局の前で休憩をとっていると車が止まってポストに投函した後、我々に話しかけてきてアメ玉を1個ずつてわたされる。自分も以前東京にいて教職にいたと話した後、研究論文のコピーを手渡され明石山系の植物を調べていて、ここだけしかない固有の種が3種あると言っている。あとで気がついたが愛媛大学の修士でKさんと書いてある。最初の頃前後して歩いていて、テントを下げた野宿氏もKさんで、住所は四国中央市となっていて、ここからすぐの近くである。どことなく風貌も似ていて兄弟ではないかと思ったりした。失礼だが変わっていることも共通の類似点であるまた。また農学修士となっていたので自然農法の「わら1本の革命」の福岡正信氏も愛媛だったので聞いたら何か教えてくれたに違いないと思ったが後の祭りである。
またそれから手製の手押し車を肩ひもで引いていた遍路に行き会う。兵庫の人でこれで8回目だという。家にいても一人で何もすることがないのでこうして出てきていると、フル装備にしても大荷物なので聞くと、自炊道具一式、テントも旧型の大きなものを持っている。急ぐ旅ではないのでこれで良い。雨の日に歩いていて一度大怪我をしたことがあったので其れからは動かないようにしているという。
 お接待の話になり、昨日聞いたお接待を受けることは災いもいっしょに受けることであるから次のお寺さんできれいにしていかなければならないことの確認をすると、みんながそんな気持ちでお接待をしているわけではなく、またものをもらうだけがお接待でもない、笑顔を送られるのもお接待でありそんなふうにだけ考えない方が良いと言われる。色々の理解があるものである。
やがて旧道の遍路みちに車が急に増えてきて、伊予三島に入ってきた。立ち止まって車をやり過ごさなければならないこともたびたびである、駅の反対側の商店街の中央部にある旅館つるやに3時前に着く。
 夕食のとき、自転車で回っているという青年と一緒になる。栃木の人でたまたま連休が9日間連続で取れたので飛行機で高松に入ってそこから回って、明日が最終日になると言っている。全工程で10日間、1日120キロ位とかでお寺さんは主なところしかお参りしてない。室戸岬は次々と歩きの遍路を追い抜いていって半日だったといっている。山上のお寺はやっぱりきついが、下りも危険で大変である。最低の荷物でいざとなれば電車に乗れば良いと真っ黒に日焼けした腕が輝いている。

●5月7日 つるや旅館
 今日も一日歩きました。23キロ一寺もなくただただ歩きました。朝まだ雨が残っていて、曇り空だったのがしだいに青空になり、それとともにいままで灰色だった海もブルーに変わりました。
 今日はきのうの6年間歩いていた人にかわって、全部荷物をリヤカーみたいのに乗せてひっぱって歩いてる人に会いました。その人はもう8回目で家は兵庫だそうで1人ぐらしなので、のんびり旅をしているそうです。
 途中おいしそうな大きな甘夏があったので買って宿で食べたら、ものすごくジューシーで甘くておいしかったです。この前のはっさくといい、やはり愛媛のみかん最高です。なんで東京までくるとみかんはすっぱく高くパサパサになってしまうのでしょうか?
 途中、番外だけど、延命寺というのがあって、そこにいざり松という大きな松のかれて根っこだけになったのがまつってありました。昔その松は枝が30mもあってその下に川が流れていたそうで、そのそばで修行をしていた弘法大師が足のわるい人にその水で足を洗うといいと教え、それでよくなり、それ以来足腰にいいとされているそうです。
 この話を私たちに教えてくれたご夫婦もわざわざ遠くから電車でみえてたようで、(今でもおまいりする人が多いらしく)私もおまいりしたら、なぜかそれから足が少し軽くなったような気がしたから不思議です。

