マリインスキー・オペラ『エフゲニー・オネーギン』

2016-10-19 04:12:59 | 日記
東京と京都で全5回の公演を行っていったマリインスキー・オペラ。
『ドン・カルロ』の初日と『エフゲニー・オネーギン』の二日間を両日観たが、
ゲルギエフがこの劇場で行おうとしていること、彼が思い描く芸術の未来を受け取ることができた印象的な上演だった。
ロシアの魂、ということも強く感じた。
ゲストのスター歌手が登場した『ドン・カルロ』と対称的に『エフゲニー・オネーギン』はマリインスキーの若い歌手たちがメインキャストを務め、
タチヤーナのマリア・バヤンキナもエカテリーナ・ゴンチャロワも初めて名を聞くソプラノだった。
可憐で見た目も若く、瑞々しいタチヤーナで、二人ともマリインスキーの底力を感じさせた。
演出家のアレクセイ・ステパニュクによると、今回の演出では「若者ゆえの未熟さ」を演じてもらうために
熟練した歌手ではなく、若手を多く起用したのだという。

ダブルキャストで全く違う話に見えてしまうのも『エフゲニー・オネーギン』の面白さで
レンスキーは、15日のエフゲニー・アフメドフより、16日のディミトリー・コルチャックの評判がよかったが、
自分の長所を余すことなくステージで表現していったコルチャックより、ナイーヴで一生懸命なアフメドフに強く魅かれた。
オペラ歌手としての実力や華は、コルチャックが数段上だが、物語の神髄を教えてくれたのはアフメドフで
2014年の新演出の初演時に、ゲルギエフがこの若者を大抜擢した理由がわかるような気がした。
レンスキーは婚約者のオルガを子供の頃から愛し、気まぐれなオネーギンがオルガをダンスで独占したことに激昂して決闘を申し込むが、
人間の世界に対して「心ここにあらず」の厭世的なオネーギンと対称的に、レンスキーは地上の愛に執着し、広い世界を見ることを怖がっているタイプだ。
温厚そうなアフメドフのレンスキーを相手に、オルガ役のセルゲイエワが「愛されすぎるのも鬱陶しいのよね」という表情をしていたのが面白かった。
気の弱いレンスキーにとって、オルガへの愛は過去と未来を包み込むすべてであり、自分の人生そのもので
オネーギンが茶化したのは、レンスキーの実存である…という演技だった。
コルチャックは華がありすぎて、「女をとられてカッとした」若い男にしか見えなかったが
アフメドフは、舞台に本物のレンスキーがいるようだった。

確かに声量はもっとあったほうがいいし、自己アピールも控えめだったが、アフメドフは「儚き生命そのもの」で
この、誰かが手をさしのべたくなる儚さこそが、このオペラの肝なのではないかと思ったのだ。
オーケストラも、歌手の若々しさに寄り添った清冽なサウンドで、
タチヤーナの手紙のシーンでは、チャイコフスキーの乙女心にゲルギエフが完全に同調していた。
木管が一音ずつリレーしながら、フレーズの末尾ごとにハープの「ポロロン」という音が入る。
あれは、タチヤーナの乙女文字を表していて、ハープのポロロンは「消しゴムでごしごし」なのではないかと妄想した。
ゲルギエフは、夏のPMFでも感じたが、人相が変わり、音楽も変わってきている。
清らかになり透明感を増して、デリケートで、何かを誇示するようなところがなくなった。
オネーギンではゲルギエフの小さきものへの愛、若い存在への慈愛が感じ取れた。

主役のオネーギンは、アレクセイ・マルコフとロマン・ブルデンコでは全く違う話に見えた。
マルコフは強壮で魅力的なオネーギンで、タチヤーナが一目惚れしてしまうのもわかるような男前で
3幕にグレーミンと結婚したタチヤーナと再会するシーンでも、自分勝手でハンサムな若者だった。
ドン・ジョヴァンニのように、自己中心的で自分を改めない男が、いい女になったタチヤーナが欲しい、
と強情を張っているようだった。
ブルデンコはマルコフよりおじさんぽく、1幕の登場シーン、タチヤーナへの説教では冷静沈着な教師のようだったが、
3幕では、すべてがひっくり帰っていて、タチヤーナに本気で恋をしてしまい、それが予想外のことで
自分で自分がわからなくなり、我を失っている演技に変貌した。
声楽的には互角の二人だったが、ラストシーンの感動はブルデンコに一票入れたい。
オネーギンの狼狽を見ることが、このオペラの楽しみのひとつだと初めて自覚した。

タチヤーナを娶ったグレーミン公爵がしみじみと歌う『恋は年齢を問わぬもの』は
初日のミハイル・ペトレンコが圧倒的だった。歌い出しがワインのアロマのようで
若い妻が与えてくれる太陽のような温かさを、骨身に沁みて感じている男の歓喜がじわじわと伝わってきた。
『ドン・カルロ』では、フィリッポ二世役のフェルッチョ・フルラネットが若妻から愛されない闇のような悲哀を歌い
その後にこのペトレンコが登場して血も涙もない宗教裁判長の歌を歌ったが、フィリッポの歌とグレーミンの歌は見事に対をなしている。
前半のオネーギンの「あなたの完璧さも私にとっては無意味」という冷たい歌とも対照的で
命を粗末に扱うか、有難く受け取るか…という男の二つの態度を表しているようだ。

このオペラを観て「命」ということを強く感じたのだ。
合唱からは、大地から突き上げるような生命の霊力が溢れていたし、若い歌手たちはまっさらな生命力をさらけ出してきた。
チャイコフスキーの巨大な才能とは、命を愛するということだったのではないか。
エリート的な知性を持ち、官僚としての未来を約束されたチャイコフスキーが
愛する力ゆえに作曲家となり、「白鳥の湖」や「エフゲニー・オネーギン」を書いたことは
現代的な功利性から考えると、奇跡のようだ。溢れ出す愛の力を知性と結びつけ、名作を残した。
ゲルギエフが「教育的側面を持つ劇場」としてのマリインスキーを推進し、若者に未来を託しているのも命の愛ゆえだろう。
先祖から与えられた命を、次の世代に渡していくということを本気で考えている芸術家で
文字にするとずいぶん凡庸なようだが、それが「ロシアの魂」であると強く思った。

5年ぶりの来日公演で一番の収穫は、『ドン・カルロ』のエボリ公女と、オネーギンの二日目のオルガを歌ったユリア・マトーチュキナを発見したことで
歌唱のパワー、演技力ともにずば抜けており、マリインスキーから世界へ飛び立つスター歌手だと確信した。
バレエもオペラも、マリインスキーは金の卵を世界に提供する…次の来日もマトーチュキナの歌を聴けることを強く願う。






























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