連絡が億劫になって返事をしていなかった。自分のおかれた状況を肯定しようと右往左往してみたけれど、劣等感を認めないわけにはいかないという事実を受け入れるのにこれだけの時間がかり、これまでの自分を知る人と話すことでその劣等感をつきつけられ、不満を垂れ流してしまいそうで怖かった。それに拍車をかけるかのように価値観の違う人たちに囲まれ、これまで自分のなかで疑問に思ったこともなかったような事柄をも一つ一つ今の周りの価値観と照らし合わせていくことにも疲れてきた。ここは自分が居るべき場所ではないのではないか?そんな疑問にぶつかる度になんとか自分の思うことを共有しようと試みるけれどそれは未だ成功していない。価値観の違いを地域性のものとするならば、やはりこの土地にこだわったことをそろそろ撤回しないといけないのかもしれない。ちょび兄さんの言うように私もまた一緒に仕事をするような気がしているのはそういった価値観の共有ができていたからなのかもしれない。前に「毎日一緒に飲みに行きたいと思わない人とは仕事をしたくないよね」なんて会話をしたけれど、飲みに行った先でもなにか様子を伺わないといけないよ
うな人とは狭い職場で働くのはなかなかきつい。それでも一緒に働かなければいけないと突っ込みを入れたくなる人はそれを仕事としてとらえてがんばれているのだろうけど、仕事場では歯の浮くようなセリフを言わなければならない仕事では酒の席でくらい地に足の着いた言葉で話したくなるものだ。水商売はみんなが酔っているとき素面で働き、皆が起きてくる頃に酔っぱらい出し、皆の逆を繰り返すように、素面の時は酔ったように、酔ったときに素面の自分が出るようになっていくのかもしれない。それができない水商売は仲間内の飲み会の幹事と水商売を一緒にしているようなものだ(百歩ゆずっても幹事も客だ)。
料理にうるさい人は多いけれど、それ以上に料理以外の要因で料理までも満足する人の方が遥かに多い。調理場に立つことは勉強になる(けれどかなりきつい)。味覚や視覚、嗅覚、感触そして聴覚と戦う仕事をしている人はすごい。日々の営業でつくづく思い知らされる。さて、明日も頑張りますか。
うな人とは狭い職場で働くのはなかなかきつい。それでも一緒に働かなければいけないと突っ込みを入れたくなる人はそれを仕事としてとらえてがんばれているのだろうけど、仕事場では歯の浮くようなセリフを言わなければならない仕事では酒の席でくらい地に足の着いた言葉で話したくなるものだ。水商売はみんなが酔っているとき素面で働き、皆が起きてくる頃に酔っぱらい出し、皆の逆を繰り返すように、素面の時は酔ったように、酔ったときに素面の自分が出るようになっていくのかもしれない。それができない水商売は仲間内の飲み会の幹事と水商売を一緒にしているようなものだ(百歩ゆずっても幹事も客だ)。
料理にうるさい人は多いけれど、それ以上に料理以外の要因で料理までも満足する人の方が遥かに多い。調理場に立つことは勉強になる(けれどかなりきつい)。味覚や視覚、嗅覚、感触そして聴覚と戦う仕事をしている人はすごい。日々の営業でつくづく思い知らされる。さて、明日も頑張りますか。