味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

愛すべきは君に非ずや。畏るべきは民に非ずや。

2016-10-13 09:42:55 | ブログ
第2844号 28.10.13(木)
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愛すべきは君に非ずや。畏るべきは民に非ずや。『書経』
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 人民はその主である君を愛さねばならない。君はその人民を畏れつつしまなければならない。それを忘れれば民は離反する。198
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 【コメント】今の日本の国体は素晴らしいと思います。それは上からの強制もなく、下からの反乱もなく穏やかだと思うからです。それは上に立つ人が帝王学を学んでいるからでもありましょう。
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 この平和で穏やかな日々が常態化することを願っている人々は多いと思います。ただ、世の中を引っ掻き回すようなブラック企業はよくないと思います。ブラック企業を率いる男が数か月前、俺は日本のトップリーダだと高言しましたが、これを真面に聴く人はすくないでしょう。儲けさえすればいいということだけを先行しているからです。
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 西郷隆盛の大河ドラマが二年後、放映されるとのことですが、叶うものならそれを青少年を含めた教育の一貫として欲しいものですが、この願いは届かないのでしょうネ。
 小説を書いている林氏も『南洲翁遺訓』をどれだけ読んでいるか、世の乱れをどれだけ認識しているかによると思われるからです。林氏が荘内南洲会の皆さんと膝突き合せて、どれだけ話すかにもよると思います。
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 鹿児島の高校長を歴任した徳永健生氏は、『尋問の筋これあり候』を執筆するに当り、冬の天候が悪い時、風吹の中を荘内の町を歩き廻ったのだということを、当時の荘内南洲会理事長・小野寺先生に伺ったことがあります。
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 特に西郷隆盛が登場するのであれば、荘内を抜きにしては出来ないと思われるのです。私がブログでご紹介している『臥牛菅実秀』もあと半年以上かかると思うのです。
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 昨日は単車に乗っていた青年が、パトカーに追跡され、そして見失った後、人間の身体を電柱倒壊防止のために設置しているワイヤー(ストランドといいます。)によって切断されたという情報を拝見しました。
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 パトカーの警告があったら、何故停車しないのでしょうか。何故逃げるのでしょうか。今朝の新聞報道でも「いじめ」の問題が、報道されていますが、これらを真剣に考えたいものです。
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 思うに私は、『南洲翁遺訓』と『運命を拓く』の中味を人々にお伝えしたいと思っているのです。尤も、味園空手道教室に来る子供たちには徹底して教えていますが。
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 東京都市場移転に伴う問題も、政治の新旧ボスが絡んでいると文芸春秋にも書かれています。検察当局は徹底的に捜査して貰いたいものです。

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『運命を拓く』より
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   理 想 の 誦 句
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 人の生命は常に見えざる宇宙霊の力に包まれている。
 したがって、宇宙霊のもつ万能の力もまた、我が生命の中に当然存在しているのである。
 ゆえに、いかなる場合にも、またいかなることにも、怖れることなく、また失望する必要はない。
 否、この真理と事実とを絶対に信じ、恒に高潔なる理想を心に抱くことに努めよう。
 さすれば、宇宙真理の当然の帰結として、必ずや完全なる人生を作為される。
 今ここにこの天理を自覚した私は、何という恵まれた人間であろう。
 否、真実、至高至福というべきである。
 したがって、ただこの上は無限の感謝をもってこの真理の中に安住するのみである。

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『臥牛菅実秀』(第379回)
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 この巡査募集には、つぎのような事情が伏在していたのであった。
 政府としては鹿児島軍を弾圧するのに、徴兵制による正規軍だけでは兵力が足らず、政府部内には士族兵を募って戦線に投入しようとする意見が強かった。しかしそれを実施すれば、正規軍は徴兵制によるという政府の基本線が崩れるので、便法として士族を巡査に仕立て、それに武器を与えて戦わせることにしたのである。
 そしてこの巡査は主として東北地方から募ったが、このとき政府は東北各県の士族に向い、薩摩を征伐して戊辰戦争の仇を討ってやれと宣伝した。これは古風な仇討ち心理を利用したものと批難されているが、仇討ち心理の利用といえば、岩倉具視が西南戦争の勃発したときに書き送った意見書の中の荘内討伐の項に、
  米沢その外、かねて荘内を敵視せし藩士蔟を徴募する限り、越後之に準ず。
とあるのも、まさに仇討ち心理の利用そのものではないか。

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『農士道』(第654回)
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 農民が商工業者に比して、鈍重であるといふことは、その反面に素朴重厚な長所があるといふこともいへるが、然し、農業が商工業に比して、とかくその進歩の鈍いとしはれるのも亦否めない事実であって、---勿論これは一般的の問題としてであって、特殊のものは別であるが。
-----それは此処に基因するものがあると思ふ。この點から見て農業は亦商工業に学ぶべき處がなければならぬ。
 以上の事は、名匠が日本刀を鍛へるとか、仏像を彫刻するとかいふ高度の手工業的部門に於ては、それほどに農工間の差異を認めぬであらうが、然し、大規模の機械工業に至ってはその間の差が相当に大きく、随って農工両者が互に学ぶ處も亦甚だ多いことと思う。

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