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マンガという文化・・・手塚治虫の啓蒙

2017-07-01 06:08:30 | 日記
A.手塚治虫の啓蒙
 マンガとアニメは、20世紀に大きく発展し、人々にさまざまな物語やイメージを画像を通じて伝える表現として文化的な影響力を発揮した。この先駆けとなったのは、「動くマンガ」としてはアメリカのディズニーであり、「読むマンガ」としては日本の手塚治虫だというのは、今日ほぼ定着した評価だろう。その手塚治虫は膨大な作品で、漫画表現の可能性を広く拡大したが、他方で日本のアニメも自ら手がけ、漫画文化の普及に努めた。そして、プロのマンガ家だけでなく、一般の人々にただマンガの読者・享受者としてだけでなく、あなたも漫画を描いてみませんか、という勧誘を行ったのが『マンガの描き方』(1977)という本である。これは、漫画作品ではなく文章で、マンガを描くにはどうすればいいかを語っている。

「ひとつ、あなたも漫画をためしに描いてみませんか。
 近ごろの親は、いまどの雑誌にどんな漫画が載っているか知っていると、子どもに、尊敬のされかたがちがう。
 もっと尊敬される方法は、親が、漫画を描いてみせることだそうだ。
 同じようなことが、教師についてもいえる。いまや、漫画の博士で、漫画のイロハぐらい描けるということが、生徒や学生への手っ取り早いコミュニケーション手段となった時代である。
 父兄や、教師が、漫画を子どもからうばったり、かくしたりすることは、時代おくれになった。さらに、ヤングのあいだでは漫画を描き、見せあうことで、心のふれあいや交友のきっかけにしようとすることがあるが、その会場でなによりも重要な目的は、漫画を通じて全国の未知の同世代と交流することだそうである。
 それでなくともわたしたちは、いやおうなしに四六時中漫画に触れているのだ。朝、新聞を見れば似顔漫画や広告漫画、道を歩けば漫画の看板、そしてテレビCMにも漫画があふれ、わたしたちは、もう空気のように意識せずに漫画の中で生活しているのだ。
 けっきょく、おとなだって漫画が大好きなのだ。
 今まで漫画を描くという作業は漫画家というプロか、その予備軍に限られていたようだし、また、そういう指導書も、その人たちを対象に書かれたものが多かった。
 この本は、そういう専門書ではない。アマチュアむきの、いや、道楽、趣味、手すさび、ひまつぶしといったていどの描き方の手ほどきである。
「ねえ、おとうさん漫画描ける?描いてごらんよ」
 と子どもたちにねだられて、
「よーし、描いてみせてやるとも」
 と言って、やって見せると、きっと、子どもたちは目を輝かせてあなたの作品を眺めるだろう。もし笑ったとしても、それは絵が下手だとか、馬鹿にして笑ったのではなく、たぶん、今までとちがった身近さを父親に感じた喜びだろうと思う。
 この本は、いわゆる漫画家の卵とか、漫画グループとか、マニアが見ると、きっと物足りなくてぜんぜんつまらないだろう。その人たちはもっと専門書を読むチャンスがいくらでもある。あくまでも、この本は手ほどきである。この本一冊で、何百人か、何千人かの、今まで書いたこともなかった人たちが漫画をちょっと描いてみる、それで目的が達せられる本である。
 そして、ただ描くだけでなく、それによってなにかを訴えたり、見せあって意見を述べあったりすることが、砂漠のように無味乾燥な今の生活の中に、ちょっぴりオアシスの役目を果たせるなら、これにまさる満足はないのである。
    昭和五十二年五月五日  手塚治虫」手塚治虫『マンガの描き方』知恵の森文庫、光文社、1996.(原著1977年5月 カッパ・ホームス)pp.3-5.

