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日本の経済成長復活という未来を信じることの意味

2013-05-22 20:08:12 | 日記
A.「経済成長のありがたみ」について
 太田出版の雑誌『atプラス』最新号(16号)に、「アベノミクスの功罪」という特集で、アベノミクスに批判的な水野和夫「地獄への道は善意の「期待」で舗装されている」と、リフレ派を支持する山形浩生「経済成長のありがたみを再認識する」という対照的な論文が載っていた。リーマンショック後の派遣切りに始まる非正規雇用や若者失業問題を、積極的に取り上げてきた『atプラス』だが、アベノミクスをめぐるマス・メディアの危なっかしい応援と、凡百のエコノミストの目先の議論を超えて、円安・株高→デフレ克服→企業業績活性化→経済成長復活というシナリオの、経済学的背景と未来予測について本格的な評価をききたいと思っていたので、これは参考になる。
 水野氏は例によって、マクロな視点と具体的なデータを出して、アベノミクスは一時的な好況を作りだすかに見えながら、これは実体経済から遊離した金融経済の不均衡を覆い隠すバブルであり、まもなく破綻する。黒田日銀が次元の違う金融緩和策を行って、マネタリーベースを二倍に上げてもインフレは起きず、二年ぐらいはバブルが続いても次に来るはじけたときの不況は、二年分の成長を打ち消してさらなる信用収縮が起こる、とみる。トータルでみれば成長を目指して結果的にマイナス成長になると警告する。バブル崩壊でデフレが起き、そのデフレをインフレを起こして解消するというのは倒錯した議論で、いくら流通貨幣量を増やしてもそれは株式市場や土地市場、海外に流出して物価上昇にはつながらない。
 「これまでは、自動車を売り、スーパーで食品を売っていれば、きちんと利益が上がったのですが、そんな利益じゃ足りないといいはじめて、金融市場を統合し、貨幣で貨幣を買うような投資をして巨大な利益を求め続けている状況です。これが最後はバブルに結びつく。もっと利益がほしいという投資家の要求と、消費者が、財やサービスをあれもこれもほしいといっているときは、両者の利害が一致していたんですが、消費者の身の周りにはモノが溢れていて、消費者はもういいよといいはじめている気がしますね。その食い違いがデフレと呼ばれる現象だと思います」p.12-13.
 日本の国債発行残高はダントツ世界一で、1000兆円をこえ、GDPの二倍、財政破綻したギリシャでも1.4倍だったから、これはとんでもない借金だが、それでも日本が信用を保っているのは、フローの資金は年金でまだまだ国債を買え支えていて、資本ストックのほうは設備や不動産などの実物資産が民間だけで1200兆円あって、大丈夫だとみられているからだ。つまり外国に比べて日本人は多くの資産を持っていて、それを消費に回さずに貯金しているから、国が巨額の借金をしても余裕がある。しかし、インフレになると長期金利が上昇し、国債が値下がりして、それを抱えた銀行が大損して赤字になる。また外国人投資家が日本国債を売ってさらに値が下がる。政府は国債の利払い費が上がってまた赤字国債を出さざるをえなくなるという、雪だるま操業になる。
 ぼくが一番面白いと思ったのは、デフレが定着した成熟社会は史上もっとも望ましい社会だという水野氏の説明だ。みんながこの先インフレになると思う社会は、今10万円の商品が来年は11万円になると思うから、ローンや借金しても今買っておこうと行動する。まだ使えるものは捨てて、新商品を争って買う。消費者は主導権を奪われ、時間の支配を手放す。
 「ところが成熟化してくると、1年後に買っても2年後に買ってもどちらも損得はない。インフレのときは借金ができない人が不利なんですが、いまはゼロ金利で、借り入れコストもゼロに近い。事実上世界で初めてもっとも望ましい社会になったのに、それをもう一度ぶち壊そうとしているのがアベノミクスです」p.17.
