日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

山鹿市博物館、懐かしい出会い

2010年11月03日 | Weblog
鍋田の横穴、弁慶が穴古墳、チブサン古墳などなどこの地方独特の装飾古墳が点在する場所の博物館。
2階は出土品の展示。その中にあった。銅矛。

我が家の隣、その昔鹿本中学、通学した鹿本高校、現在は鹿本商工から出土したもの。

小学校の3年生の頃か、社会科の授業で使うから高校まで行って借りて来いと先生に言われた。
高校は我が家の隣、行きなれているだろうということだったようだ。連絡はしてあると。
恐る恐る高校の玄関へ行くと、先生が出てきて手渡されたのが、この銅矛であった。
小学生が一人で運んでいいものかと、思ったような気がするが持って行き、返しにも行ったか?
そういえば大きな桐の箱に納められており、小学生には持ち辛かったなぁ。

55年くらい昔のことだ。その銅矛がここにあった。
鹿本商工の蔵に死蔵されているか、いやひょっとしたら博物館にという予想の良い方だ。

高校の正門は今は使われておらず、そこから入った玄関脇の石人はどうなったのだろう?岩井の乱で敗れた磐井一族の墳墓の石人は全て首を落とされている。それと符合するもののひとつ。

最近古田武彦の著書がリバイバルブームで再出版されている。
魏志倭人伝の壱と台(の旧字)との間違いとして邪馬台国とされる通説を高貴な字である台を壱に
間違えるはずがないと仮定して、魏志の全ての二つの字を洗い出して検証した本が
「邪馬台国はなかった」である。その続編「失われた九州王朝」「盗まれた神話」など
実に明快なロジックの見本と30代の頃に仲間と読んだ。

その様な歴史の関わりの雰囲気のする故郷である。
御参考:
http://rakudo.s10.xrea.com/rekisi/furuta2.html


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2 コメント

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石人 (ふくふく)
2015-03-08 15:48:14
山鹿の博物館の人から覗ったのですが
鹿本高校にあった石人は、以前は東京の国立博物館にあったそうです。
そして、今は大宰府にある九州国立博物館に置いてあるそうです

鹿本高校にあったあの石人に似たものをどこそこで見たような気がしていて
「鹿本高校のはレプリカだったのか」なんて思っていまました。
本物をあちこちで見ていたようで、やっと謎が解けました
石人 (持ち主)
2015-03-09 16:25:33
ふくふく様、
実は東京の博物館にあると言う情報で、わざわざ何かのついでに見に行ったのですが、ありませんでした。しまい込まれたかと思いましたが、九州ですか。納得。

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