熱帯魚・金魚・犬

愛するペットとの日々

消化不良

2004年12月31日 | Weblog
昨晩、どうにかこうにか書類を作り上げ、
というかでっちあげっていうかよくわかんないけど
ようやく落ち着いた。

ああ、私の休み。

少し朝ゆっくりしてただけで
結局ただのカレンダーどおり。
部屋の中にカレンダーないけど。


さて今年も最後となってきたが、
Jリーグという言葉の面白さは相変わらずである。
Jリーグって書いているだけで半笑いな私だ。

何が面白いのかを分析していくと、
まずひとつの仮説がたつ。

J(ジェイ)
が面白いのではないか。

なぜならば、Jビーフという言葉も面白いからだ。
Jビーフ。オージービーフに対抗するのに、なぜジェイか。
なんとなく一句詠んでしまったような感じだ。

しかしここでひとつ問題がでてくる。

Jポークはそんなに面白くない。
Jポップもそんなに面白くない。

この事実はどうしたことだろうか。
ジェイがついているのにもかかわらず、
独特の音感がなぜか曇りがちである。
<ポ>がいけないのだろうか。

しかしパ行の言葉は大抵、へなちょこな印象を与え、
基本的にはプラスになるはずなのだ。
それなのに面白くならないということは
ジェイ説はここで消えることとなる。


ジェイでなければ残りで考えるしかない。
<リーグ>はどうなのか。

と書いてみて、今少しばかり
「お、もしかして」
などと思ってしまった私だ。

Kリーグ。

面白い。面白いな。Kリーグ。
「前田Kリーグ入り」
おお、いい語感だ。前田が誰なんだかわからんが。


考えてみれば

セ・リーグ
パ・リーグ

も存分に面白い。

大体、一文字に省略は強引すぎる。
セントラルとパシフィックの略であったことなど
ほとんどの人にとってどうでもいいことになっているほどに。


うーん、そうか、リーグが面白かったのか。
かつて吉田戦車のマンガに
し・リーグというのが登場していたが、
しとJが似ているというところではなく、
リーグに面白さがあったんだな。


と、ここまで書いて気づいたことはこれだ。

「あ、俺疲れてる」


そんな話かよ。結局。




12月31日
まだなんもくってへん。

余裕がない+ブックレビュー

2004年12月30日 | Weblog
年末も差し迫ったというのに余裕がない。
掃除もしていなければ、
ブログの更新もしていない。

というのも年明け早々に転職先の会社で発表する資料を作成しているからだ。

余裕がないというのは、まだできていないからだ。
いかん。時間がない。締め切りは今日だ。

本当は昨日中に完成しようと思っていたのだが
「自分をやらなきゃいけない方向に追い詰めるのだ」
というなぞの理由で懸案だったパソコンを買ってしまった。

するってーと必要なのは立ち上げ作業。
様々なインストール作業。

結局昨日はそれやった時点で力尽きて
終わってしまった。

ああ、駄目だ、俺。
なんて駄目なんだ。

でも締め切りは確実にきている。
今日中だ。
とか書いてる時点で今日も半分終わってるし。

あーどうしよう。。。

つーことで過去に書いたものをはっておくのでした。


**************************

「最後にぼくを幸せな気分にさせてくれるのは、
 社会主義でも宗教でもドラッグでもなくて、
 パンクなんだ。」
             アラン・マッギー

『クリエイション・レコーズ物語』太田出版
 パオロ・ヒューイット (著)  伊藤 英嗣(訳)


名言だなぁ。

アラン・マッギーはイギリスのインディーズレーベル
<CREATION>を主催していた人物だ。

私は高校性の時、このレーベルにはまっていたのだ。
その頃はお金がないので、御茶ノ水にある
マイナーなレコードもおいているレンタルレコード屋で、
新譜が出ると確実に借りて、
お気に入りのバンドのアルバムやシングルが出たときは
小遣をやりくりし、無理をして買っていた。

