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「生き甲斐の心理学」の知恵を活かし、張合いのある毎日を楽しみます。

こころの故郷を辿る (私のストレスとは?② 3/10)

2017年04月21日 | 第三章「無意識の世界」

 まじめに「生き甲斐の心理学」を学んでいくと、ギリシャ神話や日本神話をはじめ、世界各国の神話を親しむようになってくる。神話というとおとぎ話のように思われる方が多いと思うが(私もかつてそうだった)、部族・民族が生き残るうえで大切な生きた思想と考えても、さほど外れていないように思う。

 そして、年老いて読み直し、その意味をあれこれ考えると何か元気になってくる。知恵・自我統合性・絶望感の話と深いところでつながっているのではないだろうか。

 さて、昨年自分のこころの故郷を辿りつつ、ついに縄文時代中期、約五千年前を思索していた時に、自分の信じる宗教・哲学の起源に想いを廻らせた。もともとは幼児洗礼を受けた私だが、高校生の時にニーチェなどに凝った時期があり、物質だけのサイコロをふるような人間観、世界観に自分ながらぞっとした時もあった。それと同じような人間観・世界観が5000年前にあったのだろうか?それとも伝統宗教に近いものがあったのか?

 5000年前というと、旧約聖書の時代より古く、その時分に文字をもつ文化といえばメソポタミアくらいしかなかった(メソポタミアの楔型文字はエジプトにも使われるようになる。日本の縄文時代の文字もないようだ)。そして、U先生からジャン・ボテロ著の「最古の宗教」(りぶらりあ選書 2001年)を紹介されて、当時の宗教をいろいろ勉強した。神話もいろいろあるが、やはり知恵・自我統合性・絶望感の問題とつながってきそうな、宇宙開闢と人類起源論の神話に特に興味を覚えた。

 メソポタミアの楔型文字で記述された宇宙開闢や人類起源論は、高校のときに自分ながらぞっとした人間観ではなく、「宇宙はその機能において神に従属し、また人類も神々との関係の上に存在するという直観」に基づいているようだ。もちろん、メソポタミアの文明はやがて森林を破壊しピラミッド型の支配者による文明となっていくので、日本の縄文文化とは異質だと思う。しかしながら、土器の紋様(蛙人紋様など)やシリアの刻印を押された土版が日本の縄文時代の土版(大湯遺跡)に酷似するなど、やはり同時代の西と東の文明の交流は無視できないと思う。そして、縄文時代中期の小説に、メソポタミアの神話を重ねて楽しんでしまった(ウェー神など)。

 それから、縄文小説を貫く思想は、新約聖書の次の言葉だ。<イエスは言われた。「はっきり言っておく・アブラハムが生まれる前から、『私はある。』」>(新共同訳 ヨハネ福音書 8-58)。勿論、日本の縄文文化にキリスト教があるわけではないが。

 私が今住んでいる多摩は、縄文文化が花開いた地域の一つである、現在に至るまで、その祈りの文化は継承されているように思う。江戸時代に平田篤胤に紹介された、勝五郎再生の話も舞台は近くにあり興味をそそられる。そして、この地で散歩しつつ、自分のこころの故郷を感じていくと、何かこころが落ち着いてくるようだ。

私のストレスとは?② 3/10

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