最近ベレー帽が流行しているらしい。私は帽子をかぶるのが好きだが、中でも一番好きなのがベレー帽だ。ベレーをかぶり始めたのは高校生になった春だった。新しい世界が開けるような気分でいっぱいだった。私はいろいろなところに出掛けていっていろいろな人に会った。初めて会う人への目印として、私はいつも「白いベレーをかぶっています」と言ったものだった。
そのころひょんなことで知り合って親しくしていた一人に、Jさんという小説家志望のヤクザな大学生がいた。Jさんは高校在学中は医学部志望の自信に満ちた優等生でありながら、失恋をきっかけに勉強できなくなり、父親を欺いて文学部に進んだという人だった(まるで「医学では人を救えない、文学にはその可能性がある」と言った魯迅みたいに!)。不良文学少女を気取っていた私は、その人生棒に振りっぷりにいっぺんに痺れてしまった。
知り合ったころJさんにもらった手紙――
今読み返してみると、本人でない私も少々気恥ずかしいけれど、酒を飲んだり家出を繰りかえしたりして、なぜか自分が10代で死ぬと信じていた当時の私、学校に馴染めず、1日1冊本を読んでいた当時の私がどれだけこの手紙に共感したことだろう。私は早速、憎からず思っていた医学部志望のTくんに、Jさんの受け売りで「人々を救うという点において医学は万能ではないんだよ」と嘯いたのだった。
私はJさんにすっかり傾倒していた。Jさんも私を自分の妹分として可愛がってくれた。薦めてくれる本は片っ端から読み、手紙をやりとりし、しょっちゅう長電話をした。京都のあちこちに連れて行ってもらい、下宿にも遊びに行った。Jさんの華麗な女性遍歴の話を、私はわくわくし、ときに呆れながら、リアルタイムで聴いていたのだった。
Jさんはよく旅に出て留守にしていた。そして旅先から絵はがきや時には長い手紙をくれた。柳川のルノワルユースからこんな手紙が来たとき、私は大騒ぎした。
Jさんはまたこんなことも書いていた。
この手紙をもらったのは高校2年の時だ。今私はこれといったことを成し遂げないまま、「完成」には程遠く、かといって未熟であることも不細工な年齢になってしまった。
身過ぎ世過ぎに追われる毎日を送る私に、あのころの感性が少しでも残っているかどうか疑わしい。イタイ高校生だったあのころのまま成長せず、イタイ中年であることだけは間違いないけど。そうだ、今の私はイタイ人のまま感性だけ抜け落ちているような気がする。
片づけをしていて発見し、思わず読みふけってしまった手紙の差出人であるJさん。思わぬ巡り合わせで今度会うことになった。私はいまだにベレー帽を愛用していて、Jさんに会う日もきっとかぶっていくのだ。
そのころひょんなことで知り合って親しくしていた一人に、Jさんという小説家志望のヤクザな大学生がいた。Jさんは高校在学中は医学部志望の自信に満ちた優等生でありながら、失恋をきっかけに勉強できなくなり、父親を欺いて文学部に進んだという人だった(まるで「医学では人を救えない、文学にはその可能性がある」と言った魯迅みたいに!)。不良文学少女を気取っていた私は、その人生棒に振りっぷりにいっぺんに痺れてしまった。
知り合ったころJさんにもらった手紙――
私が文学部に行ったのは、機械であることから少しでも 遠ざかりたかったからです。医師も裁判官も単なる機械です。文学部へ行って少しでも人間的な自分自身を完成させたかったのです。自殺しようとしている 一人の女の子の 心の病を救うことのできる 大人が、医者が、どれだけいるのでしょう。彼等の説く良識が、若者の持つ価値観と大きな断絶を持っていることに どれだけ 気がついているのでしょうか。私は 作家となって、 こころに訴える文学を書くこと、 小説を書くことによって、大勢の人の 心の中に 失われてしまった やさしさを呼びおこすこと。…ずいぶんと 現実から かけはなれた、夢みたいなことだけど、とにかく、本気で思っているのです。 自殺しようとしている女の子に、「バカなことをするな」と言うのではなく、同情して一緒に死んでやれるような、そういう 人間になりたい と思っているのです。
今読み返してみると、本人でない私も少々気恥ずかしいけれど、酒を飲んだり家出を繰りかえしたりして、なぜか自分が10代で死ぬと信じていた当時の私、学校に馴染めず、1日1冊本を読んでいた当時の私がどれだけこの手紙に共感したことだろう。私は早速、憎からず思っていた医学部志望のTくんに、Jさんの受け売りで「人々を救うという点において医学は万能ではないんだよ」と嘯いたのだった。
私はJさんにすっかり傾倒していた。Jさんも私を自分の妹分として可愛がってくれた。薦めてくれる本は片っ端から読み、手紙をやりとりし、しょっちゅう長電話をした。京都のあちこちに連れて行ってもらい、下宿にも遊びに行った。Jさんの華麗な女性遍歴の話を、私はわくわくし、ときに呆れながら、リアルタイムで聴いていたのだった。
旅に出るのは 現実の悲しみから 逃れるためです。帰ってくるのはきっと その悲しみに執着しているからです。一人になって 自分を見つめ直せる場が旅なのだと思っています。
Jさんはよく旅に出て留守にしていた。そして旅先から絵はがきや時には長い手紙をくれた。柳川のルノワルユースからこんな手紙が来たとき、私は大騒ぎした。
放浪10日目を過ぎ、とうとう旅先でカゼをこじらせてしまいました。昨日柳川の町を歩いて回った時は、何度も 倒れるかと思ったほどでした。今日は同じ ルノワル・ユースホステルに連泊して、どこへも 行かないで います。熱が38℃を突破してしまい、起きているだけでも たいへんなのです。治るまで 帰れそうもありません。自転車と荷物とあわせれば 30㎏以上あるのに、この疲れ切った体には 本当にこたえます。食欲もなくなってしまったんだけど、それでも無理して食べ、しかし 体重はどんどん落ちてしまいました。 4月4日までに大阪に帰らなきゃならないのに、本当にこのままじゃどうなるのでしょうか。
Jさんはまたこんなことも書いていた。
――世間について知りすぎることは、ある意味で その人の 進歩を止めてしまいます。だから私はあなたに、完成されてほしくないのです。まだまだ未熟であってほしく、これから伸び、成長する余地を残した存在であってほしいのです。だから、この私の気持ちを 理解してやってください。
この手紙をもらったのは高校2年の時だ。今私はこれといったことを成し遂げないまま、「完成」には程遠く、かといって未熟であることも不細工な年齢になってしまった。
最近は、一日中ぼんやりと 本を読んだり 寝たり、自転車で ふらりと出かけたりしています。ヒマです。このままだったら 頭が 腐ってしまいそうです。文学少女のあなたの感性をほんの少しでもわけてください。
身過ぎ世過ぎに追われる毎日を送る私に、あのころの感性が少しでも残っているかどうか疑わしい。イタイ高校生だったあのころのまま成長せず、イタイ中年であることだけは間違いないけど。そうだ、今の私はイタイ人のまま感性だけ抜け落ちているような気がする。
片づけをしていて発見し、思わず読みふけってしまった手紙の差出人であるJさん。思わぬ巡り合わせで今度会うことになった。私はいまだにベレー帽を愛用していて、Jさんに会う日もきっとかぶっていくのだ。