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「35日目」

2005-05-07 00:00:00 | Weblog

■2005/05/06 「35日目」     雨のち時々小雨   23km
 昨夜半から風が出て雨が窓を叩きつけていた。これで寒冷前線が通過してしまえば良いなと眠りについた。朝起きると雨はほとんど上がっていた。
 昨夜パーキンソン病の御主人と270回の先達と回っていた奥さんが、昨晩妻にも接待を渡すのを忘れたと、またわざわざ千円渡される。また昨晩は明日帰るからとお菓子の詰め合わせ(残り物だといって)を持ってきてくれた。
 大先達は車を運転しながら案内をしている老人である、このような生業先達が数多く居て、需要と供給がバランスしているようである、四国は老人が元気である。
 6時30分朝食の7時スタート、雨は殆ど上がっているので雨具は着けないで出発する。途中、昨日登ってきた車道よりはなれて遍路みちに入る。急な農道はコンクリートで固められているので足場は良い。国道11号に並行しているので国道を歩かずに64番前神寺につく。前神時では参拝客はまだまばらである。
山門近にいた自転車遍路と参拝する。諏訪から来て6年間一度も帰らず回りとうしているという。すべて野宿で真冬などは大変厳しい、夏は蚊の大群と戦っている、文字どおり必至であると言っていた。春、秋だけの遍路とは条件が全く異なる。お大師様も3年間カスミを食べて修行されていたといい、カスミとはイモ(山芋を乾燥して粉にしたもの)の事でそれを水で戻したものを食べていたとの事である。また話の中でお接待とは、お接待をした方の厄を一緒に託すためにするもので、お接待をされた方はその厄を次のお寺にお参りして落としてあげるのだという。そのためお接待の一部をお供えするのだという。
昔の遍路は、不治の病を抱えた者が家を出されて、帰ることを拒否され何人かで集団生活をしながら回っていた。最後はお大師様のところへ行くといって集団自殺した。それを村人が土葬して弔って上げていたので、その数は10万人ではきかないだろうという。
 納経帳などは高野山が考え出したもので、お大師さまとは関係ない。お寺の住職にお参りをしているわけではないという、妻が先ほど絵を描いていたようだがというと、鞄から取り出しあげるという。お礼を差し出すと一円玉1枚の方が良いと言うので、500円を御接待させてもらった、もっともである。大勢の人たちと知り合い、多くの方から支えられて自転車もいただいたものだという。
 寺を出るとき雨が降ってきたので、慌てて雨具をつけて出発する。本降りになってきたので近くの遍路小屋で雨宿りをしているとすぐ小降りになったので歩き出す。へんろみちは国道に出ずに旧道を行くことになっていたが、伊予西条の郊外で道を見失ってしまい、国道11号線を行く。
 今日から3日行程で次の札所65番三角寺を目指していく。今日の第1日目の泊は新居浜市郊外のビジネスホテルミソラである。今日国道沿いのコンビニの前でザックに座り昼食のいなり寿司とカップスープを食べた。雨は殆ど上がっていたので雨具は外してザックにくくりつける。県道359号線と合流してみちは広くなり歩道は広く整備されて歩きやすくなったが、風景は単調になりそのぶん疲れやすくなる。しばらく行くとまた旧道に出て遍路道になりホッとするが、車の行き来する量が多くそこを生活道路であるため歩行者とが譲りあって歩くことになる。
 中村郵便局でカードで引き出す、ホテルは国道を渡った足谷川の川辺にあって清楚なたたずまいである。3時からのチェックインと言われていたが3時7分に到着した。国道沿いにはコンビニ、ラーメン屋などがあり、今晩はこれらを利用することになるだろう。途中妻は雨だから電車に乗ろうとちょっと弱音を出すが、新しい雨具と靴を買ったばかりだしテストもしなければと行けるとこまで行こうと言い、予定通り歩き通した。
 雨具、靴ともに今日ぐらいの雨では問題なし、妻の足のマメは今までのは傷パッド(ジョンソン)で傷みもとれたが、また新しく一つできた。湿気が問題を起こしているのかもしれない。

