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音の記憶Ⅸ レナード・バーンスタイン2  五戒・誤解・碁会?

2017-06-13 21:30:25 | 日記
A.音の記憶Ⅸ レナード・バーンスタイン2 
 音楽家の仕事といっても、作曲と指揮とは別の作業で、19世紀なかばまでそれははっきりした分業ではなく、作曲家が自曲を指揮することも多かったが、オーケストラが大規模化し次第に作曲と指揮の分業が進んだといえるだろう。20世紀には作曲家や演奏家がさまざまな曲を指揮する例も一般化した。P・ブーレーズのように現代作曲家として名を成した人が、指揮者としても活躍する時代になった。バーンスタインの場合も、作曲活動と指揮者を並行してこなし、さらに名門オケの音楽監督やミュージカルやテレビなどでも頻繁に登場して、音楽の普及に貢献することで世界的評価を得た。ただ、バーンスタインの作曲家としての仕事は、「ウェストサイド・ストーリー」などの他は日本ではあまり聞く機会も少ない。年代順のリストを見ると、交響曲、バレエ曲、オペラ、歌曲、合唱曲、器楽曲と実に幅広い。
交響曲は第1番『エレミア』 (Symphony No.1 "Jeremiah") (1942年)、第2番『不安の時代』(ピアノと管弦楽のための) (Symphony No.2 "The age of anxiety") (1947年-1949年/1965年改訂)、第3番『カディッシュ』(管弦楽、混声合唱、少年合唱、話者とソプラノ独唱のための) (Symphony No.3 "Kaddish") (1963年/1977年改訂)、バレエ『ファンシー・フリー』 (Fancy Free) (1944年)などに続き、ミュージカルでは『オン・ザ・タウン』 (On the Town) (1944年初演)、『ワンダフル・タウン』(Wonderful Town) (1953年初演)、そして『ウエスト・サイド物語』 (West Side Story) (1957年初演)、『キャンディード』 (Candide) (1956年初演/1989年最終改訂)と続く。映画の『波止場』 (On the Waterfront)の音楽 (1954年)も書いている。
オペラは『タヒチ島の騒動』 (Trouble in Tahiti) (1952年)この作品は後年に大幅な拡大改訂が施され、オペラ『静かな場所』 (A Quiet Place)となった。(1983年)。
初期にクラリネット・ソナタ (Sonata for Clarinet and Piano) (1942年)、5つの子供の歌『私は音楽が嫌い』 (I Hate Music) (1943年)、合唱曲『チチェスター詩篇』 (Chichester Psalms) (1965年)など声楽曲を書いた後、歌手と演奏家、踊り手のためのミサ曲 (Mass - A theatre piece for singers, dancers, and players) (1971年)、合唱曲『ソングフェスト』 (Songfest) (1977年)、前奏曲、フーガとリフ (Prelude, fugue and riffs) (1949年/1952年改訂)、セレナード (Serenade) (1954年)もある。
やがて、バレエ『ディバック』 (Dybbuk) (1974年)、政治的序曲『スラヴァ!』 (Slava! A Political Overture) (1977年)、オーケストラのためのディヴェルティメント (Divertimento for Orchestra) (1980年)、ハリル (Halil)(1981年)、ピアノ曲『タッチズ』(コラール、8つの変奏とフーガ) (Touches - Chorale, Eight Variations and Coda) (1981年)、アリアとバルカロール(メゾ・ソプラノ、バリトンと4手ピアノのための) (Arias and Barcarolles) (1988年)と作曲活動は精力的に続いた。
ぼくは、初期の交響曲第1番『エレミア』、交響曲第3番『カディッシュ』などを聴く機会はなかったが、「エレミア」やミサ曲などもあるところをみると、宗教的なモチーフを大衆的な形で表現し、彼の背景の一つであるユダヤ教の影響が現れているという。バーンスタインの作風は、1つの作品の中にジャズやラテンや現代音楽などの様々な要素を巧みに織り交ぜることが大きな特徴になっていた。その点は、いわゆる古典的なクラシックの保守派からすれば、彼の生前には「折衷的」という批判が出されていたらしい。しかし現代にあっては、むしろ多様な表現様式の融合は当然の潮流ともなっており、「ウェスト・サイド物語」「キャンディード」などもともとミュージカルシアターのために書かれた作品がミラノ・スカラ座をはじめトップクラスの歌劇場で上演されるようになったのも、バーンスタインの作品への再評価につながっているという。
21世紀の現在からみれば、もはや19世紀に確立した「クラシック」というジャンル自体があまり意味のないものになりつつあるだろうし、そういう道を切り開いた作曲家として、バーンスタインを考えるのは自然なことだと思う。バーンスタインには、さまざまなエピソードや証言が残っているが、ぼくに面白かったのは、次のやりとりである。
ある指揮者志望の若者に尋ねられたときの彼はこう言ったという。
① 「私も指揮者になりたいのですが?」     
  「無理でしょう!」   
  「どうしてでしょうか?私には指揮者としての才能がないのでしょうか?」
  「君の才能のことなどは知らないが、私にそのような質問をしたからだよ!」
② あなたが音楽家になろうと思った時から、あなたは音楽家なのだ。
③ 何よりも素晴らしいのは、音楽が伝えることのできる感情の種類は無限だということだ。言葉で表現できない深い感情までも音楽は明確に示してくれる。
④ 偉大なことを成し遂げるには、2つのことが必要だ。1つは計画、もう1つは不足気味の時間。
⑤ 誰かと分かち合えない感動は私にとって無意味だ。
皮肉に満ちた答えだが、指揮者にせよ作曲家にせよ、音楽家になろうと強く思えば、音楽をひたすら追求する意志があればそれで十分だし、指揮者になるにはどうしたらいいか、などという問いはさして意味のあるものではない、ということだろう。音楽で飯が食えるか、食えないかなどと考えてもそれはやってみなければわからないし、そのための自分を鍛える計画と、じゅうぶんな時間を確保するだけだ、というわけだ。
そこにはユダヤ人、あるいはユダヤ教というものの世界への向き合い方が反映しているように思う。それはたぶん、キリスト教ともちょっと違うし、ましてそのような思考を音楽や芸術にもちこむのが苦手な日本人には、簡単に理解できそうもない。