 この「まえがき」は、1977年という時点で、マンガが日本社会にどのようなものと見られていたか、それを実作者としての手塚治虫がどう考えていたかを示す興味深い文章である。戦後の日本では、マンガは子ども向けの低俗な読み物として、ある時期まで「漫画なんか読んではいけない」、「勉強の邪魔になる」と言われ、マンガ家たちも社会の片隅で日陰者のような存在として生きていると感じていた時代があった。しかし、手塚たち戦後の若いマンガ家は、小説や映画と同じように誰もが楽しめ質の高い作品の内容で勝負するのだと、長編ストーリー漫画や新しいギャグマンガを続々と生み出し、この1977年頃には、文化的な価値のある表現として社会に認知されるまでになっていた。そして、ただマンガの読者であるだけではなく、自分でも描く人があちこちにいて、お互いに同人誌的に見せ合ったり、マンガをきっかけに交流したりする若い人たちが増えてきた、と満足感を自慢げに書いている。この頃から、いわゆる「コミケ」(コミック・マーケット)が大イヴェント化してきたことを指している。これももう歴史の部類に入る話である。ただ、それは「をたく文化」と言われはじめて、マンガやアニメをマニアックに愛好する人たちへの社会の目線が別の意味で変わってきた時期でもある。

「たとえば若い劇画家は、とにかく、カッコのいいポーズの主人公を描きたがるようですね。まゆ毛が太く、めったやたらに強く、顔はきりりとし、からだはボディビルみたいなヒーローが、そこらの週刊誌にゴマンといる。
 ところが描いている本人というのが、インスタントラーメンばかり食ってるような、ひよわそうなやさ男なのです。これは、男性美とか、スーパーマンに対するあこがれの日本的発想かもしれない。
 また、女の子の漫画といえば、目の中に、星が光っているのが通例になっている。これも女性の見果てぬ夢への表現かもしれない。
 何故、ぼくがこんな例を引用するかというと、要するに、漫画は、欲求の映像的表現をするものだということを言いたいのである。
 最初のほうで、あなたが、いま望んでいることをなんでもいいから描いてみるようにといったのは、つまりそれである。
 もし、なんにも欲がなく、望みも、心残りも、ウラミツラミも持たない悟りきった坊さんのような人が、漫画を描いたら、それは仏教の禅画みたいになってしまうだろう。
 漫画の中には、なにかしら、描いた本人の煩悩というか、モヤモヤの発散がある。それは、何度も言うように、気ままに思うがままに描くからである。そして、その欲求は、たいてい不満を含んでいる。
 その不満というのは、世間や、他人や、政治や、あるいは自分自身への不平がふつうなのだ。それらには、「こうなればいいのに」という自分の希望がくっついている。
 漫画はそれを描くのですよ。
 第一次世界大戦のときに、レメーカーという漫画家が、「負傷兵輸送列車」という絵を発表した。
 どんな絵かというと、画面いっぱいに黒っぽい貨車が描かれている。そして、真っ赤な血が貨車の扉のすきまから流れ出ている。その絵は、ショッキングだ。そして、戦争の残虐さやおそろしさ、陰惨さを、こんなにさりげなく表現した漫画は珍しい。
 一般に、こういった反戦漫画や、政治漫画だけが、風刺漫画だと思われがちだ。そうではなく、身のまわりのことならなんでもよいのである。こうではいけないのじゃないか、という庶民の批評眼を、ずばり、絵で描くことだ。
 そして、それに「からかい」気分があるともっと楽しくなるのです。
 たとえば、ずるそうな上役のことを漫画に描くのに、その上役の似顔を描いただけでは当たり前だが、その似顔の胴体を、たとえばタヌキとかキツネにすると、なんだか滑稽になってくる。また、その似顔の口から下が二枚ダラッと出ていると、もっとおもしろい。
 そういうからかい精神は、あくまで大衆の武器である。もしかりに政治家とか社長が漫画を描いてみても、あまりおもしろいものはできないだろう。昔から、東西を通じて、王侯貴族で漫画家だった人はいないと言っていい。上から下をからかっても、当の大衆は、すこしもよろこびはしない。
 それから、からかいではなしに、ほめる漫画というのも、ちっともおもしろくないものだ。よく政党新聞や、思想色の強い出版物に、自分のところの体制をほめ上げる漫画があるが、これなんか、ぜんぜんおもしろくないのだ。
 自分自身についての不満やコンプレックスを、自分と同じような人間を描くことで笑いとばす、つまり自嘲する漫画もたくさんある。自分と同じような人間がやる失敗やおかしみが、さりげない“毒”を含んでいればいいのだ。つまり、それもからかい精神といえる。」手塚治虫『マンガの描き方』知恵の森文庫、光文社、1996.(原著1977年5月 カッパ・ホームス)pp.18-21.

