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映画館 2本立て興業の終わり

2013年07月12日 | 広島の話題
「広島市中区新天地にある映画館・シネツイン新天地で、今日、7月12日まで、映画『日本沈没』(1973年)を上映しとるんじゃ」

「なんで今ごろ、40年前の『日本沈没』を?」

「これはの、今年の5月11日、73歳で亡くなられた俳優・夏八木勲(なつやぎ いさを)氏の追悼上映じゃそうな」

「夏八木さんといえば、NHK大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)に松平春嶽(まつだいら しゅんがく)役で出演されとっちゃったね」

「最近の映画では、『劔岳 点の記』(2009年)、『のぼうの城』『希望の国』(どちらも2012年)などに出られとってじゃ。

個人的には『戦国自衛隊』(1979年)の長尾景虎(ながお かげとら。=上杉謙信(うえすぎ けんしん)役がベストじゃがの」





「ところで、今日のタイトルは『映画 2本立て興業の終わり』じゃけど、『日本沈没』となにか関係があるん?」

「おおありなんじゃ。今日は、春日太一(かすが たいち):著『仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―』をネタ本に話をすすめていこうと思う」

「「仁義なき日本沈没」って、『仁義なき戦い』(東映)と『日本沈没』(東宝)のこと?」

「そう。2本とも、今から40年前の1973年(昭和48年)に上映されとるんじゃ」





春日太一『仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―』新潮社





「うちらが子どものころ、映画といえば2本立てじゃったね」

「いわゆる、大作映画は1本立てじゃったりしたがの」

「子ども向けには、「東映まんがまつり」や「東宝チャンピオンまつり」なんてのがあったよ」

「おぉ、あったのう。おふくろの話によると、1970年3月の「東映まんがまつり」に連れて行ってもろうたことになっとるんじゃが、全然、記憶にない。ウィキペディアによると、このときは、『ちびっ子レミと名犬カピ(=家なき子)』、『タイガーマスク』、『ひみつのアッコちゃん』、『チュウチュウバンバン』の4作品が上映されとるんじゃ」

「『タイガーマスク』『ひみつのアッコちゃん』というのが、時代を感じるね」

「映画の2本立て興行について簡単に説明すると…、1950年代、東映が2本立て興行を始めて、これが成功するんじゃの」

「これをほかの映画会社が真似したん?」

「ほうなんよ。映画全盛期のこの時代、どんな映画でも、というと語弊があるかもしれんが、映画を作って上映すれば観てもらえる、という時代じゃったんじゃの」

「なるほどね」

「ほいじゃが、今まで「1本立て」じゃったものを「2本立て」するということは、今までよりもたくさん映画を作る必要が出てくるわけじゃ」

「映画が量産体制に入ったのはええけど、このあと、映画の斜陽化(1960年代)が始まるよね」

「斜陽の時代は、映画が観てもらえん。その観てもらえん映画を製作することのは、映画会社にとっては負担になってくるんじゃの」

「しかも2本立てということは、映画会社も映画を量産する体制でおったけぇ、映画が売れん時代、人員や設備を維持するのも大変じゃったじゃろうね」

「このころの映画会社は、自分の会社で製作した映画を、系列の映画館で配給・上映するというシステムをとっとった。これを「ブロックブッキング」というそうじゃ」

「映画会社が、自分の会社で製作して、自社系列の映画館で配給・上映するシステムじゃったんよね。映画館の名前にも、「広島東映(=東映)」「松竹東洋座(=松竹)」とか、映画会社の名前が入っとったもん」

「ほかにも、「広島宝塚(=東宝)」「タカノ橋日劇(=日活)」「タカノ橋大映(=大映)」とかもあったんじゃの。で、「ブロックブッキング」に対して、「フリーブッキング」というのがあった。これは、外部で製作した映画を買い取って、系列の映画館で上映するというものじゃ」

「当たる(=人が入る)映画を上映した方が、映画館のもうけになるよね」

「映画斜陽期、1971年(昭和46年)の日本映画界はといえば…」





日本映画の不振は止まらず、大映が倒産、日活ポルノ製作会社に移行した。東宝も製作部門を分社化し、専属俳優を解雇した。

(「1971年の映画」ウィキペディア)






「このとき倒産した大映って、『ガメラ』シリーズを作った会社じゃね」

「『大魔神(三部作)』もあるし、市川雷蔵(いちかわ らいぞう)や勝新太郎(かつ しんたろう)が所属しとった会社じゃのう。その」大映が倒産したんじゃ」

「日活という映画会社もあったよね」

「日活といえば、石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)、赤木圭一郎(あかぎ けいいちろう)、小林旭(こばやし あきら)といえば、わしのおふくろ世代の大スターがおった映画会社じゃのう」

「さっき話をした「フリーブッキング」をするために、東宝は製作部門と配給部門を分けたんじゃね」

「それほど、映画会社は追い込まれとったんじゃ。が、映画館の方は、今までのように2本立てでないと人が入らないと思い込んどったそうじゃ」

「人は成功する(=2本立て興行)と、その成功したビジネスモデルに安住してしまうけぇね」

「そんな中、1973年(昭和48年)12月29日から正月映画として公開されたのが『日本沈没』(東宝)」





約880万人の観客を動員し、配給収入は約16億4000万円(1974年邦画部門興行収入1位)を挙げる大ヒットを記録。

(「日本沈没」ウィキペディア)






「映画が公開された翌1974年(昭和49年)の邦画部門興行で収入第1位を記録するくらい、『日本沈没』はヒットしたんじゃね」

「このとき、2本立て興行の見直しのタイミングを図っていたのが、東宝の営業本部長じゃった松岡功(まつおか いさお)。彼はこれを実行に移したそうじゃ」





「とりあえず映画を見に行く」=「どんな映画にでも客が入る」時代から「この映画が面白そうだから見に行く」=「厳選された映画にだけ客が入る」時代へと変化したからには、それに合わせた興行形態に変えるべきだという考えを松岡は持っていた。

(「春日太一『仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―』新潮社)






「ということは、『日本沈没』と2本立てだった映画が打ち切られた?」

「『日本沈没』と併映で『グアム島珍道中』という映画が上映されとったんじゃが、これを打ち切りにしたんじゃの」

「で、観客の反応は?」

「結果としては、『日本沈没』の上映回数が増えたことで、観客数も増えたそうじゃ」

「1本立て興行でも映画が成り立つということを証明したんじゃね」

「で、『日本沈没』2月上旬まで長期興行を行い、1本立てで大成功をおさめたんじゃ」

「これ以降、映画は2本立て興業から1本立て興行が定着するんじゃね」

「これに伴って、映画の公開本数は減少する。映画は量産から大作を製作するようになり、東宝はフリーブッキング化をすすめたんじゃの」

「おー、映画村ができたのもこのころじゃったっけ?」

「東映太秦映画村ができたのは、1975年(昭和50年)11月のことじゃった」





「今日は、「映画館 2本立て興業の終わり」ということで、1973年に公開された映画『日本沈没』(東宝)に関連して話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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