皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

真新しい下駄を履いて

2017-05-11 22:49:27 | 神社と歴史
五日のこどもの日は皿尾の疫神祭でした。毎年この時期に行われる祭事で、300年以上続く伝統行事となっています。起源についての文献は見られませんが、江戸期間に疫病が流行り、その祓いをして廻ったことが始まりのようです。農業期の始め、苗代の頃に行われるため、苗代祭りとも呼ばれます。私が小学校の頃までは、神輿も担いで廻りましたが、氏子の減少と高齢化のため、軽トラックに乗せて廻ります。久伊豆神社、大雷神社二柱の御神体を移し(御霊移)、各年番の家々を廻っていきます。また村の入り口三ヵ所に疫神除け神札を差した竹笹に注連縄をしてお祓いをします。中里境、皿尾橋、二つ目(谷郷境)の三ヵ所です。神社の資料によれば、こうした村境に注連縄を張り、神札を立てることは各地で行われいたようですが、車社会の到来とともに、土地改良整備がすすむにつれ行われなくなったようです。当地はこうした祭事が今なお残っています。また皿尾橋は映画のぼうの城のエンディングでも出ていました。皿尾区域は自治会内で10番組までありますが、農家主体であった5番組までで行われています。また年番さんは各家庭を御神酒と厄除けとして神垂のついた樫の枝葉をもって廻ります。また厄除けの意味合いも込めて毎年真新しい下駄を奉納しているいただき、神主として私が履いて祓いをしています。総代さんの話によれば、昔は氏子も皆新しい履き物を用意して履いたようです。こうしたところに祭事としての伝統や意味合いを感じます。すでに私の代になって九年の月日が待ちました。神輿殿を整理したさい、明治から大正期にかけて奉納された額が数多く出てきました。現在の社殿の完成が昭和六年ですので、以前の社殿にて行われていた祭祀の様子がわかる貴重な資料です。神輿殿への収納は氏子総出で行われ、行田締めで手締めがされます。直会は個別の料理ではなく、必ず大皿でいただきます。この辺りは苗代の労を皆でねぎらいつつ、豊作を願ったことが引き継がれています。実際の農家の数は減りましたが、こうした地域のつながりが延々とつながっています。
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