相場奥の細道 ~ 為替比較サイトもお勧めの本「先物罫線」「相場の張り方」の筆者、鏑木繁先生の連載コラム~

著者なりの相場観を綴ったもので、実際の投資および取引に関する最終決定は、お客様ご自身の判断で行われるようお願い致します。

税金なんて安いもの

2006-01-30 | Weblog
 お金を儲けたら、税金を払う。なんとか税金を誤魔化して、という考えは、自然の流れに反する。

 自然の流れに逆らうと、どうなるか。倍返し、 3 倍返しで罰が当る。この事は、人生を 75 年もやっていて、本当だなとつくづく思うのである。

 儲けたら税金を払うことに喜びを感じだしたら神様は、どんどん儲けさせてくれる。『もう、いいです』と言っても、遠慮するな、持っていけ、持っていけと、お金をフトコロにねじ込んでいかれます。
  さすれば、「おおきに、おおきに」と感謝して、税金を払う。この次元に達するまでには、かなり心の修行も必要だし、世の中の、目に見えない仕組みのありかたを知らなければならない。

 税金が高い、高いと文句ばかり言っているから高く思える。

 どんどん儲かれば、税金なんて安いものである。

災難を老子で防ぐ

2006-01-27 | Weblog
 昔の中国は戦乱と天災に人々は苦しんだ。

 今の世の中も、色々と怖い世の中である。昔の中国では災難を避けるには、「老子」と「易経」を学べと教えた。
  今の世の中でも「老子」の教えと、「易経」を知っておれば、大難が中難に、中難が小難に、小難が無難に変わるのである。

 老子は『知るものは言わず。言うものは知らず』。あんまり賢くふるまうのは災難を身に受ける。

 だから、「愚は愚に徹すれば天下無敵なり」。なかなか、人間は愚になりにくいものである。お若い方はいまから老子を学んでみることである。これからの人生の大きな財になる。

 易も勉強するに越したことはないが、せめて 10 年かかってという考えが必要。 10 年が 20 年、 30 年と段々奥の深さが判ってくると、なんと凄いものだと更に勉強する。

易は凄いから怖い

2006-01-25 | Weblog
 朝、通勤電車で、近鉄は横並びに 6 人腰をかける。

 筆者は易をやって、すでに 40 年、無意識に、座っている男女の並びかたで易の卦をたてる。男は陽。女は陰。
  今朝など進行方向から男・男・女・女・女・男と座っているから○○●●●○で、「風雷益」。この卦は益の相場高しと出た。
  会社で相場(ゴールドとプラチナ)を見たらストップ高がついていた。

 易は当る、当るから怖いのだ。昔の人は、人生 50 に達すれば易を勉強せよと言ったものである。

 筆者は、昔から相場ばかり張っているから、特に自分の手相の変化や、自分の人相に気をつけ、易もかなり勉強してきた。

 電車で男女女男男女(○●●○○●)は山風蠱 ( さんぷうこ ) 門内賊あり。凶である。この日一日、用心するわけだ。易は凄いです。

逆は眞で眞は逆

2006-01-23 | Weblog
 カラスが騒ぐから、なにか悪い事が起る-と考えるのは逆である。悪い事が起るからカラスが騒ぐのである。

 昔、映画会社のワンマン社長が、スキャンダルになったことがある。
  映画女優を自分の女にしたと言われて、映画記者の会見で、それは違う。自分の女を映画女優にしただけだと。
  この時、なにが人生で一番楽しいか。それは美女とセックスしている時であると公言して、上場会社の社長にあるまじき言葉だと問題になり、社長を辞任した。

 よく女子大生が、アルバイトで身をゆだねると宣伝しているが、あれは違う。
  淫売女(古い言葉ですね)が女子大に通っていると解釈すべきだ。

 相場で損したというのは、人様に儲けさせただけ、相場で儲けたというのは、人様のお金を市場を通して、くすねたにすぎない。

腹が立って腹が立って

2006-01-20 | Weblog
腹が立って、腹が立って、どうしょうもない時ということが人生にはある。

しかし、運勢学的に、腹を立てる事は、自分の運を悪くするわけで、その事を知っていても腹の虫がおさまらん。
このような時、どうすればよいか。

なぜ、そんなに腹が立つのだろう。たいがいは騙された。なめられて面子(メンツ)がつぶれた。馬鹿にされた。
そんなところである。本当は、たいした事ではないのだが、その時は、殺してやりたいぐらい腹立たしい。
あとから思うと、なんと人間の器量の小さい事かと思うが、その時は、おさまらない。

しかし、自分の体に悪い。運命を落す。それが判っていてどうしょうもないから困る。

これは、誰にでもある話。
仕方がないから、立つだけ立たせて、爆発させればよいが爆発させたあとが、後悔するものである。なんと馬鹿な、と。

どうにもならん時

2006-01-18 | Weblog
 人間、生きていくうえで、進むもならず、退くもならず、立ち止るわけにもいかないような苦しい時が必ずある。 誰にでもあるわけで、特に激しい仕事(職業)についている人に多い。
このような窮地にある時は、どうすればいいか。どうするわけにもいかないのだ。 筆者の人生にも、たびたびあった。仕方がないので、逃げない。出来ないと思う、一番苦しい、一番やりたくない方向に突き進んだ。 そうすると、一番嫌だ、やりたくない道が、なんと、スラスラと解決してくれる道だったのだ。

