うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

昔の手紙・2

2009年12月10日 01時38分23秒 | 捨てられないもの
最近ベレー帽が流行しているらしい。私は帽子をかぶるのが好きだが、中でも一番好きなのがベレー帽だ。ベレーをかぶり始めたのは高校生になった春だった。新しい世界が開けるような気分でいっぱいだった。私はいろいろなところに出掛けていっていろいろな人に会った。初めて会う人への目印として、私はいつも「白いベレーをかぶっています」と言ったものだった。

そのころひょんなことで知り合って親しくしていた一人に、Jさんという小説家志望のヤクザな大学生がいた。Jさんは高校在学中は医学部志望の自信に満ちた優等生でありながら、失恋をきっかけに勉強できなくなり、父親を欺いて文学部に進んだという人だった(まるで「医学では人を救えない、文学にはその可能性がある」と言った魯迅みたいに!)。不良文学少女を気取っていた私は、その人生棒に振りっぷりにいっぺんに痺れてしまった。

知り合ったころJさんにもらった手紙――

私が文学部に行ったのは、機械であることから少しでも 遠ざかりたかったからです。医師も裁判官も単なる機械です。文学部へ行って少しでも人間的な自分自身を完成させたかったのです。自殺しようとしている 一人の女の子の 心の病を救うことのできる 大人が、医者が、どれだけいるのでしょう。彼等の説く良識が、若者の持つ価値観と大きな断絶を持っていることに どれだけ 気がついているのでしょうか。私は 作家となって、 こころに訴える文学を書くこと、 小説を書くことによって、大勢の人の 心の中に 失われてしまった やさしさを呼びおこすこと。…ずいぶんと 現実から かけはなれた、夢みたいなことだけど、とにかく、本気で思っているのです。 自殺しようとしている女の子に、「バカなことをするな」と言うのではなく、同情して一緒に死んでやれるような、そういう 人間になりたい と思っているのです。

今読み返してみると、本人でない私も少々気恥ずかしいけれど、酒を飲んだり家出を繰りかえしたりして、なぜか自分が10代で死ぬと信じていた当時の私、学校に馴染めず、1日1冊本を読んでいた当時の私がどれだけこの手紙に共感したことだろう。私は早速、憎からず思っていた医学部志望のTくんに、Jさんの受け売りで「人々を救うという点において医学は万能ではないんだよ」と嘯いたのだった。

私はJさんにすっかり傾倒していた。Jさんも私を自分の妹分として可愛がってくれた。薦めてくれる本は片っ端から読み、手紙をやりとりし、しょっちゅう長電話をした。京都のあちこちに連れて行ってもらい、下宿にも遊びに行った。Jさんの華麗な女性遍歴の話を、私はわくわくし、ときに呆れながら、リアルタイムで聴いていたのだった。



旅に出るのは 現実の悲しみから 逃れるためです。帰ってくるのはきっと その悲しみに執着しているからです。一人になって 自分を見つめ直せる場が旅なのだと思っています。

Jさんはよく旅に出て留守にしていた。そして旅先から絵はがきや時には長い手紙をくれた。柳川のルノワルユースからこんな手紙が来たとき、私は大騒ぎした。

放浪10日目を過ぎ、とうとう旅先でカゼをこじらせてしまいました。昨日柳川の町を歩いて回った時は、何度も 倒れるかと思ったほどでした。今日は同じ ルノワル・ユースホステルに連泊して、どこへも 行かないで います。熱が38℃を突破してしまい、起きているだけでも たいへんなのです。治るまで 帰れそうもありません。自転車と荷物とあわせれば 30㎏以上あるのに、この疲れ切った体には 本当にこたえます。食欲もなくなってしまったんだけど、それでも無理して食べ、しかし 体重はどんどん落ちてしまいました。 4月4日までに大阪に帰らなきゃならないのに、本当にこのままじゃどうなるのでしょうか。



Jさんはまたこんなことも書いていた。

――世間について知りすぎることは、ある意味で その人の 進歩を止めてしまいます。だから私はあなたに、完成されてほしくないのです。まだまだ未熟であってほしく、これから伸び、成長する余地を残した存在であってほしいのです。だから、この私の気持ちを 理解してやってください。

この手紙をもらったのは高校2年の時だ。今私はこれといったことを成し遂げないまま、「完成」には程遠く、かといって未熟であることも不細工な年齢になってしまった。

最近は、一日中ぼんやりと 本を読んだり 寝たり、自転車で ふらりと出かけたりしています。ヒマです。このままだったら 頭が 腐ってしまいそうです。文学少女のあなたの感性をほんの少しでもわけてください。

身過ぎ世過ぎに追われる毎日を送る私に、あのころの感性が少しでも残っているかどうか疑わしい。イタイ高校生だったあのころのまま成長せず、イタイ中年であることだけは間違いないけど。そうだ、今の私はイタイ人のまま感性だけ抜け落ちているような気がする。

片づけをしていて発見し、思わず読みふけってしまった手紙の差出人であるJさん。思わぬ巡り合わせで今度会うことになった。私はいまだにベレー帽を愛用していて、Jさんに会う日もきっとかぶっていくのだ。

時計を修理する

2009年12月04日 09時04分33秒 | 捨てられないもの
腕時計が動かなくなった。電池を入れ替えてもすぐにまた止まる。寿命というものなのかなと思っていたが、分解掃除をすればまた動くらしい。分解掃除の代金は1万3千650円。