●5月6日 ビジネスホテルMISORA
 きのうの夕食のとき係りのお兄さんが記念にって写真を撮ってくれたんです。朝宿泊費を払う時、なんとB5サイズにラミネート加工して、日にちと数行の言葉をかいてプレゼントしてくださったんです。宿泊費もなぜか予約の時聞いたのより安くしてくださって、お風呂もとっても気持ちのいい温泉だったしラッキーでした。
 6時半出発きのう登ってきたぶんずーと下って64番前神寺に到着です。そのころにはぽつぽつだった雨も本降りになりお参りの人も数人でした。ちょうど自転車で回ってるらしい男性に会ったので挨拶をしたら、「どこからきたのですか?」に始まってそのかた長野のお寺の3男だそうで、もう6年も88ヶ所周り続けてるんですって。
 季節がいいからとかじゃなく夏の暑さや冬の凍えるような寒さに耐えてこそ人にやさしくなれるとか。いいお話をたくさん聞かせていただきました。絵を描いていて一枚いただいたので、「頑張ってください」と初めて私たちから500円お接待しました。
 そういえば昨日の宿の夕食で、隣の席の車でみえてたご夫婦に「私たちも本当は歩きたいのだけど体の具合で歩けないのでぜひ頑張ってください。」ってお金とお菓子いただいたんです。病気も怪我もなくここまで二人で歩いて来れたこと本当に幸せと思わないと。
 そしてそれから20キロちかく長い道のり歩きました。そうはいってもやはりそばを電車が走ってると思うと、なんだか疲れて。山道ならぜんぜん平気なんだけど、国道とかを車と平行して歩くのはちょっときついです。夫も午後になると疲れて機嫌悪くなるんです。
 本人きずいてないと思うけど。