 マンガの影響力が大きくなると、マンガはその時代の人々のものの感じ方や社会への視線を反映するとともに、それになにかを付け加える。実作者としての手塚治虫は、人々の世のなかへの不満やあるべき人間の希望を、マンガこそ語るべきだといっているし、実際彼のマンガはそれを常に意識していた。

「演繹法と帰納法:漫画の良し悪しは、最初に考えた「案」あるいはアイデアできまる。
 絵だけ描けても、アイデアが良くなければ、漫画としてのおもしろさがない。
「案」は、人を笑わせたり、感動させたり、考えさせたりするためにつくる。そして、自分が考えているテーマを読者に知ってもらうのだ。
人真似でなく、奇抜で、しかも新しいアイデアをつくってみよう。「案」を考えるには、大きく分けて二つの方法がある。
演繹法(展開法ともいう)と、帰納法である。
論理学などで使うむずかしい言葉だが、かんたんにいって、お話を最初から行きあたりばったりに考えていくことと、最後のオチを考えて、それに合わせてお話をつくることである。
1 演繹法――これが→こうなり→こうなった。ある物が動きだして、とんでもないことになってしまった、というかたち。
たとえばリンゴがあるとする。リンゴが転がり→下にいた猫にぶつかって→驚いた猫は犬を追いかけた。
登場人物と舞台さえ考えたら、あとは作者にもどうなるかわからないというかたちで話が進む。どんなことが起こるかわからないという意外性はあるけれど、へたをすると、まとまりがつかなくなる。
(中略)
2 帰納法――これがこうなっている→そのわけはこうだ。ある出来事は、こういう原因で起こったのだということをたしかめるかたちである。
リンゴがここに落ちている→そそっかしいお母さんがネコを踏んづけ→籠をひっくり返したので、転がってきたのだ。
読者は、それほどハラハラしないで、安心して読んでいけるが、オチに結びつけるため理屈っぽく、またオチが読者にバレる危険もある。
落語に、お客さんから三つの言葉を言ってもらって、それをひとつの話にする「三題噺」というのがあるが、帰納法はこれとよく似ている
たとえば、男の人、マンホール、美人の女性というのであれば、次のような話ができる。オチは、男の人がマンホールに落ちるということにしておく。
男の人が歩いていて→美人に見とれているうちに→マンホールに落ちた。
これでは単純すぎるので、もう少しくふうしてみよう。
女の人はじつは借金とりで→自分に気づかず通りすぎた→男の人はニタッと笑って振り返る→マンホールに落ちた。」手塚治虫『マンガの描き方』知恵の森文庫、光文社、1996.(原著1977年5月 カッパ・ホームス)pp.118-120.

漫画を自分で描こうとするときの方法について、ここでは「演繹法」と「帰納法」を対比させている。論理の立て方、ものの考え方について「演繹deduction」と「帰納induction」は、推論の手続きにおいて正反対の道筋をとるというベーコン由来の議論だが、ここでは論理の話というよりも、マンガのストーリー展開をどう作るかという話になっている。因果論的説明ということからすれば、現象の原因を探って一般的な真理に到達するのが帰納で、抽象的論理(記号的論理)を立ててそこから個別事象を説明するのが演繹だとすると、手塚さんの説明は少し乱暴な気もする。要するに話のオチをまず置いてそこへエピソードをどう並べるかが帰納法で、最初のエピソードからどこへ向かうかを決めずになりゆきを追って行って、意外な結末にもっていくのが演繹法だという。これはいかにも物語の実作者の発想である。
人が常識的な発想にしたがって、出来事を予測し、そこに生起する結末が期待を裏切ったり、意外な結果にたどり着くところが笑いや驚きを呼び覚ます、というのがマンガの生命だとするならば、論理的推論というよりは、落語的な飛躍をいかに仕込むかという話になるから、演繹法でいくか帰納法でいくかというよりも、読者の期待の裏をかく面白さを頭をひねってください、と言っているのだろう。



