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譚海という雑誌

2016-09-18 18:53:07 | 随筆
小学生のころ雑誌譚海を叔母に買って貰ったことがあります。ちょっとした病気で床で伏っていました。ですが病気がどうだったかの記憶はありません。ただ譚海という少年雑誌だったことを憶えています。どうやら昭和十五年のころのできごとのようです。そのことが妙に記憶にあって先日から津村正恭の譚海を読み始めました。
筆者津村淙庵は和漢の学に通じた江戸の歌人で,安永年間(一七七二ー八一)四〇歳ころから二〇年にわたって見聞したことを書き記したのが譚海です。淙庵は伝聞の類だから、誤りもあろうから、読者において改め補って欲しいとも書いています。
江戸で商われている椎の実は、伊豆の新島から来ている。新島から浦賀へ の船には五斗入りの百五十俵の積荷がある。新島には椎の大木が多く、年寄りや子供らが実を拾い集めている。またその木は船の櫓や舵として伐採される。山奥の椎は積み置かれたままである。自然朽ちれば椎茸が生えるがそれが又商いになるのである。島には牛が多数飼われているが、島には田畑がないので、耕作の用にはならない。そこで流人の壮者を集めて牛を追いつめ、角を打ち落とす。牛の悲しげな鳴き声は聞くに堪えないものだけれども牛にとっても無用のものであり、やむを得ぬことである。落した跡には小さな芯があり、ときを経れば角になるのである。角は漁業用具として売り渡す。角は鰹漁の釣針に使われていたようである。
 別項に隠岐国より北に当たり六、七十里遥かに沖に島がある、と書かれていますが、現在悶着のある竹島であると推定されます。それは又あとで。
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