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34日目」

2005-05-06 00:00:00 | Weblog

■2005/05/05 「34日目」 晴れ連日25℃を超す  21.7km+16Kmバス
 6時30分に朝食を本館で取りそのまま6時50分スタート、今日のように国道を歩く日はできるだけ早立ちをしたいところだが、朝食時間に縛られる。一番早くしてもらって6時半である。従って早立ちしたい時は朝食を食べないでスタートする事になる。
 今日は60番横峰寺を後に回して61番香園寺からなので遍路道を行かず国道196号線を14キロたどることになる。途中二人連れの若い女性と1時間ほど抜きつ抜かれつしたがその内の一人が足の調子を悪くして電車に乗ってしまった。又逆打ち二人と出会う。一人は壮年の男性でとにかく明るい、一方的に喋って分かれていった。壬生川を過ぎたあたりからは日差しは暑いが日陰に入って休息すると涼しいいい風が吹いて来る。明日から天気が崩れるというが、それが信じられないほどの天気である。遠くに山が見えるが石槌山は2000メートル近くでもっと高いはずである、ここからは見えない。
 61番香園寺にはブッタマゲタ。ビルディングの本堂である。お灯明、香台も変わっていて面食らった。太師堂がなく聞くと本堂といっしょに祀ってあるという。別に子安太師がありお姿も2枚くれる。参拝客も多く華やかなお寺さんである。何から何まで変わっていた。
 1.3キロで62番宝寿寺であるがこちらは小ぢんまりしていて落ちついたお寺さんで、その対比が面白い。途中JAの広場の日陰でコンビニで買ったパンとビールで昼食にする。妻も含め道路際でザックに腰掛けての食事も板に付いてきた。
 63番吉祥寺まではまた1.4キロと近く本堂は改修中になっていた、車の家族連れが参拝していて子供が飛び回っていて、静かにお参りもできない。車の中が退屈であったのだろうが、親が付いていながら許している姿が今の日本の姿に見えてくる。
 60番横峰寺までは昨年の台風の被害で遍路みちが荒れており無理して通れないこともないが、一般の参拝は車道を利用してほしいと寺では言っていた。3月までは横峰寺行きバス停の先に有る別院で仮納経をしていた。
 そこの横峰寺行きバス停まで5キロを歩き、そこから8km先の横峰寺までは無理をせずバスを利用させてもらうことにした。瀬戸内バスのマイクロは時間が決まっておらず客が来たら適当に見計らって出発するようである。2時30分ごろ着いたらバスは2時50分に出発するという。客は我々二人だけで貸し切り状態である。
 確かにみちは3月以降開通したばかりというだけあって至る所に修復した跡がある。川筋に沿って登っていくのだが、川筋には大きな木が根こそぎ流されている。川幅が広くなったと運転手がいうが、川底は大きな岩石が新たに出現していて、景色が変わってしまったという。車道は完全に1車線分しか無く離合ができないため、無線で対向車の情報をやり取りしてきめ細かくどこの待機所で離合するかの情報交換していた。
 連休中は自家用車が多く渋滞が激しかったという。今日は連休最終日だが参拝客はぐっと少なくなっているという。横峰山頂でバスを降り、そこから400メートル下がった所が横峰寺である。歩きで登ってくるとは逆になり、裏口から入ることになる。ツツジかと思った花はシャクナゲで全山今が盛りの満開である。シャクナゲの寺と言っても良いほどで圧倒される。
 今日の泊はバス停にある京屋旅館支店である。荷物を預けてバスに乗り込んでいたので身軽である。4時半頃到着。バスは4時発の最終がスタートしたあとで参拝客はもういなかった。我々と同時にスタートした歩きの青年は6時過ぎには京屋支店に戻ってきた。現役のバリバリで途中の行き違いで見せた歩きは惚れ惚れさせるものであった。4時間かかるところ3時間ちょっとで戻ってきたことになる。我々であれば6時間かかっていただろう、半日行程である。
 京屋旅館支店は天然温泉である。大きな白濁した湯船は気持ちよく寛げる。食事の時、客は6組ほどであったが昨日までは満杯状態でゆっくり食事ができるのは珍しいということである。隣の席の車組み老夫婦と話をしていると、反対側の270回という大先達を連れた老夫婦から千円のお接待を受ける。
 食事は先日連泊した橘ホテルと同じ釜飯であったが3回続いた釜飯もそれぞれ味が異なっておりそれなりに味わえる。アマゴ甘露煮、たらの芽の和え物、硬い豆腐などそれぞれが味わえて楽しい食事であった。お接待だと言って地元の濁り酒をコップになみなみと戴く。外から見た印象と異なって味わいのある旅館で人気があるのは場所柄だけではないようである。

●5月5日 温泉旅館京屋支店
 連泊して少し疲れもとれたところで、6時半15キロさきの61番香園寺に向かい出発です。この寺はものすごくりっぱで、前行った韓国の博物館のようでした。子安地蔵があり一般の家族ずれなど参拝客もおりにぎやかでした。
 先に62番宝寿寺63番吉祥寺とまわり、最後に745メートルの60番横峰寺に向かいました。去年の台風でかなりの被害をうけ今年3月まで納経所が峠のバス亭までおりてきていたそうです。今は通れるそうですがかなり遍路道あれてるそうなので、私たちはお寺さん行きのバスを利用することにしました。
 お客が集まりしだい出発してくれるとゆうことなのだけれど、私たちの場合2時50分発は2人だけでした。20分少しかかって山道を行ったのですがすっごくあれてて、すれ違う場所も無線で連絡とりあってました。いろんなところでガードレールが落ちていて、大きな石が谷あいの渓流をせきとめるようにあったり、家まで土砂崩れで谷におちていました。幸いその家の方は無事だったそうですが、バスの運転手さんの話ではこの山道の様子がぜんぜん変わってしまったそうです。
 横峰寺はしゃくなげが満開でした。そんなに大きなお寺ではないのですがしゃくなげに覆われてるって感じです。素人カメラマンがたくさんいました。

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