B.地方鉄道への投資
 昨年の秋、岩手県の山間部、岩泉町に行ったときそこに通じていたJR岩泉線の廃線跡を見た。川沿いの渓谷や山岳を縫う鉄道路線を見ると、こんなところまで鉄道を引いた人々の熱意と工事の苦労を思った。それも水害の被害を理由に、廃線になってしまった。人々はクルマに頼って鉄道がなくなるのは仕方がないと諦める。

「道路偏重やめ地域再生へ:関西大学教授(交通経済学)宇都宮浄人
 JR北海道は昨秋、路線の半分を「単独では維持困難」と発表した。専門家の中には、最低限の移動手段はバスで確保できるという意見もある。ノスタルジーだけで鉄道は残せないというのもその通りであろう。
 しかし、欧州先進国からみると、日本の議論は半周遅れのように感じる。私が今春から在外研究で滞在するオーストリアでは、地方鉄道の積極活用が始まった。オーストリアは北海道と類似点が多い。面積はほぼ同じで大都市も少なく、自家用車の普及で鉄道利用者が減り、地方で廃線が進んだ。ただ、今は州政府が中心となり鉄道に新規投資している。
 ではなぜ、欧州先進国は赤字鉄道に新規投資するのだろう。
 日本で鉄道への投資というと、財源が問題になる。鉄道は独立採算が原則で、交通分野の公的補助は道路が主体だからだ。国費だけでも道路は鉄道の10倍以上の予算がある。一方、オーストリアは予算配分の見直しを進め、連邦予算で2000年に道路とほぼ同額だった鉄道予算が、11年には道路の2.5倍になった。
 東部の都市ザンクト・ペルテンから巡礼地マリアツェルまで山岳地帯を走る全長84㌔のマリアツェル鉄道は、新車両投入と路線改良で所要時間を約30分短縮させ、1日上下11本だった列車本数を倍加させた。その結果、16年の夏のシーズンは、14年比で16%の乗客の伸びを示した。むろん、乗客が増えても投資の回収はおろか、運行経費も運賃収入では賄えてはいない。
 欧州では、鉄道は収益事業とみなされていない。公的な支えが必要な「社会インフラ」と位置づけられている。さらに重要なことは、過度にクルマに依存した社会が環境悪化など様々な問題を引き起こし、生活の質を低下させ、地域を衰退させるという認識を共有している。EUは01年の交通白書で過度な道路依存から脱し、あらゆる移動手段の「バランス」を取ることを目的に掲げた。
 そもそも、地域衰退の悪循環を打破するには、公共交通が、住民の思わず乗りたくなる利便性や乗り心地、さらには観光客を引きつける魅力も備える必要がある。地方の生活の質を上げれば若者が流出せず、観光客が増えれば地域も再生する。公共交通は「最低限の移動」をかろうじて守るだけの存在ではなく、鉄道についても目先の収支ではなく広く社会にもたらす効果を考え、活用しているのである。
 新たな財源を求める必要はない。道路に偏った公的資金の配分を若干変えるだけでいい。日本も成熟した先進国の一員として欧州の姿を謙虚に学び、地方鉄道への新規投資で地域再生につなげるべきだろう。」朝日新聞2017年7月1日朝刊、15面オピニオン欄「私の視点」。

 市場原理の効率を優先すれば、採算の合わない鉄道は廃止されるのが理の当然となる。それを残念だと感じるのは時代遅れのノスタルジアか、個別利害に固執する愚かな保守主義だとみなされるのが今の安倍政権である。でも、高度成長を謳歌した時代、そんな不採算路線を政治的に建設して票を集めてきたのは、自由民主党の政治家だったことを忘れてはいないか。
 宇都宮先生は、市場原理採算路線を採らずにあえて鉄道を維持するオーストリアを見習って、日本も赤字路線を活性化させる道を探ることを提起する。しかし、今の日本ではこれはたぶん捨てられる選択だ。それは鉄道には自動車という代替手段があるからに他ならない。だから公的予算は鉄道ではなく道路に注がれる。もしそれを阻止しようとするならば、国家の基本姿勢として、市場原理主義を部分的には否定する思想を持たなければ不可能だと思う。
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