前にも書いたことだが、
その頃の私は音楽さえあれば幸せだった。
最後に僕を幸せにするのはやはりパンクだったのだ。
そんな頃のことを思い出した。

懐かしくて、そして少しさびしい気持ちにもなった。

本はやはりいい。


そう、本はいいのだが、
どうにも最近、読んでる途中で放っておいてある本が多い。
これは内容がつまらなかったとかそういうことではなくて
ただただ、私の所為である。

会社にいくときに持ってきて、
帰りには忘れてしまうのだ。

そして机の上にうずたかく詰まれた
書類の山などに埋もれてしまい忘れ去られていく。


先日、その<読んでる途中>の本が大量に発掘された。
別に私が思い立って整理整頓したとかいうわけではなくて、
会社で模様替えが行われたが故に
強制的に山を崩さざるを得なかったのだ。

出てくるわ出てくるわ。
「あーこんな本買ってたんだ。」
「なんだこれは?」
という位ならまだしも、
「おー読みたかったんだよ。これ」
っていったいどういうことだよ俺。
だったらきちんと持って帰って読めばいいのだ。


そんな中で、まだ読み終わっていないにも関わらず、
是非ともご紹介したい本が見つかったのだ。
ちなみに、ここからはほぼ下ネタである。
嫌いな方は読まないでください。

その本は、押野武志という人が書いた
筑摩書房・ちくま新書の一冊である。

<それのどこが下ネタだ。>
と思われるむきもあろうとは思うが、
タイトルはこれだ。

「童貞としての宮沢賢治」

そして表紙に書いてある紹介文もまた味わい深い。
以下に引用する。

「……童貞で一生を終えた著名人は多い。賢治もその
ひとりである。結婚の機会もありながら、生涯童貞で
あったことが、彼の作品にどのような影を落としてい
るのか。…本書では、童貞とオナニーを、広い意味で
賢治の他者とのコミュニケーションのありようを記述
する用語として使っていくつもりである。…」

なんだか余計なお世話のような気もするが、
斬新には違いないだろう。

高らかに表紙で謳いあげられた
<童貞とオナニー>は、目次でさらにスパークする。

・童貞の恐怖
・オナニー受難の時代

まだなんとなくわかる。
そしてなぜか会話調の見出しも踊る。

「性欲の乱費は君自殺だよ」
「あれはちっとも悪いことじゃありゃせんのだぞ」
「人生なんか、マスターベーションとそう変わりないのちゃうか」

「そうなんちゃう」って返事してみた。
そして圧巻はシリーズとも思えるこれである。

・女性のオナニー
・学生のオナニー
・白樺派のオナニー

みんな放っておいてほしいことでしょう。


さらに本文に軽く目を通すとそこはもう自慰ワンダーランド。
オナニー豆知識ががっつり身につくこと間違いなしである。


<オナニーの語源である旧約聖書のオナンのエピソードは
自慰の話ではなく、膣外射精の話である。>

<シリアルで有名なケロッグの創設者ジョン・ハーヴィー・ケロッグは
オナニー防止のためにシリアルを開発した。>

どこで使えるというのだ、こんな知識。
まあ実はこの辺の話は導入部分で、賢治についての考察は非常に
興味深いものがある、などと、とってつけたように言ってみた。


実は一番笑ったのは、とかいってる時点で
不純きわまりない読み方をしているのがバレバレだが、
それは挿絵なのだ。
1853年に書かれた本の挿絵を引用しているのだが、
その挿絵の説明にはこう書いてある。

「上の二人はオナニーのしすぎで、こんな相貌になってしまった男たち。」

このこんな相貌というのがえもいわれぬ顔なのだ。
この顔を見るためだけでも買う価値ありと私は思う。

いや、実際、宮沢賢治の作品分析にもおおいに感心し、
って読み終わってもないのに言ってみる私だが、
よく考えてみたら私は宮沢賢治の作品を
ろくに読んだことがないのだった。
やれやれ。

念のために今回の話は本当である。
アマゾンで検索してみてください。

私も検索して、読者のレビューを読んでみたら
私の不純さを今一度思い知りました。

あわせてお楽しみください。





12月28日 火曜
夜:飲み
 前の会社の後輩たちと中華屋で。
 ショーロンポー、鶏肉唐辛子いため、ナスの山椒あげなど。
 ビール、紹興酒。
 さらに家に帰ってから一人で焼酎を飲み、駄目押しの追加点を取られ
 次の日の二日酔いを確実なものとしました。

