イキイキと生きる!

「生き甲斐の心理学」の知恵を活かし、張合いのある毎日を楽しみます。

大きな流れを感じてみる (私のストレスとは?② 8/10)

2017年04月27日 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 花粉やっとピークが過ぎてきたこの時期、オフに、外で活動する楽しさが戻って来た。そして、今日は縄文遺跡見学会の下見を兼ねて多摩センター周辺を散策した。縄文の村のエビネも綺麗であり、栃の花まで咲いていた。

  

車で少し行ったところの小野路の小野神社や藤の花の香が新鮮だった交流館も素敵だった。

  

帰ってきてから、ブログで振り返ってみると、ゴールデンウィークの前のこの季節では、毎年藤を楽しんだり、エビネを楽しんだり同じようなことをしていることに気づく。新年度を経て花粉も終わりに近づき、ほっとした感覚・・・

まあ、毎年ひとつ年をとっていくわけで、時と共に変わる部分もある。しかし、スフィンクスの問いかけではないが、人生も四つ足の幼年期、二本足の成年期、三本足の老年期と同じような繰り返し繰り返しているとも言える。巻頭のノコちゃんの写真も、今は15歳のノコ(人間でいうと80歳くらい?)であるが、昔の写真を見ると幼犬期、成犬期、老犬期と変わってきているのが良くわかる。

話しは少し変わるが、人の信仰心も、幼年期は高く、成人は低く、老年は再び高くなるというのは、万国共通の現象だそうだ。

大きな流れの中で、自分を俯瞰してみると何か楽しくなる。

私のストレスとは?② 8/10

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智慧を意識して進む!(私のストレスとは?② 7/10)

2017年04月26日 | 第八章「魂と聖霊」

 もう10年くらい経つが、福祉の仕事をしていた時期がある。一年くらいアルバイトをしつつ資格をとり、障害当事者の団体で何年か働いた。そこで、眼が丸くなるほど衝撃を受けたことがある。障がい者に関する認識も、今では随分変わったが、もちろん人によることであるが、かなり重度の障がいをもっていても、それを知恵をもって克服し素晴らしい活動(健常者以上の)をしている方々が沢山いらっしゃるということであった。

 歩けなければ車いす(電動型もある)に乗ったり、車を運転しハンディを乗り越えて活躍する。それは、半分薬漬けでテレビを見て過ごしておられる、見慣れていた老人ホームとは全く違った光景であった(もちろん、そうでない施設もある)。

 今、前期高齢者となり、記憶力なども衰えてきたかな感じるこのごろであるが、当時の経験がよみがえってきている。衰えてきている部分は増えても、何かに向かっていれば、智慧でカバーし同じように生活を楽しむことができる。記憶力のカバーも調べてみると、結構いろいろノウハウがあり、身に着けると違う。

 健康もそうだが、お金も似たところがある。ハングリー感を感じて智慧を絞ると、不思議なことに世の中の常識に反して、克服できることが多い。

 私も、早期退職をしたこともあり、今でも経済的に楽ではない。しかし、その中でも縄文小説を出版したり、旅行を楽しんだりできている。これは、20年前では想像もできない智慧のお蔭だと思う。

 さて、智慧はどこから来るのだろうか。自分の能力を信じていた若いころとは違い、今では何かやってくるもののように思う。それは、時々のストレス(理想と現実のギャップ)の意味をあれこれ考えていると、ふと気づいたり、不思議な出会いで教えてもらったりで得るもののようだ。

 言葉を変えると祈りと聖霊の働きといった世界かもしれない。

 写真は先日の娘の結婚式で送られた花束。これも、私というより誰かに送るべきもののように少し感じてしまう。

私のストレスとは?② 7/10

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本当の自分?(私のストレスとは?② 6/10)

2017年04月25日 | 第七章「光と復活体」

 本当の自分とは何か?

 むかしから、時々そんなことを考えてきた。

 そして、この10年はU先生の<生き甲斐の心理学>で人格形成論を学び、昔より少し理論的にこの問題を考えることができるようになり、自分の方向性を考えるうえでも役にたつようになってきた。

 カール・ロジャースの人格形成論の中に、人は独自の<傾向と渇望>があるという命題がある。人は自分で自分を創造するわけでなく、例えば神仏が創造したかけがいのない生命体とポジティブに考えてみると、本来的な<傾向と渇望>は自己実現の道への指標であり、この世の中での役に立ち方のヒントを与えてくれるようだ。

 私の<傾向と渇望>は何だろうか?自分で考えるより、他者の意見や評価が参考になると考える人も多いかもしれないが、ここでは自分のストレスや感情を吟味する方法を考えてみたい。生まれてから、様々な社会を経験する。家族、近所の幼馴染、幼稚園、小学校、町内の祭り、信仰の集まり、中学、クラブ活動、高校、友人関係・・・際限なく、いろいろ出て来るが、その中で自分がイキイキとして輝いていた時、逆に元気がない時を吟味する。いろいろ思索していくと、自分の<傾向と渇望>がはっきりしてくるように思う。それは、残された人生の歩む方向と言ってもよいかもしれない。幼稚園のとき何が楽しかったか・・・経済的、社会的に頑張る中年期を過ぎて、高齢期になってくると幼いころの楽しみや感覚がより身近に感じたりする。

