「蘭平物狂」この演目、正直言ってわかりにくい。立ち回りのみを楽しみにすれば良いが作品としてはお勧めできない。その中で研佑の繁蔵を買いたい。足を踏み出す時の腰の落とし方、動きの滑らかさ、この芝居、子役に有利にできているにしても見所である。それに比べ、新松緑は2度目の蘭平、襲名も2ヶ月目にしては力み過ぎである。親の雰囲気も出てこない。紀尾井町のお家芸にしても努力が報われない演目のような気がする。他では魁春の御前に大きさが出てきたのは襲名を経た効果か。芝翫の行平は古風な雰囲気は合うが、癇癪を起こす辺りに女形の癖が出てくる。雀右衛門のおりくは若さのみ。菊五郎の大江音人も無難だが前後半で変わり映えがしない。豪華メンバーなのに、それ以上のものを生み出せない雰囲気。立ち回りも空虚に見えてしまう。襲名演目の再考を。(加筆:久しぶりに読むとひどい書きようの日記である。どうかご容赦下され。それにしてもこの狂言はわかりにくい。個人的に言うとこの狂言は三津五郎までで終わっている気がする。正直、当代松緑以降の世代には少し難しいのではないか。まず題名にある“物狂”を観客を惹きつけて見せるのは、観客の理解する意欲との兼ね合いもあるが難しいだろうし、何より立ち回りを見せる狂言だが、これで観客が熱狂するかと言うまた別の話で今の時代ではそこまでではないだろう。もちろん良くできた立ち回りではあるが。 もう少し前の場を付けるとか何とかしないと無理だろう。歌舞伎に出てくる「実は」はとても厄介なもの。余程歌舞伎好きでも蘭平の実はの後を知っていたらなかなかの人である。親子の件を充実させるとか、物狂の件を充実させるとか、何かやりようのある気もしなくはないが、現状ではまもなくお蔵入りとなる可能性が高いのである。「実は」の話はまたいずれしたいと思う。歌舞伎のコアな部分であり、どうしても初見の客を遠ざける危険因子であるのでゆっくり考えてみたい。猿之助一座の「鎌髭」なぞ実は狂言の極みとして補綴されていた印象。古風さはあるが全く乗れないまま終わる人もたくさんいた気がしたが…)
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