12月29日 水曜
朝:起きられず
昼:うどん
夜:豆腐、キムチ、焼酎。(二日酔いが夜治ったので飲んでみた。)

12月30日 木曜
朝:食べず
昼:鮭定食(結構、こればっかり食ってることに今気づいた。)


音:
Saint Etienne 「Good Humor」「Finisterre」
なんだか考え事をしていても邪魔にならないので
ここ3日ばかり愛してる。

マイク・タイソンVSイアン・ギラン

2004年12月28日 | Weblog
いや、タイトルは何にも関係ない。
思いついた言葉を書いてみただけである。
ことほど左様に私の頭の中はカオスである。
そんなことはどうでもいいんだけど。


さて、我が家は非常に幸いなことに実に日当たりがいい。
我が家とかいってもワンルームマンションだけど。

特に朝の9時くらいから午後1時くらいまで
この季節、暖かな日差しがこの上なく心地よい。

そう、日当たりがいいのは誠に結構なことなのだが
うららかな陽光によって露見してしまうのは、

室内のホコリがいかに多いか

ということである。


これは一重に私のせいだ。
掃除はするのだが、
部屋の一角に本やCDが積んであるために、
そのジャングルの隙間を掃除することができない。
いやできないのではなくてする気がしない。
そこに手をつけると途方もなく時間がかかりそうだからだ。
よってそこには多くのホコリがたまってしまう。

おまけに私はタバコを吸う。
ぼけているのか、やたらとタバコの灰を落とす。
適当に手でひろう。
残った灰がホコリになっていく。

ああ、ホコリだらけ。
我が家はハウスダストヘヴンである。


それに加えてこの季節、エアコンの暖房を入れる。
私は寒がりなのだ。
するってーと、舞うのだ、ほこりが。

陽光にキラキラと光りながら
たくさんの細かいホコリが舞っているのを鑑賞できるのだ。

まあ綺麗。
エンジェルダストみたい。
でもそれはハウスダスト。


さらにフローリングの床にふと目を落とすと、
丸まったホコリが転がっていく。

その様は
乾いたアメリカ西部の風に潅木が転がっていくかのようだ。
決闘の予感さえするが
それはハウスダストだ。


気がつけばもう今年もあと何日か。(数える気がしない)
掃除をするにはいい頃だ。


ということで明日掃除をしようと思った私だ。



12月27日 月曜
昼:カレーライス
夜:えぼ鯛の干物、かぼちゃの煮つけ(スーパーの惣菜)、豆腐、焼酎

12月28日 火曜
まだなんもくってへん。


音:
Saint Etienne the misadventures of saint etienne
 きらめくハウスダスト鑑賞にマッチする。静か目なアルバム。
 心地よし。

どっちが駄目か

2004年12月27日 | Weblog
一緒にいた友人がちょっと見てみたいというので
アジア雑貨の店に入った。
私一人だったら確実に入らない店である。

私の部屋は本とCDでごった返していて
雑貨などを置く余裕はないから、
必然的にそんなものへの興味はない。


まぁ、いろんなものがある。
指輪などのアクセサリーから民族衣装
籐で作ったかご、棚。
ああ、いらない。
わりと無駄なものは欲しがる私だが
いらないものだらけだ。

そんなことを考えつつ、
店の中を徘徊している私の耳に
突然入ってくる会話。

おそらく高校生くらいだろう。
女の子が3人ほどでアクセサリーの前で話していた。

A「これやばいよね」
B「うん、やばい、やばい」
C「ちょーやばい」
B「でもこれもやばくない?」
A・C「やばーい!」

他の形容詞をどこに置いてきたんだお前らは。
俺の英会話か
「グッード!」
「オゥ!グーッ」
「イェー、ヴェリグ!」

携帯の弊害?
ゆとり教育のせい?

