山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

建前の本音

2009年01月23日 | 日記
連絡が億劫になって返事をしていなかった。自分のおかれた状況を肯定しようと右往左往してみたけれど、劣等感を認めないわけにはいかないという事実を受け入れるのにこれだけの時間がかり、これまでの自分を知る人と話すことでその劣等感をつきつけられ、不満を垂れ流してしまいそうで怖かった。それに拍車をかけるかのように価値観の違う人たちに囲まれ、これまで自分のなかで疑問に思ったこともなかったような事柄をも一つ一つ今の周りの価値観と照らし合わせていくことにも疲れてきた。ここは自分が居るべき場所ではないのではないか?そんな疑問にぶつかる度になんとか自分の思うことを共有しようと試みるけれどそれは未だ成功していない。価値観の違いを地域性のものとするならば、やはりこの土地にこだわったことをそろそろ撤回しないといけないのかもしれない。ちょび兄さんの言うように私もまた一緒に仕事をするような気がしているのはそういった価値観の共有ができていたからなのかもしれない。前に「毎日一緒に飲みに行きたいと思わない人とは仕事をしたくないよね」なんて会話をしたけれど、飲みに行った先でもなにか様子を伺わないといけないよ
うな人とは狭い職場で働くのはなかなかきつい。それでも一緒に働かなければいけないと突っ込みを入れたくなる人はそれを仕事としてとらえてがんばれているのだろうけど、仕事場では歯の浮くようなセリフを言わなければならない仕事では酒の席でくらい地に足の着いた言葉で話したくなるものだ。水商売はみんなが酔っているとき素面で働き、皆が起きてくる頃に酔っぱらい出し、皆の逆を繰り返すように、素面の時は酔ったように、酔ったときに素面の自分が出るようになっていくのかもしれない。それができない水商売は仲間内の飲み会の幹事と水商売を一緒にしているようなものだ(百歩ゆずっても幹事も客だ)。

料理にうるさい人は多いけれど、それ以上に料理以外の要因で料理までも満足する人の方が遥かに多い。調理場に立つことは勉強になる(けれどかなりきつい)。味覚や視覚、嗅覚、感触そして聴覚と戦う仕事をしている人はすごい。日々の営業でつくづく思い知らされる。さて、明日も頑張りますか。

あけまして

2009年01月21日 | 日記
仕事前は早めに起きて、買い物や部屋の片付け、散歩そして自炊をして出勤をする日々。お金の余裕を削ぎ落とした代わりに得たものはそれなりにあり、ミニマムな生活とこれまでを照らし合わせることで気付かされることも沢山ある。しかし、それは一時のものであるという自分の中での前提があっての余裕からくる、傍観者的な視点でしかないのかもしれない。というのも、パッとしない自分の仕事振りに自ら言い訳をたててやりすごしているうちに、本当はこれが自分の置かれるべき立場なのではないか、やめよう抜け出そうとしても簡単には行かないのではないかと思い始めると途端に不安にかられ、この生活自体が強制されているようで惨めなものに思えてくるからだ。

私が働く職場は10人に満たないスタッフで運営される少し高めのダイニングと呼ばれるような飲食店で、人間関係の風通しが非常に悪い。こんな暗い日記を書く私ですが、これでもこれまでの職場ではそれなりに風通しのよい人間関係築いてきた経験があったのでどうにかしてやろうと様子をうかがってきた。別に仲良しこよしで和気あいあいとしようとしているわけではなく、陰口や悪口ではなく不満は表に出てきて意見となり喧嘩して吹き出していて、どこかに水が滞り腐ったような臭いを発するようなことがなければ別に毎日いがみ合ってるような人たちがいてもかまわない。だけどここには正方形の箱に入れても四隅が腐り、お店みたいな複雑な作りをした空間ではもうやたらめったら腐乱臭が立ち込めてどこから手をつけていいのかわからないくらいに、陰口悪口不平不満傲慢怠慢といったものがはびこっている。

今日は上記二点のトピックを行き来しながら思い悩み眠れぬ時間を過ごしています。体はいたって健康で時間が少しある分、まあいいかと遊んで忘れてしまうことが多いところが追い詰められるまで放置する私の欠点です。

少し寝よう。