味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

為めにする所ありて為す者は利なり。

2017-05-16 09:44:08 | ブログ
第3059号 29.05.16(火)

為めにする所ありて為す者は利なり。為めにする所なくして為す者は義なり。『十八史略』

 なにか自分のためを考えてやることは、すべて利の行いであり、自分のためなど考えないでやる行いは義である。621

 【コメント】解説にある<自分のためを考えてやることは、すべて利のおこないであ>るとありますが、その自分への利が人様への利につながるようにしてあげたいものです。

 世の中はお互いさまであり、人のよろこびも共によろこんであげたいものです。

 とにかく人様をいじめるとか殴るという行為はよくありません。子供の頃、一見貧相とも見える大人の人がいました。その人を見た近所の子供たちが、その人を揶揄するような言動を大声で言い、おっかけられたら逃げ回るということを繰り返していたものです。

 それを見ていた子供の親は、怒ることなく、ニタニタ笑っていました。私たち双子が、人様に対してそういう無礼なことをしたら、私の母に、徹底して厳しく叱られたであろうと思っています。

 人様を罵倒した子供たちは、数年前亡くなったと妹から聞きました。ところが晩年は、大変苦しみもだえたとお聞きしました。とにかく二度とないこの世に生を得たのですから、相手の人から悦んでもらえるようなことをしてあげたいものです。

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『人としての生き方』(第13回)

 先生がよく引用されます呂新吾の『呻吟語』に、「深沈重厚なるは人物第一等の資質」とあります。これについては、「理想の宰相像」として先生が語られておられます中から詳しく拾い出しますと、

   その地位に淡々として、
   敬虔で私心なく、
   自信を温容で包み、
   慈愛と信頼を秘めて、
   侵し難い威厳を備えながら、
   どこかユーモアがあり、
   そして一抹の淋しさを含んでいる。


 こういう人物が宰相像だと言っておられます。
 「その地位に淡々として」というのは、やはり基本的な条件ではないかと思います。先生の文章に次のようにあります。


   『宋名臣言行録』を読むに随って、しばしば感を深うすることは、凡そ名臣といわれるほどの人々に、物欲に拘ら   ぬ清倹に身を持する例がいかに多いことかということである。或いは、清倹簡素は士の守る常である。その常あって、はじめて富貴も   禍とならんことを知らねばならない。

 これは次の孟子のこの言葉につながると思います。

   富貴も淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず、
   威武も屈すること能わず、此れを此れ大丈夫と謂う。


 地位や財貨の快楽に惑わされることなく、貧乏の苦しみに動ずることなく、武力による脅かしに屈することもない。これが゛本当の不屈の男子、大丈夫というのだと。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第7回)

   暴 れ 馬

 菅は始めての会見のとき四十二歳、西郷は四十五歳でともに中年、明治の始めですから、中年というよりは老境にはいりかけた年頃だったのですが、この二人は青年のような情熱で結ばれた。

 菅の性向を追っていくと、英傑によくある型破りの人物で気魄才幹はもとより非凡であったのですが、それも常人とはよほど違った激烈なものであったようです。この激しい性向が、平時では過ちを起こし、人と疎外し、不評を買ったりするのですが、いざ困難に直面すると、激烈な性向が、猛烈な気魄に変わって、絶壁を乗り越える、そういう人であったようです。
 菅は子どものころ、近所の子どもと遊んで、木登りをしても、歯をくいしばってでも、誰よりも上に登っていなければ気がすまないという風であったといいます。菅の母がこの子は畳の上では死ねない子ではないかと心配したというのですから、子どものころから菅の行動は尋常ではなかった、いわゆる餓鬼大将もいいところで、手に負えない悪さもしたに違いないのです。

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