先日の世界の中でも日本の成績が下がっている、
というニュースあたりから
ようやく馬鹿の原因どもが責任の擦り付け合いをはじめたように見受けられる。

どれも原因だよ。そりゃ。
でも私見では、親が最も悪い。
粗悪品を世に出すな。
製品管理をちゃんとしろ。
自分でつくったもんの責任をちゃんと取れ。PL法を遵守しろ。

子供はひとつの人格だから子供の自主性を重んじて、
とかいいやがる大馬鹿者がいるが、
子供なんざ、まだからっぽなのだ。
だからこそ教育が必要なんじゃないのか。

教育は義務だ。
義務を果たして初めて権利が認められる。
そのあたりわかってない親が多すぎる。
親に限らず全般的にそうだけど。
なんにもしないで権利ばかりを求めてるやつのどれほど多いことか。

きちんとしつけろ。
勉強させろ。
この国はもうほとんど駄目な感じだが
私はまだまだこの国で暮らしたいのだ。
なんとかして欲しいのだ。


「じゃあ聞くが、吉村君、君は生命としての役割はきちんと果たしているかね」
「へ?」
「へ、じゃない。子供つくって育ててるかね」
「い、いや、私のDNAなど、この世にはもういらないかと思ってですね…」
「じゃあ、おまえ駄目」

「…すみません」


ああ、私も駄目だった。




12月27日 月曜
朝:鮭定食(鮭、きんぴら、漬物、冷奴、山芋、味噌汁、ごはん)
昼:まだ。
夜:未定。

音:
Wagon Cookin' Everyday Life
 洒落た音。はっきり言って部屋にあってない。
Birdie Triple Echo
 このくらいけだるいほうが気分にはあってる。


のんでばかり。

2004年12月26日 | Weblog
後輩からもご指摘いただいたが、飲んでばかり。
クリスマスもなんも関係あるかい、といわんばかりに飲み倒し。
しかし飲みの基本は会話。
会話をすると脳は活発に動き、様々なことを考える。

でも冷静になってみると使えないんだね。文章としては。
やはり酔っ払いの与太話に過ぎないということが多いのだ。

例えば、書こうかと思っていたネタのひとつはこんな感じ。

ホルモン焼き屋の大将が
「クリスマスにはいろいろある」
と言っていた。

これをどう料理するか。
と、言ってみたところで、
前後の話を覚えてないんだから書けるわけがない。
見覚えのない素材を料理できるほど
達人ではないのだ。残念ながら。

いい加減、記憶がとぶような飲み方はやめたほうがいいと
今は言えるが、飲んでいるときはそんなことはどうでもいいのだ。
そんな反省がまかりとおるような自分だったら
もっとまともな人間になっていたと思う。
いや、まともですけどね。
なんの言い訳なんだか。

などと思ってても年内に最低でも2回は記憶をとばしそうな予感。
とりあえず明日はまじめに考えて書きます、と一応書き残しておこう。

何しろ今日も飲んだのだから。
記憶の保障はないのだ。



12月24日金曜日
朝:サンドウィッチ
昼:カレーライス(チキン、目玉焼き)
夜:飲み
 1件目:ホルモン焼き、ビール、真露ロック
 2件目:いわし刺身、ゴーヤ、日本酒
 その後シャンパンなど。

12月25日 土曜日
朝:抜き
昼:カレーライス(きのこ)
夜:飲み
 中華 春巻、水餃子、青唐辛子と干し豆腐いため、ビール、紹興酒
 その後、スパークリングワイン1本。

12月26日 日曜日
朝:抜き
昼:天丼
夜:飲み
 冷奴、さんま、ビール、焼酎ロック

不寛容

2004年12月23日 | Weblog
パソコンを買おうと思ったのだ。

機種もある程度決めて、
安い価格の店を調べ、
準備万端である。

ほかの事ではろくに準備をしないが
案外こういう買い物ではちゃんとやるのだなぁと
自分で感心したしだいであります。

そして店に向かう私。
しかし私は所詮私。
ちゃんと準備なんかしていなかった。
肝心な店の場所うろおぼえ。

秋葉原の裏のほう、
電車沿い、

そんないい加減なキーワードで素直につくわけがない。
1時間あまり歩いちまいました。
自分にすっかり愛想つかしたしだいであります。
でも自己愛がとても深い私は、
そんな私をやさしく許すのだった。
だから、精神はまったく成長しないのだね。


そうしてへとへとになりつつ、
ようやく目的の店を発見した私。

そんな私を待ち構えていたのは
<行列>だった。

さすがは安い店だ。
レジにならぶ人の行列ができているのだ。

狭い店だから、行列で中に入ることすらできない。
外にあった価格表を見ながらすこし並んでみた私。
何しろ一時間も歩き回ってようやく見つけたのだ。
ここはひとつ我慢してって並べるか!

