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公的機関はデフォルトルールを設定して人々を誘導すべし

2017-03-06 22:36:09 | 読書ノート
キャス・サンスティーン『選択しないという選択:ビッグデータで変わる「自由」のかたち』伊達尚美訳, 勁草書房, 2017.

  選択アーキテクチャ論。『実践行動経済学』を一歩先に進めて、公的機関が消費者を誘導してもよいケースと駄目なケースを峻別することを試みている。その答えは、選択するのが難しくて時間がかかる場合で、かつ選択することが面白くも楽しくもない場合で、かつ判断を委ねる専門家を信頼できる場合だという。原書はChoosing not to choose: Understanding the value of choice (Oxford Univ. Press, 2015)である。

  上に示したケースでは、政府はデフォルトルールを設定することによって社会福祉を増進させることができるというのが骨子。そのケースとは?選挙の投票のような学習や反省が必要な機会において誘導はよろしくないが、年金や保険プランの選択の場合はデフォルトは効果を発揮する、と。法的に自動車の左側通行を決定するというのもそのケースだが、ちょっと特殊。予想される反論に対しては、デフォルトからは離脱できるのでこれは自由の侵害ではない。デフォルトを設定せずに、能動的選択に任せるのも、選択しないという選択に任せるのも、一種のデフォルトの設定であり、すでに世の中にはデフォルトが満ちている、などと議論を展開してゆく。解説の大屋雄裕も指摘しているが、デフォルトを設定する専門家についての議論は不十分である。「試行錯誤を通じて権限移譲のバランスを決めよ。正しい答えなどない」というのが著者の立場なのだろう。

  政府介入に対して懐疑的な人には新鮮な議論だと思う。ただし、JSミルの『自由論』で定義されるような自由の理解──他者危害がないならば愚行もOKである──が無ければ、その新しさがわからないかもしれない。しかし、まだ理論的には完成途上という印象であり、読んですぐに雌伏させられるというわけではない。一見するとおぞましい「行動を管理されることの安楽と幸福」について考えさせられる。
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