この時計はたしか5万くらいだった。博士号を取ったお祝いに、舅が買ってくれたのである。もっと高いブランド物にするよう言われたが、このふつうの国産の時計のデザインが気に入ってこちらにしたのだ。買った時の値段と分解掃除の費用を考えると、たいていの人は新しいのを買うだろう。

でもこれは記念の品だ。それも自分の人生に大きく関わる区切りの日の。思えば、動かないまま放っておいた日々は、そのまま単に日常の仕事に流されて研究が滞っていた日々に重なる。

よし、年内にもう一度動いてもらおう。

昔の手紙・1

2009年10月16日 12時42分30秒 | 捨てられないもの
捨ててしまったと思っていた高校の頃の手紙がたくさん出てきた。すごくすごく懐かしい。ちょっと変わったクラスメートのYちゃんが、私にだけ、と秘密を打ち明けているものがあった。現在も時々思い出したように遠い土地から長い手紙を送ってくる友人の、まだ子供っぽい文字の手紙もあった。そして当時よく遊んでもらった大学生の、So long! to my sister と結んだたくさんの手紙。


…あなたを見ていると、なんだか5、6年前の私の姿と重なってしまいます。文学少年で、早熟で、大人たちがきらいで、周囲のものに対して大いに醒めていて、特定の人に対して強いあこがれを持ち、恋をしていた私 に、どこか似ているところがあるのでは と思ったりして。でも、世間に対して醒めているためには、世間に対して知っていることが必要です。あなたは、まだ知らないことが多いのに、醒めてしまっているのではありませんか。一般の人々のしていることは、見ていてバカバカしいことが多いけど、それをやることも必要なのです。あなたの文学的、詩的な感性のすばらしさは、私さえも遠く及ばないところがありますが、だからといって、文学少女としてのエリート意識(こんなものあるのかしらん)に染まってしまってはだめなのです。やはりあなたは、一人の高校生で、一人の女の子です。高校生として当然為すべきこと、(たとえばそれは校庭の草むしりや教室のそうじなど)は、たとえめんどくさいと思っていても 果たさなくちゃならないんです。考えてみれば私もそんなこと まじめにしていた覚えがないのだけど、 どうしてこんなこと言いだしたかというと、私の心の中に、あなたのイメージが広がるにつれ、その行動パターンまでも描けるようになったからです。みんなが草むしりをしている時に、一人ポツンとたたずんで、その情景を詩にできないものかと夢想する、とてもロマンチックだけど、そんなこと、おかしいのです。周囲の人に合わせて草むしりに没入すべきなのです。たとえ、その行為を面倒くさい、バカバカしいものととらえていたって、それは心の中にだけとどめておきたいのです。 今のことは 単なる一例で、 受験勉強も、体育祭も、そうなのですけど。…


この人にはとても強い影響を受けて、たくさん本を読みレコードを聴きいろんな所に連れて行ってもらった。掃除当番をきちんとこなしたことは、この手紙をもらった後でもほとんどなかったけど。きっと芥川賞をとられると信じていた。今だって、遅くないよね…。

捨てられない服はこうする

2009年09月03日 09時50分08秒 | 捨てられないもの
私は実はモノを捨てられないタイプなのである。でも本以外の買い物はほとんどしない。貧乏だからというのもあるけど、捨てるのがものすごく辛いので、食品・生活必需品以外はよっぽど気に入らないと買わないのだ。

どうしても捨てられない洋服は、とりあえず生地にしておいて何か作る。
このときの方針は、

  • 作るのは、必ず使う必要なもの
  • “手芸”はしない
  • 作るために新しく何かを買うのはできるだけ避ける
  • 作るのがしんどいくらいなら捨てる


たとえばアニエスbのスカートで作った枕。中身は北海道産そば殻、250円。

センチメンタル

2009年07月20日 13時42分10秒 | 捨てられないもの
君が傷を付けてしまったLPレコードも、君が落書きした本も、君にもらった手紙も、もうみんな手元にない。でも君にもらったカセットテープだけは、まだどうしても捨てられないでいる。

あのころ男の子が好きな女の子にカセットテープをプレゼントするのが流行っていた。アルバムから曲を編集して録音したり、フォークギターを演奏した曲を吹き込んだりしたカセットテープ。私もそういうテープを他の男の子からもらったことがある。でも君がいつものように偉そうな態度でテープをくれたときは、とてもとてもうれしかった。ケースにはFOR○○と私の下の名前を打った赤いダイモテープが貼ってあった。帰り道、私はその文字をそっと指でなぞった。

君の笑顔はいつも自信満々で人を小馬鹿にしたような感じだった。君がにっと笑うと、私もできるだけ憎たらしい笑顔を向けた。いつのころからか、君は時々はにかんだような、繊細なもう一つの笑顔を見せるようになった。そんなとき私はなんだかうまく話せなくなるのだった。

君はTさんと恋人同士だとばかり思っていた。君に優しくされても混乱するばかりだった。意地になって他の男の子とデートしたり、その話を君にしたりした。同窓会でTさんと話したとき、内心動揺してしまった。本当のことを知って、あのころ君の言ったことしたことが、初めて一つに繋がったから。そう、今更ながら!

君にいつもからかわれたように私は子供だった。あのころの気まずさとぎこちなさをどうしたらいいのかわからなかった。でも君だって、あんなにあっさり諦めなくてもよかったじゃないか。もっとはっきり言ってくれてもよかったじゃないか。


たぶん初めての、恋らしい恋、あまりにも不器用な幼い恋、磁気テープの中に今でも閉じ込められている恋。