何故ならぶ。
何故君らなんでも並ぶんだ。
先週もプレイステーションポケットの行列をみて思ったし、
今日見たラーメン屋の行列もそうだ。
食うまで何時間ならぶのだ。

そうまでしてほしいか。
そうまでして食いたいか。
身もだえせんばかりにほしいか。
そんなにもか。
誰も何にも言ってないけど。

私にはどうも並んでまで何かをするのが理解できない。
しかし今このときもどこかで行列ができているのだ。
並んでいるやつがたくさんいるのだ。
不思議だ。
実に不思議だ。

だからほっとけよって自分でも思うけど。




12月22日水曜日
朝:抜き
昼:豚焼肉定食
夜:のみ
 中華屋2軒 餃子、鶏肉カシューナッツなどいろいろ。
 ビール、紹興酒

12月23日木曜
朝:抜き
昼:ラーメン(天下一品) すいてたから。
夜:豆腐、梅干、キムチ、焼酎の予定。

血のせい

2004年12月22日 | Weblog
唐突だが私には兄がいる。
3歳上の兄だなので、38歳ということだね。

で、これが私から言わせると
どうして同じ環境で育ったのにこれほどまでに違うか
っていうくらい合わない。
ちなみに血液型は同じだ。くどいね私。

どういう兄かというと
何しろ細かい。
きっちりしてる。
しかも計画的で本当の意味でのオーディナリー。
あとデブ。
松村並みのデブになったのには弟の私も驚いたが。

最後の一項目ははどうでもいいけど、
正直、自分と同じクラスだったら決して友達にはならなかっただろう。
むしろいじめていたかもしれないほどに。

でも兄弟だ。
しかも幼い頃には<おにいちゃま>と呼んでいた。関係ないな。


私が様々な人にヒアリングをかけてきた中では
兄、弟という構成で育った弟には2通りしかない。

兄を尊敬する弟か、
そうではないかだ。

兄は最初から最後までってどこが最後かはしらんけど、
超えられない存在だとする弟もいる。

一方で、兄はいつでも超えられる存在であり、
単に家にいる自分より先に生まれたものであると
考える弟もいるということである。


私は後者だった。


そんな私が高校生の頃だ。

たまたま兄の部屋に兄を呼びにいったのだ。
多分、飯か電話だったと思う。

一応、軽くノックして兄貴の部屋の扉を開いた。

「あー、入るよー」
そんなことを言いながら入った私の目に入ってきたのは
マイケルジャクソンを聴きながら、
ラジカセのアンテナをのばしたものをマイクに見立て
くちパクの熱唱をしつつ、
へなちょこなマイケルの真似踊りをする兄の姿だった。


私は思わず扉をしめるのを忘れてみてしまった。
それは本当にへなちょこな姿だったのだ。
まだ自慰のほうが説得力があるほどに。
なんの説得だかわからんが。


しかし今日、自分がやっていことを振り返ってみると
音楽を聴きながらくちパク熱唱していた。
踊りこそしないが、熱唱だ。
音も出さずに。
だって声出すと近所迷惑でしょ。
でも35にして高校生の兄とやってることは同じ。

あーなさけなし。
そんなとこだけ兄弟かい。
でも私のせいではない。
これは血のせいなのだ。
父親がくちパク熱唱しているのは幸い見たことがないが。


ちなみに今は兄を尊敬している。
嫁をもらい、子供を2人も授かっている兄を。
他はしらんけどね。






12月21日

朝:寝てた
昼:チャーハン
夜:ミートソーススパゲティ(サークルK)・ワイン・焼酎


Sunny Day Service 東京
 東京に帰りたいと思ってたころに出たアルバムでした。
アンジー 
フリッパーズギター
ゴメス・ザ・ヒットマン
 いろいろ久しぶりに聴きました。熱唱。