 3月にドイツBMWの社長が、決算の説明会で、利益を追わない、前年並の利益でいいと発言したという。ドイツは1日7.4時間の労働で生産性を保っているから、サービス残業を含まなくても1日9時間という労働時間の日本と何が違うのか?労働者に消費を楽しむ時間や余裕を与えないほど働かせ、低賃金や失業者を増やせば生産性が上がると考える日本と、より多くの雇用を確保するために労働時間を縮めても生産性は落ちないと考えるドイツ。政府は、月例経済報告でGDPの発表なんかやめて、失業率と平均賃金と雇用者増減数と金利を発表すればいいと水野氏は言う。これはぼくも賛成である。

 アベノミクスを先導する経済学者やエコノミストの立場は、「リフレ派」と呼ばれる。山形浩生氏はもともと翻訳家で経済の専門家ではないが、不景気の原因はみんながお金を使わなくなっていること、つまりデフレで、その対策として有効なのは、従来の中央銀行の金融政策を変えて、インフレが来るとみんなに思わせる、つまりインフレ期待を起こすことだ、というポール・クルーグマンの本を翻訳紹介したことで、「リフレ派」を広めた人である。「リフレ派」の主張は、アメリカや日本の経済学者の中でも主流ではなく、かつての小泉構造改革論者からもさほど支持されていたわけではなかった。だが、ここに来て安倍政権の経済政策に、岩田規久男、黒田東彦といった筋金入りのリフレ派が日銀幹部に据えられたことで、アベノミクスが始動したことにより、金融政策を担う官僚や学者は一斉にリフレ支持に回ったという。
 クルーグマンは当面の有効な処方箋として、インフレ・ターゲットを言っているわけで、それで経済の諸問題が解決できるとまでは言っていないと思うが、山形氏の結論はアベノミクスに対してきわめて楽観的である。せんじつめれば以下のような部分。
 「基本的に今後、景気は回復に向かうだろう。当然ながら、あらゆる部分が理想的な展開を遂げることなどあり得ない。それでも、全体としては成長する。それだけでも過去二十年間の惨状からすれば大成果だ。それをどう配分するかは、また別の政策的な課題だ。そしてその中で社会や生活の各側面も改善が見られるだろう。(中略)いま、将来にあまり期待が持てず、公務員志望に縮こまっている若者たちにも、もっと希望を抱く余地が出てくるはずだ、
 そしてその過程で、経済成長というのが実はとてもありがたいものなのだ、という認識があらためて出てきてくれればとぼくは思う。構造改革論者も、福祉雇用論者も、リフレ派を批判する過程で、そもそも成長は好ましくない、それは人々や企業を堕落させたり、社会の矛盾を覆い隠したりする小手先のものだという立場を採りがちだった。そしてそうした論調が強いからこそ、これまできちんとした景気対策が採られないという自己成就的な悪循環が続いていた。そうした物言いがインチキだったというのが、少し見えてくるんじゃないか。」p.33-34.
そして彼は、成長を抑制していた日銀とともに、そもそも経済成長を悪と考える各種の反経済成長論者を敵とみなす。水野氏の論も当然敵視するであろう。
 さて、アベノミクスの功罪やいかに?山形氏の最後の言に「――目論見通りいけば、ね」とあるように「功罪」に結果が出るのはまだ先だろうが、ぼくが気になるのは「経済成長のありがたさ」という思想である。1964年生まれという山形氏からそういう言葉が出るのは、むしろ不思議にも思うが、戦後日本が多くの国民にある種の達成感や満足感を与えてきたように思い、さまざまな社会問題を解決できたのは基本的に経済成長したからであり、他の道はなかったと信じている人がいまもマジョリティだということだろう。社会主義への郷愁を残す55年体制の社会党的リベラル左翼が、資本主義を悪と見て自民党をちくちく批判しながら、結局競争社会の敗者のガス抜きをしていただけで、実は経済成長路線に乗っかっておこぼれを分配していた、という事実は認めてもよい。だが、アベノミクスが目指す経済成長の復活が、その国民マジョリティにとって、「ありがたい」ものなのか?そこは大きな疑問である。
 あと数年、リフレ派の政策が効果を発揮したとして、若者の雇用や生活水準の向上や大衆の生活の利便性・安定性が向上するのだろうか?どんな政策もすべての人を現状より良くするのではなく、それによって大きな利益を得る人がいれば不利益を蒙る人が出る。日本のかつての経済成長も、日本という範囲の中だけで見れば、数十年かけて豊かさの恩恵をマジョリティに及ぼしただろうが、その豊かさは日本人の勤勉な労働の成果であるというよりも、資本主義という経済システムの周辺にあった国・地域を貧困化していたお蔭であるかもしれない。山形氏に言わせれば、それこそ時代遅れの愚かで自虐的な反経済成長論になるだろうが、時代に遅れているのはどっちなのか、と言っておこう。

B.宣長の神とキリスト教の神
 いきなり相良亨『本居宣長』に戻る。
 「紫文要領」で「源氏物語」を通じた歌論・文学論を展開した宣長は、かねて気になっていた神道論への傾斜を強め、賀茂真淵の応援も受けて、明和元(1764)年35歳から本格的に「古事記」の研究に向かう。「もののあはれ」を和歌に託して表現するという芸術論から転回して、神代の世界を伝えることば、古語を手がかりに探求することになる。
 「(石上私淑言の)巻三でいわれていることは、要するに、世の中の「事」は、よくもあしくも、すべて神のしわざ、はからいであり、神は霊異なものであるから、人はそれにしたがう以外にはない、人の心は「をよぶかぎりのある物」であるから、己れの心で万の事の理を考えて思い定めることはおしはかりごとで「強言(しいごと)」「造り事」であるにすぎない、ということである。」相良亨『本居宣長』講談社学術文庫、p.153.
