タイトル----文は道を貫くの器なり。第2013号 26.07.01(火)
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文は道を貫くの器なり。『古文真宝』
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文章というものは、道徳を貫き並べるための器、手段である。つまり、無形の道徳を表現するのが文であり、道徳をはずれた文は意味をなさない。
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【コメント】
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130年の歴史的事実を重ねて人々に読み継がれている『南洲翁遺訓』は、西郷隆盛という英傑の人と思想を説き、人々に生きる道しるべを説いた道徳の書だと思います。そういう気高い思想を説いた文言に、個人が勝手に手を入れ改竄することは言語道断、天が許す筈はないでありましょう。
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それを正当化しようと理屈を並べたてるのを屁理屈というのです。自らが仕事という社会的訓練を通じて培った財産を邪に活用することは悲しいことです。憲法改正は、外部の要件もあり、時の推移によって人々はこれを承認することもあるでしょう。が、『南洲翁遺訓』は菅臥牛翁を中心として成案したものでり、他人が介入できるものではないのです。ましてや公的立場と公金を使用するなどは、全メディアが声高らかに警鐘を鳴らすべきでしょう。
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『天保おすわり事件』(第68回)
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『合浦の珠』鹿の澤村御船治右衛門、八日町村堀四郎吉の日記に、かう書いてある。
「十二月廿三日、昨日の倍なる大吹雪、五つ時出立、朋友の者へ立寄り、家内の事ども頼み置き、暇乞ひもそこそこに立ちければ、同志の者追々馳参り、いざとて出にけり。隣村へだに通る者一人もなし。道は更に見え分からず、さりとて止むべくもあらねば、前崎の森かげへ廻り、吹浦の川口へさしかかり、聲を張り上げ頻りに渡守を呼びけるに、荒天にて渡す事相成らずと申す。川越の止まりしこそ前祥よしと、夫れより畔道傳ひ、丸池の邊より山越に差しかかり、用意の俵沓をはき、深雪を踏みこぎこぎ通りけるに、雪風益々強く白晝と雖も闇夜に異ならず、柴を押分け行く程に、皆々惣身冷え凍へ、今にも消え失せんかと思ひけり。此の時、大物忌神社、月山神社に立願をかけ、有耶無耶の關の絶頂を出て、漸く道を求めて、嬉しやと思ふ間もなく、三崎峠になりぬ。道は薄氷にて鏡の表に異ならず、辷り落ちては柴に取りつき、登り登り、大邱堂に至り、祈願を致し日の暮れ方に小砂川につく。」
道中の困難思ふべしである。
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短歌の紹介
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大久保の死後政府の政策は
士族授産から民間へ転 6842『臥牛菅実秀』
松ケ岡開墾場は貧窮の
時代が長く長く続けり 6843 『臥牛菅実秀』
西郷が送りし気節凌
霜天地知る句で盛り上げて 6844 『臥牛菅実秀』
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