 さて、拙書の縄文小説では、主要登場人物の<傾向と渇望>を意識して書いたつもりだ。主人公マポや副主人公ケンなどの幼いころの<傾向と渇望>、これが時代の荒波の中でどう影響していくか。満足する部分もあるが、書き足りない部分も沢山ある。

 しかし、<傾向と渇望>を踏み外さなければ、大きなストレス(別離や死など)もネガティブなものというよりポジティブな糧になる可能性も増えるように思う。また、年をとっていくことによる障害も、さほど苦にならないように思う。

私のストレスとは?② 6/10

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健康の話題をひとつ・・・(私のストレスとは?② 5/10)

2017年04月23日 | 第五章「和解と平和」

 1999年ごろWHOの憲章前文の健康の定義が見直され、健康の定義に新たにdynamicとspiritualといった概念を入れるべきという動きがあった。最終的には現在の前文が今でも機能しており、変更の緊急性がないということで、採択にならなかったものの、高齢化を迎えている世界各国の大きな話題となり、その影響は確実に今にも及んでいるようだ。

  日本では例えば平安時代の貴族が阿弥陀如来像に結んだ紐を手に死を迎えるなど、いわゆるspiritualな文化は縄文時代から底流に流れており、非宗教的になっている現在でも宗教は信じないが、魂は信じるという人が過半数を占めるようだ。私はカトリックの信仰をもっているので、当然ながら魂・霊魂の存在を信じており、2003年に会社を辞めたときも、spiritualを重視したグループリビング(老人施設)建設に貢献したいという想いもあった。

 日本の老人施設や、医療機関では世界的に見ると福祉や宗教の影が小さく身体のケアをする医療が異常に幅を利かせているようだ。死に水という古来の日本の習慣も、従来は死を迎える前に近親者が再生を祈って水を与えたのに、今では死後になっているようだ。死を迎える前に、自分の魂をケアし残される人に平安を与えたい。そう思うのは当たり前のことだと思うが、そういう習慣は変になくなってきている。私の場合は小さくてもよいから聖堂があるなど宗教的に寛容な老人施設で自分の死を迎えたいと思った。

 さて、spiritualをきちんと捉える人間観は現在世界的には主流であり、人間のケアを身体のケア(医療)、こころ(成育史)のケア(心理療法)、魂のケア(宗教など)の分業でとらえようとしているが、5000年前などはどうだったのだろうか。私は、縄文小説の中でいろいろ思索した。はっきりしているのは、魂のケアは確実にあることだった。さらに、フォーカシングで有名なジェンドリンが日本の俳句や和歌の文化に驚いたように、日本の言霊文化はこころのケアにも通じると推定した。また、20歳台のポリオに罹ったと推定されている縄文中期の女性の遺骨等も発見されており、福祉や医療も存在したと考えられる。縄文時代は、今の世界より健康的な世界だったかもしれない。

 U先生の<生き甲斐の心理学>は、欧米の影響が強い人間観(特定の宗教ではなく、比較宗教学的)をもとにしているが、縄文小説を書く上で貴重な羅針盤となった。性善説的な人間観で縄文世界を考えていくと、人間なので縄文時代でも殺人事件や部族どおしの葛藤もあったと思うが、健全な社会の和解と平和への道筋も見えて来る。

私のストレスとは?② 5/10

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成育史の中の<愛とゆるし> (私のストレスとは?② 4/10)

2017年04月22日 | 第四章「愛とゆるし」

 世の中には、こうしたいと思っても全く歯が立たないことがある。私にも経験があり、苦悩というのはこういうことかと、その時、変に納得した。

 しかし、その時は大変でも後で考えると、そうした経験が人生で大きな意味を持っていることがある。

 さて、この5-6年、日本の古代を学ぶようになってから、系図の持つ意味をしみじみ感じている。ギリシャ悲劇のオイディプスにしても系図にしてみれば、あっけないくらい簡単に表現できてしまう。同じように、日本史の中に登場する人物の系図を見ると、さまざまな人生模様が想像できてしまう。

 ただ、運命と言ってよいかもしれないが、その中で二通りの人生があるように思う。自分の出自の大枠から余りずれないような、周りが作った軌道に乗る人生を歩むもの。そして、もう一つは個性を発揮しわが道を切り開く人生だ。しかも個性を発揮して、真善美のような普遍的な何かに触れる人生は貴重だと思う。

 拙書、縄文小説も実は系図を大切にしている。そして運命に翻弄されても、その中で意味を獲得し個性を発揮する人生を描くことを目指した。

 本当に意味を発見すると、人間は大きく脱皮するように思う。時には人生が180度変わることもあるだろう。それが、本物であるときは私は「愛とゆるし」のドラマがどこかにあったのではと憶測してしまう。心理療法の世界でも、ロジャースの六条件が大きな働きを示すことを教えてくれるが、これも「愛とゆるし」に通じるところがある。

私のストレスとは?② 4/10

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