B.人倫・道徳の基本について
 たまたま新聞の投書欄に、こんな文章を見つけた。戦前の日本で学校教育の中心理念とされて少国民に刷り込まれた「教育勅語」が、望ましい人間のあり方を示していると21世紀の現代に公然と唱える政治家がうようよ現れた事態に対して、高校で倫理を教えていたという投書者は、基本的な批判を提示しているように読めた。

「声100年:「教育勅語」切り売りは無意味  無職 花輪 紅一郎(67)
 「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」の四つは、仏教の五戒と旧約聖書の十戒に共通する徳目であり、万古不易の人の道の基本と言っていい。
 近頃、「教育勅語」には時代を超え、世界に通用する道徳があると持ち上げる人たちがいるが、この四つが含まれていないことをご存知だろうか。逆に、勅語の1丁目1番地である冒頭の「君への忠」をなぜ無視するのだろうか。
 教育勅語は「君への忠」から始まり、「皇運扶翼」まで一貫した徳の体系の中に他の徳目を組み込む構造になっている。「兄弟仲良く」したり「学を修め」たりするのは何のためか、究極の目的を抜きに個々の徳を切り売りしても意味はない。勅語の核心は、すべては君のために命をなげうつ忠誠心を持った人になることだ。そこに「殺すな」や「盗むな」は入り込む余地はなかったのだ。
 もし人命尊重や略奪禁止を掲げていたら、侵略戦争や日本兵の残虐行為はなかっただろう。人の道の基本を抜きに、天皇への忠誠心のみを求めた勅語の過ちは戦後反省したはずだ。私は高校で倫理を教えていた。道徳に「殺すな」「うそをつくな」は欠かせない。」朝日新聞2017年6月10日朝刊16面オピニオン欄、投書。

 仏教でいう信徒が守るべき「不殺生」「不偸盗」「不妄語」「不邪淫」(もうひとつ「不飲酒」を加えて五戒とする)は、ユダヤ・キリスト教の旧約聖書でも十戒のなかに含まれる徳目であるとして、洋の東西を問わず人倫の基本を示すものは「殺すな」「盗むな」「嘘をつくな」「淫らな行いをするな」である。この世の現実は、この戒めがあるにもかかわらず、殺人や盗みや虚言や淫行はあちこちで起こっているが、それは明らかに人の道に背く行いであることは、誰もが認めるはずだ。だとすれば、どのような宗教や道徳の立場にたつにせよ、普遍的な倫理・道徳を説くのならば、この4つは欠かせない。しかし、「教育勅語」にはどこを読んでもこの4つが出てこない。ただ夫婦相和し朋友相信じ、家父長的家族を良きものとして最終的に天皇制国家に忠誠を尽くすのが臣民のあるべき姿だと書いてあるだけだ。これは、過去のある時代に作為的に作られた勅語であり、決して人間が普遍的に守るべき倫理でも道徳でもない。そんなことをいまさら言わなければならない今の日本は、まともな精神を見失っているとしか思えない。
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