感想ください(本の)

2004年12月21日 | Weblog
ちょっと前まで、家を買おうと思っていた。
思うのは自由だ。頭金がなくても。

それはそうと、
本当に買おうと思っていたわりには、
モデルルームには行かずに、現地をみるというような
あんまり意味のないことしかしてないけど。


私は車を買ったときも、そんな感じだった。
情報誌をみて、自分の家の近所の車屋を遠くから見てって感じだ。
結局、今の車は一度も乗らないで買ったし。


そんな私はチラシやスペック表などの資料をとてもよく読んでいた。
穴が開くくらいに読む。
トイレでも読む。風呂でも読む。寝る前に布団の中でも読む。


で、家を買うムーブメントの時に、
様々なマンションのカタログをみているときに気づいたんだが、
資料に載っているモデルルームと思われる写真には、まず本棚がない。

まぁこのご時世、本を読まない人はたくさんいるかもしれない。
いや、いるにちがいない。
でも、テレビもないのはどうかと思うぞ。
なんぼなんでもテレビはあるやろ。
NHKの受信料を払わないための写真じゃあるまいし。


テレビが写っていたとしても
それは液晶かプラズマテレビみたいなやつがおいてあるだけなのだ。
大抵はビデオやHDレコーダーみたいなものもあると思うのだが
そんなものが写っているのは見たことがない。

きょうび、そんな風にだます営業スタイルはどうかと私は思うんだけどね。
どうなんだろ。


そんなことが気になる私の家には
勿論、テレビもあるし、本棚もあるし、CDの棚まである。

しかも高校生までマンガを買うことを禁じられていた私は
その反動かどうかしらないが、
大人になるにつれ、マンガを集めてしまうようになり、
3年前に引っ越してきた時に買った本棚はあっという間にいっぱいになり、
本棚の前に入りきらない本とマンガを積んでいたら、
だんだんとんでもなく積もってきた。


で、今回の休みで片付けてしまおうと思ったわけである。
話の枕が大きすぎて窒息するとこだった。


片付けてみるといろんな本が出てくる。
前も書いたことがあるが、
家にもたくさんあった。
読みかけの本やら、懐かしい本。


そんな中で発見された一冊が
「イエティの伝言」薄井ゆうじ 小学館2003年刊
である。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093796157/qid=1103557624/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/249-2199825-6305153


ネパールで主人公が偶然といっていいような感じで
捕獲したイエティ(雪男、類人猿みたいなもんですね)
は高度な知性を持っていた。
そして様々な事件が起こるわけである。

非常に読みやすい小説である。
私自身、娯楽小説として楽しく読んだ。

上記アマゾンのブックレビューではみんなまともに読んでいたようだが
私にはどうしても解せないものがあるのだ。
それはありか?ありなのか?
映画でいうなら北京原人に近い気がするのは私だけか?
愛はそこまで深くなるのか?
超えていいのか?
だんだん錯乱してきてよくわからんが、
とにかく読んでみてほしい。
そして私と読後感をぜひ語ってほしい。
ちなみに私は笑ってしまったのだ。

これは問題作である。

とか大仰に書きながらも、
ひさしぶりに発見したんだけどね。
家の本の山の中から。
そういう意味でもイエティか。
うますぎるな。

毎週笑点をみてるだけのことはある。
単におやじ化しただけかもしれないけど。




12月17日
夜:のみ
 キムチ鍋っていうか豚キムチか。漬物、春巻、ビール、焼酎

12月18日
昼:チャーシュー麺、半チャーハン
夜:結婚式参加
 フランス料理コース、シャンパン、白ワイン、赤ワイン
 2次会居酒屋 焼酎、漬物、キャベツ
 3次会インド料理屋 カレー、ナン、赤ワイン(これをワイシャツにこぼした)

