味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

公明宣、三年書を讀まず。

2017-10-14 15:14:06 | ブログ
第3211号 29.10.14(日)

公明宣、曾子に学ぶ。三年書を讀まず。曾子曰く、宣、而参(なんじしん)の門に居ること三年、学ばざるは何ぞや、と。公明宣曰く、安(いづく)んぞ敢て学ばざらんや。宣、夫子の庭に居るを見るに、親在(いま)さば、叱咤の聲未だ曾て犬馬に至らず。宣之を説(よろこ)び、学びて未だ能くせず。宣、夫子の賓客に応ずるを見るに、恭倹にして懈惰せず。宣、之を説び、学びて未だ能くせず。宣、夫子の朝廷に居るを見るに、嚴もて下に臨みて、而も毀傷せず。宣之を説び、学びて未だ能くせず。宣此の三者を説び、学びて未だ能くせざるなり。宣安んぞ敢て学ばずして、夫子の門に居らんや、と。

 公明宣が曾子に弟子入りをして久しくなるのに、書物を読まないので、曾子が「宣、お前は私の所へ来ても、久しい閒、一向に勉強しないが、どうしたのか」と尋ねた。公明宣は、「決して勉強しないわけではありません。実は私は先生が中庭におられるご様子を拝見しますと、ご両親の前では、犬や馬さえ大声でお叱りになったことがございません。大いに感服して私も努力しておりますが、まだできません。また、先生が賓客に応対される態度は、実に恭しくつつましく、一切だらけたご様子がありません。大いに感服して、私も努力しておりますが、まだできません。また、先生が朝廷に出られた時のご様子を視ますと、下の者には厳格荘重の態度を示されますが、それらをきずつけるようなことがありません。大いに感服して私も努力しておりますが、まだできません。私はこの三つのことに感服して一所懸命に努力しています。私は勉強もしないで先生の所にぐずぐずしているようなことはありません」と答えた。

 【コメント】曾子の問いに答えた公明宣の答えは、生きた学問をしていますと、明確に答えていると理解していいと思います。人間は正しい行為の実践が大切で、まさしく生きた学問だと思います。

 昨日も書きましたが、車の運転で人様から注意されたことに感謝することも出来ない人間にもこのようなことを教えたい思いですが、幼少の頃から、いい加減な親に、いい加減に育てられたのでしょう、人間の内で一番貴いことを教えられない人間は、いつもそういうことの繰り返しをすることでしょう。

 私が独立愚連隊みたいなことをすれば、母親に薪でなぐられた上に、御飯も食べさせて貰えないことだったと思います。

 今頃は、母親が厳しく育てると、周囲の識者と言われる連中が体罰だ何だと騒ぎたてるから困ったものです。少々の体罰では人は死なないのです。

 教諭とかのオジサンオバサンが、さも知ったかぶりに解説するのも困ったものです。ああいう男は人間の本当のことがわっていないのです。

 連日賑わっている選挙運動ですが、リベラルと言われる人々の労働組合が、平和平和・安全安全で生徒を甘やかせ、子供を甘やかせした後遺症が、今日の現象なのです。

 30年位前、リベラル派の学校教諭が世の乱れを追及したのが週刊誌に掲載されました。それに対して、「日教組、お前が犯人ではないか」というのがありました。

 その辺は長年労働組合の役員をしてきた私はそのとおりだ思ったものです。子供は殴ってでも、好い子に育つよう導かなければならないのです。

 要するに長い人生において、お巡りさんのお世話にならないこと、被疑者にならないことが大切だと思います。甘やかして善い事はないのです。

 昨夜の空手道教室も賑わいましたが、一人の子供が真面目にしない上、道場の壁を叩いたので厳しく厳しく指導しました。それは躾の一貫なのです。
 普通の子供は叱ると言葉は理解できるのですが、特別支援学級で学んでいる子供は理解が出来ないのです。そういう時は、身体で覚えて貰う以外にないのです。

 田上青年は17年御稽古していますが、優しく、また厳しくを繰り返して参りました。最初からすると成長度は隔世の感があります。やがては一人で生きていかなければならないので、それに向っての人間づくりを日々少しずつしなければならないのです。

 子供は何もわからないのです。甘やかすだけではダメだと思います。数年前、入会した6年生の子供は2回来ただけで御稽古はしていませんが、学校でオチンチンを露出し女性教諭にだきついたのだと聞きました。その内新聞紙上を賑わすことになると思います。

 私の母は学校から帰ってくるのを待っており、山へ薪とりに、畑へ草取りにと連日、厳しく働かせられたものでした。そういう過去の日々のお蔭で今は元気なのだと思っています。

 ここで皆さんに御願いしたいことは、子供に、勤勉性を、勤労精神を、粘り強さを、積極性を、節約倹約の心を、人様に優しさを、物に愛情を、長い人生へ挑戦する気概を構築できる人間へと成長されるよう促して欲しいと思います。
 
 まかり間違ってもギャンブルはしないことです。藤井ソウタ君が将棋で脚光を浴びた関係で、その熱が盛んであるらしいですが、出来れば将棋よりか学問をした方がいいと思います。

 私は父がそれで失敗をしたから、囲碁・将棋もギャンブルだという捉え方をしています。文武両道こそが最高だと思います。

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『不動心』(第80回)

 人間の本分を知るということ
 人間性と無縁なものは、われわれにとって財産でも何でもないのだから、唾棄したところで構わない。そんなものに頼らず生きていく能力のほうが、むしろ賞讃に値するくらいだ。仮にその中に有益なものがあったにしろ、その恩恵にあずからなくても十分善い人間になれる。いや、むしろ人間に縁のないものからはことごとく手を切ったほうが、立派な人間に成長していくのである。

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『臥牛先生遺教抄』(第36回)

 朋友を好み先生を悦ぶ人は、道を学ぶに於て間違いなきものなり。
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