 中国で作られた儒教漢籍にのっとって、この世界をあれこれ解釈したり評価したりするのはすべて悪しき推し量り事、真実ではない。古代の日本は文字をもっていなかったから、やむをえず漢字という文字を輸入したけれども、それを表意文字としてではなく、あるいは思考の形式としての文法ではなく、それ以前の日本人がもっていた言葉、話していた言葉をあらわす表音文字としての「仮名」として利用したに過ぎない。つまり漢文で書いた「日本書紀」では、古代人の言葉と心は歪められてしまう。「古事記」こそは、中華文明に毒される以前の、美しき神代の心ばえ、神のてぶりを伝えているという方法論である。
 「宣長によれば素直な言語にふれる時、それを語っていた人々の素直な生活、素直な心ばえがそこに感じとられるというのである。しかし、宣長が「上代ノアリサマヲシルニハ、古語ナラデハ知ルベキタヨリナシ」という時、例えば神々の生活態度や心ばえの素直さをそこに感じとるということだけに終わっていたとは思われない。素直さと形容されるような生活態度や心ばえの具体的内容もまたその古語は語り伝える。神道を問題にしていた彼にとって、やはりこの内容も当然問題にならざるをえない。われわれが人の言葉を聞く時、その人の人柄を感ずるとともに、やはりその人柄のあらわれとしてのそこに語られた内容も問題である。素直さの感取は、素直さの具体的内容としての生活のあり方を生き生きとうけとるということと別のことではない。『古事記』はこのように古事古伝を、上古の人々の語った古語のままに書き伝えるべく意図してものされたものであった。漢籍心によって着色され歪められた『日本書紀』と異なり、そこにおいて「上古ノアリサマ心バヘ」をしりうる「第一ノ古書」「真実ノ史典」であったのである。『古事記』を、稗田阿礼が誦み習ったままによみもどす努力が学問の第一の仕事であるということになる。」p.168-169.
 言葉への方法論的厳密さ、こだわりが深い思想的意味をもつことは、たとえばギリシャ、ローマの古典文献学者だったニーチェ、比較言語学者でもあったグリム、近代の構造主義のソシュールや現代のチョムスキーにいたるまで、枚挙にいとまないけれども、宣長ほど古代への憧れをもって言葉を考えた人もちょっとないのではないか。宣長の神道論を近代西洋の立場から荒唐無稽と笑うことは簡単だが、宣長が問題にしたのは言語学的な関心ではもちろんない。
 ぼくは、そのことの21世紀における意味を考えたい。上古のヤマトの人々が、神々(もちろん一神教的神概念とは非常に異なる偏在する複数の神)の命令や秩序ではなく、宣長の言葉でいえば心の素直さ、心ばえ、を素直に感受していた世界を理想と考え、江戸時代という漢学が支配していた思想空間(それは形式としてはある意味近代に通じる合理性も含んでいたが)に対峙して、これを「古事記」を手がかりに言語化しようとした試みは、確かにユニークというしかない。そしてそれは、松坂の町人知識人としての宣長という存在が、必然的に呼び寄せた日本の無意識、外国のさかしらな知的輸入権力に反抗する「大衆の原像」に根を下ろす思想、合理的な説得を拒否する「もののあはれ」の絶対性を拠点とする思想闘争だったの、かな?
 もう少しこれは追及しなければならない課題だが、とりあえずアベノミクスは、宣長的心情倫理を取り込もうとして、それを無残に踏みにじることは確かだと思う。
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