12月19日
昼:ざる鴨南蛮
夜:納豆、豆腐、梅干、焼酎

12月20日
昼:鮭定食(豆腐、生卵、キンピラゴボウ、味噌汁)
夜:豆腐、梅干、キムチ、子持ちししゃも(セブンイレブンの)、焼酎 


音:
Rosetta Stone Heavenly Flavor
 真心桜井氏のユニット。新作が出てたのに気づかず今頃購入。でもうーん。。
TRASHMONKEYS The Makers
 ドイツのモッズバンドらしいです。一曲目かっこよすぎ。
BABYSTATIC Newborn
 浮遊感が心地よいです。酔ったときに大音量をおすすめ。

人魚

2004年12月17日 | Weblog
酔うと熱いことやくさいことを語りだす。
完全なおやじになりつつある私。

さて、今日も呑みだ。
くさいことを書いてしまう前にかつて書いたやつをはっておこう。



人魚というと現代の我々は女性を思い浮かべがちである。
というよりもそれはもう既成事実のように頭にこびりついている。

アンデルセン童話に出てくる人魚姫のイメージがきっと強いのだ。
我々が人魚という存在について思いを馳せる機会というのは
それ以外にはほとんどないといってもいいだろう。
いくつかの映画もあるにはあるが、それにしたところで、
ほとんどというか、私が知る限りでは全て、女性の人魚が
描かれている。

じゃあ、どうやって人魚は繁殖するんだ。
単性生殖なんだろうか。
人魚姫はいても人魚王や人魚王子はいないのか。
人魚大臣がいたっていいじゃないか。

そんなことをたまたま考えたこともある私が
その画集を手にとったのは偶然ではなかったのかもしれない。

今私の手元にある、ベルギーの出版社から出ている画集には
主に中世ドイツの画家たちの作品が掲載されている。
A3サイズの非常に豪華な装丁の本だ。
ページをめくるごとに中世の華麗ではあるが、
どこか暗い、判然としないものが身近にあることを感じさせる
作品が、奇妙に胸に迫る。

そしてその本の中で私は発見したのだ。
男性の人魚が描かれているのを。

帝政末期、中世ドイツのブリューベン派の画家達の作品の中には、
意外なほどに多くの男性の人魚像が描かれているのだ。

ドイツ語の辞書を引きながら苦労して、絵に添えられた解説文を
読むと、ドルーク、クライヌ、クレイグなどいずれも幻想的な作風の
画家達は、好んで男性の人魚像を描いていたようなのだ。

例えばクライヌの作品「海峡」(1735年)は、
中央に大きな魚のような形をした怪物が描かれ、その周囲を取り囲む
ようにして男性の人魚が描かれている。
あるものは沢山の装飾品を身につけ、あるものは鋭利な得物を手にして
どこかを目指しているのであろうか、みな同じ方向を見ながら進んでいく
様が描かれている。

この本には他にも人魚が描かれた作品が数点掲載されているが、
共通していえることは、中世ヨーロッパにおいては男性にせよ、
女性にせよ、人魚は美しい存在として描かれているということであろう。

私は絵画については、というか大抵のものに関して、
ずぶの素人なのでこれ以上、絵画について何かをいうのは
控えておくが、何しろ男性の人魚を発見したのは、
特に何が、というわけではないが、収穫であった。



などとまじめな顔をして書き連ねてきたわけだが、
全部うそです。ごめんなさい。

皆さんがだまされたかどうかはわからないが、
ようするに私がここまで話を構築して、
(結構苦労したのだ)わざわざ言いたかったのは
ただこの一言だ。


簡単に信じるな。



12月17日
まだなんにも食べてない。


Various Artists This is the Modern World
ネオMods、ノーザンソウルのコンピレーションアルバム。
JAMとかCurtis Mayfieldとか。ロンドン気分。



眠たいこともたまには言う。(A)