そうだったのか。そうか。と悟った。逃げたり、小手先でごまかしたり、先のばしにすると、倍々になって返ってくる。

中国の呉子の兵法は、勝てないと思った時は逃げて、逃げまくれとある。これも一ツの生きかたであるが。

泣く時は泣くに限る

2006-01-16 | Weblog
 淋しさの極というものがある。心細さの、きわみもある。

泣きたくなる。昔、東海林太郎という歌手が『国境の町』という歌を(昭和 9 年)全国的に、はやらせた。

このうたの中の歌詞で『一ツ山越しゃ他国の星が、凍りつくよな国さかい(境)』という文句は、うまいと思う。 二番に、故郷はなれて、はるばる千里、なんで思いがとどこうぞ、遠きあの空つくづく眺め、男泣きする宵もある。 男泣き。淋しさのきわみは本当に泣きたい。どうすることもできない心細さ。泣けたら泣くことである。 どんな悲しみも、泣いたら少しは、やわらぐ。

うれし涙というものはスポーツ選手によく見かける。 くやし涙は、甲子園の高校野球で、よく見かける。泣くことは感情を癒す効果がある。

芭蕉の句に 『塚も動け我が泣く声は秋の風』 号泣だ。

人を呪わば・・・

2006-01-13 | Weblog
 人を呪(のろ)わば、穴二ツというが、なぜ落ちる穴が二ツなのか。
これは、呪われた人間と、呪った人間が共に落ちるからである。
呪いというものは、それを受けると、体の調子が悪くなったり、なにか悪い事が起きたりする。

古くは江戸城の大奥のワラ人形に 5 寸釘がある。
筆者も、生駒の聖天さんの奥の高い山に眞夜中に登ったことがあるが、(寒の行)ワラ人形に 5 寸釘が打ち込まれているものを見て、ゾッとした。
呪いは生き霊という。生きた人の霊、すなわち『生き霊は、払いがたし』という。

『死に霊は、払えども』。本式に眞劍に呪われたら、たまったものでない。
故に、人に、うらまれるようなことは、しないこと。

この世の中、なんの関係もない人を呪ったりする人はいないのである。

心に映るもの

2006-01-11 | Weblog
 あらゆる相場、例えば株式、為替、金利、商品などの相場は、相場が行く先を、しゃべる時がある。

私は高くなりますよ、とか。これから下がりますなど。

それは誰にでも判る時もあるし、ほとんど判らない時のほうが多い。

あまり相場のウズの中にいると、判らないが、少し遠くに離れていると、それが見えてくるのである。

心眼とでもいうか、無心でないと、相場様が、一生懸命に、しゃべってくれている言葉が耳に入らない。

心眼は目に見えるものでなく、目に見えないものの仕組みを知ること。

人間、普通の生活をしていても、なにか嫌な予感のする時や、なんとなく嬉しい気持ちになっている時がある。

なぜだろうと考えても判らない。要するに、なにかの現象が、心に映るのである。これを大切にすること。

忘れました

2006-01-09 | Weblog
 えびす天井・えびす底。彼岸天井・彼岸底。七夕天井・七夕底、天神天井・天神底。

北浜の証券界では、昔からよく言われてきた。その通りになることはない。まあ、気分的に、ケジメをつけるためである。

相場に取り組んでいると、一年の過ぎるのに、季節を忘れる。世間様は花見だ、五月の節句だ、夏休みだといっていても、自分の相場生活とは関係がない。

また、世の中は、事件が多過ぎて、余程の大事件、大災害でないと、すぐに遠のいて忘れてしまう。

昔の軍隊で、『知りませんでした』というと殴られた。『忘れました』と言わなければいけない。教えても、いないことでも教えてあるという前提であるから、知りませんでは、教えていないという事になる。

国会で『おぼえていません』と答弁するのが、一番賢いのと同じ理論である。

バタバタしても同じ

2006-01-06 | Weblog
 相場と、また一年、取り組むわけで、まだ12ラウンドあると思っている間に、
アッと過ぎてしまうもの。

生まれてから10歳までのあいだは、一年は正味一年あるわけで、早く来い来い
お正月などと、お正月が待ち遠しい。

10歳過ぎて20までは、前の年代の半分で年が過ぎるから10年だったのが、
5年である。

このあたりならまだいいが20歳から30歳の10年は、5年が2年半で過ぎ去る。
そのあとの10年は2年半の、また半分、さらにまたその半分で過ぎ去るから、
一年経つのは早い。

うかうかして生きていると、60歳、70歳になっている。

その間、なにをしてきたか。人生雨の日、曇の日、晴の日と3分の1ずつなら
よいが、晴の日が5分の1、雨の日が5分の2、曇の日が5分の2という比率である。

だから、うかうか過ごすなといっても、バタバタ過ごしても結果は同じである。

「帯むすびます」

2006-01-04 | Weblog
 私の計算では、この原稿は新年の 4 日付けでなかろうかと思う。久保田万太郎の句に  

「一月や、日のよくあたる家ばかり」。  「輪飾りや夢の間すぎし三ヶ日」。

お正月はテレビばかり観て過ごすもよし。実にくだらんテレビばかり。お正月の新聞も、「おせち紙面」といって 12 月の中頃から刷って、倉庫に積んであるのを、お正月の顔をして配達される。

昔は、お正月の初出の時は若い女性は、たいがい着物姿で、はなやかだったが、近年、着物の晴着姿は少ない。

お正月は、よく「帯むすびます」という張り紙がホテル街で見かけたものだ。彼氏とホテルに行って、朝家を出る時は母親に着せてもらった着物をぬいでしまうと、もう着られない。それなら、ぬぐなといいたい。昔、お座敷の芸者が隣の部屋で、ちょんの間などの時は、「こぶ巻」といって帯を解かず、お正月は男の上から乗っかった。