山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

地元だから

2015年04月23日 | 日記
http://www.yomiuri.co.jp/local/nara/news/20150418-OYTNT50216.html

沖縄に来て初めて観光業に携わるようになり、外の人にどう見られるかということを考えるようになった。表面上それらしく見える、そうであって欲しいという期待通りのテイストを加える。そんな紛い物が溢れる現状に疑問を持ったこともあったけれど、結構それで満足して帰る人も多い。リアルでコアな沖縄に触れたいと思う人はほんの一握りで、そんなものを望んでいる人は少ない。いい加減な沖縄料理で繁盛している店を見て、そんなことをしていてはいけないと思っていたけれど、それはそれで期待に越えてくれる観光客が求めるものになっている。求められる物=本物、というのは成立しないことが分かって、結構それを押し通そうとすることは独りよがりの迷惑行為だ。数年前まではこんな考えはとてもできなかった。本物を求めない人なんて来なくていいとさえ考えるほどに。でも観光なんて知らないから行くわけで、どっぷり染まりたいわけでもない。体験できればそれでいい。モデルガンで遊ぶ銃撃戦みたいなもので、別に本当の戦闘をしたいわけでもない。そうしたいなら、観光という方法は取らないし、観光程度でそこに触れようと思うこと事態が間違っている。だ
から、さらっとおいしい所だけ、しかも分かりやすいところをズラッと並べてあげればいい。でもそのためには提供する側は本物を知らなければならない。ここには責任がある。表面だけさらっと分かりやすくであって、“偽物”をつかませるわけにはいかない。偽物をつかまされた人は二度と戻ってこないでしょうし。

奈良で暮らしていた頃はもう15年も前の話で、18歳までの時間を考えると、意識がある時間は奈良以外の場所で過ごした方が長くなった。そして外から見る奈良はどんどん魅力的に見えてくる。それは奈良自体が魅力的になっていくという意味ではなくて、時間とともに当たり前で考えもしなかったことが良かったと思えてきた経験が多い。色彩に富んだ四季なんて言われても、その頃は今年もそんな季節になったのかと、ボーっと佐保川に咲く桜を眺めていたし、霧に覆われる三笠山を見ていたし、霜柱の立つ飛火野を通り過ぎていた程度で特別なことではなかった。

県外、海外からの様々な観点に対して聞く耳を持つ人間を雇用育成して、独りよがりなこだわりを捨て、ハードコアな伝統をJ-POPレベルにまで大衆化することができれば、奈良もついでの町じゃなくなるのではないか。

春日の原生林をドライブしたとき、ここにオーベルジュを作って、奈良の食材と酒を出してみたいと思った。大阪から夜に到着してディナーをゆっくりと食べて呑んで風呂に入り、朝は原生林を散歩して朝食を摂る。気持ちよさそうだ。午後は商売繁盛を祈願して夕方には大阪に帰る。そんな商人はそんなに居ないかな。今でも奈良町界隈に飲食店はあるけれど、カフェの印象が強い。高校時代の通学路にできたレストランは、そこそこ値段を取るくせに味もいまいち、ワインリストもいまいち、サーバーの女の子たちも皿を運ぶ以上のことはしたくないような感じでがっかりした。様々な価格帯のレストランができることでその用途も多様化する。そしてしっかりと淘汰されていくことでよい店が残る。レストランだけができても泊まるところが必要だ。ホテルとレストランとどらかのバランスが崩れても良くない。ホテル開発と一緒に飲食店の出店を狙って欲しい。

発信

2015年04月17日 | 日記
今日は休み。嫁さんを自由にするために自信満々におむつ交換を請け負う。うんちもしてなかったから余裕ぶっこいてオムツを外したら、屁と同時にうんちチョイもれ。ゴマ粒大のかすが、ナインインチネイルズのTシャツに付着。少し動揺。「油断するから!」と笑う嫁を横目に被害状況を確認。ティッシュを取ろうと右往左往。ナインインチにうんこかけるなんて、かっこいいじゃないかと頭の中で思った瞬間。大砲をぶっ放されました。ゴマ粒程度で騒いでる場合じゃない。ナインインチもクソまみれ。スターファッカーズが頭の中で流れることは無かったけれど、なかなかのパニック。嫁は大笑い。素敵な時間をありがとう。子育ては大変だけど、嫁さんのおかげで笑顔が耐えません。

戦闘機の音で目を覚ます息子をはじめて見た。いきなりギャン泣き。かわいそうに。「やんきーごーほーむ」と教え込みながらあやしているのを嫁に見つかり、しょーもないこと教えないでと叱られる。無くてやれるなら無いほうがいい、その程度の考えしかない。選挙も行かない。原発も絶対に無くさないといけないとは思っていない。でも無しでやれるなら無いほうがいい。またこんないい加減なことを言っている。最近、近大卒業式のホリエモンのあいさつ動画が出回っている。すべてを見て、情報に触れ自ら解釈をして発信することが大切、という言葉が頭に残る。分かったような顔をして、無くてやれるなら無いほうがいいなんて、誰に対しても当たり障りの無い、究極の安牌をきる私にとっては、自身の考えを発信しなさいという言葉は引っかかった。人に伝えるとなると、途端に自信の情報の不確実さが浮き彫りになる。息子に何かを伝える時も同じなんだろう。最近は目の前のやりたいことを選択することが大切で、長期的な計画に縛られることは良くない。計画通りに進めようと思うのではなく、今を大切にしなさい。ということを目にする。全く逆の考え方だったけ
れど、やってきたことは目の前のやりたいことを選んできたので否定はできない。挑戦する人間を作り出したい意図があるのであればそう伝えるだろう。でも安易な考え方が溢れる現場ではなかなかこうは言えない。慎重で動こうとしない組織にはいいだろう。今は安易な人が多い環境にいるので、自身の判断にも迷うことはある。今の自分の判断は場当たり的なものになってしまうのか・・・と。

こんな感じでまた文章にすることをやっていこうと思う。結果はでないかもしれないけれど、既存データのデフラグにはなるかもしれないし。息子は脱糞なんてなんのその、のびのびやってくれています。

稲光

2015年04月12日 | 日記
稲光をさしながら雨雲が走る。波は無く穏やかで、余計に雨雲の不気味な存在が際立つ。

4月に入って急に暖かくなって、制服もかりゆしになって、ポロシャツで通勤して、気持ちも浮かれていると、途端に寒くなり雨が降った。調子に乗ってはいけない。猿も木から落ちる。しかし雨降って地固まることある。

担当しているお店の一つが、崩壊の危機を向かえている。ヤバイなと思ったのも束の間で、新しい展開に浮かれてしまう。苦労はするけど、新しくなるということは、それが前のものより確実に優れていると言う保証がなくても楽しみなものだ。

上司が会社を去り、自分が部のトップに立つことになった。登れるところまで登りきりたい私には嬉しいことだけれど、なにか不安な気持ちになる。こんな時だからこそ、足元をかためなければならないのかもしれない。

今年も新入社員が来てくれた。初心に帰ろう、初心を大切にしようと言う話を何度もする。自分自身に言い聞かせるように。

ざわつく予感の目の前で、静けさが余計に動く予感を際立たせる感覚が似ている。平静を装おうとする姿が海とかさなる。