2004年12月16日 | Weblog
今日仕事の合間に、ちょっと前まで私が
「チュリーズ」
と呼んでいた
「タリーズ」
に行った。

知るか読み方なんか、などと逆切れする私だが、
そこで、私の後ろに座った、男女が血液型について語っていた。

「俺B型だから気になるのかもしれないけど、A型のやつって細かいよね」
「えーどんなところですか?」
「たとえば最近どうですかってきかれたとするでしょ、
 そんで、まあまあ、とかってこたえるじゃない、
 そうすると、何がまあまあ、なの?とかいってくんだよ。
 それがA型だよなぁ」
「えーでも私はO(おー)で、私の彼氏はBだけど、私の彼がまさしくそうですよー」
「うそー」
「ていうかA型の人ってやさしいじゃないですか」
「うそー」


だからさ、それだけ違うって実例をおのれらが持ってるのに
何故に血液型で人を分類するのだ。

4種類しかねーんだぞ、血液型。
しかも日本人はA型が6割。
6割同じ性格か?馬鹿やろ様どもが。

私は確かにこんなことに突っ込みをいれる粘着だから
Aでしょとか言われるのだろうけど、
そんなことどうでもいい。
私は、突っ込みは粘着だけど、そのほかのことは全く几帳面じゃないし
会社の机の周りは会社で最も汚かった。
自慢じゃなくて、それくらい血液型がいい加減ってことがいいたいのだ。
てめーの頭で少し考えてわかることをさぼるな。

ふーっ。血液型の話になると熱くなるな。
きっと自分がA型の枠にはめられるのが嫌なだけなんだけどね。
血液型ヒエラルヒーでは一番下だし。


それはそうと、コミックパークのサイトで
連載をしていただいている奥田鉄人兄貴と飲んだ。

飲んでる中で話の流れから紹介した言葉だけど
本当に私にとっての名言があるのでここにも書きます。


「最後にぼくを幸せな気分にさせてくれるのは、
 社会主義でも宗教でもドラッグでもなくて、
 パンクなんだ。」
             アラン・マッギー

『クリエイション・レコーズ物語』太田出版
 パオロ・ヒューイット (著)  伊藤 英嗣(訳)


これぞ名言。
私には織田信長が好んだといわれる敦盛の
「人間五十年」
と同じくらい、響いてくる。

ただ、残念なのは
パンクをリアルタイムで見られなかったこと。
ジョニーロットンを自分のリアルアイドルにできなかったこと。


いかに私の青春時代にパンクが受けなかったか。

高校の学園祭の時、バンドをやった。
勿論、パンクバンド。
でもバンドメンバーが5人、
客席は3人だった。

1986年のことだ。大昔だ。

その当時はBOOWYとかアルフィーだったんだよ。人が集まるのは。
信じられないかもしれないけど、そういう時代だった。
パンクって怖いとかって言われてた。


それ以来ってわけではないが、
私は自分の中に偶像を持たずに生き続けている。よくも悪くも。

私はいまだに自分で表現する人たちに嫉妬している。
ロックンロールし続けてる奥田さんにも嫉妬してる。
この間テレビでみた、ウルフルズのバンドとしての絆にも嫉妬してる。
もう35なのに。ただのサラリーマンなのに。

でもただ嫉妬しているだけではしょうがない。
私もバンドを作るのだ。
いや、本当のバンドもやりたいけど、とりあえず仕事でね。
その結果、誰かが笑ってくれるようなやつ。偽善じゃないやつね。難しいけど。
そのためのバンドを作りたい。
それぞれのメンバーが欠かせない存在でしっくりくる感じのね。


自分で読んでも何いってんだ、俺
って感じではあるけど、たまには私もあつくなる。
A型だからね。

って、だからA型ってどういう性格なんだよ。
誰か教えてくれ。




12月16日
朝:抜き
昼:ぱーこー麺、半チャーハン(食いすぎた。目が食べたいといっていたが嘘だった)
夜:飲み
 おでん(厚揚げ、大根、いわしつみれ、はんぺん、ちくわ)、焼き鳥、つくね、冷奴
 日本酒
 落ち着く、よい飲み屋でした。



いろいろ言いながらパンクを聞かず。

パール兄弟 たんぽぽの微笑み
真心ブラザーズ 素晴らしきこの世界
ループスライダー
アンジー 青空をみたとき
     銀の腕時計
Captain Soul T-shirts69
細野晴臣 三国志ラブテーマ