味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

孔子は聖の時なる者なり。

2017-01-24 09:22:47 | ブログ
第2947号 29.01.24(火)
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孔子は聖の時なる者なり。『孟子』
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 孔子は時中の道を得た人、すなわち、緩急出処進退、すべてその時をあやまらない型の聖人である。
 伯夷は聖人の清、伊尹は聖人の任、柳下恵は聖人の和、そして孔子は聖人の時なるもの。125
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 伯夷は聖の清なる者なり。伊尹は聖の任なる者なり。柳下恵は聖の和なる者なり。-----。

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 【コメント】歴史に名を遺している聖人の人物の解説を見て、唸っています。人が知ろうが知るまいが、只管、世の為人の為尽くす、いわゆる手助けができればお役にたちたいものです。
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 22日の『南洲翁遺訓』と小学生の空手道発表を終えホッとしています。でも来月19日には荘内南洲会の先生方がおみえになる予定です。
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 素晴らしい日本空手道少林流円心会の子供たちと交流が出来、有難く思っています。事前に報道機関にも取材依頼のご挨拶に伺ったのですが、全く応対がございませんでした。特に大事件もなかったのですが。
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 それは相手様の都合ですから、皮肉る気持ちは全くありません。思うに空手道は全国どこでも実践しているから、目新しいものはないのです。ただ、『南洲翁遺訓』には注目して戴きたかったのですが、その意味する所が理解されていないのだと解しています。
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 大学を出たとは言え、若い記者の方々は社会経験が乏しく、社会に蔓延する平和ボケ等で、人間の精神を洗濯する作用の重要性を認識していないと思われるのです。三面記事だけをおっかけているのだろうと思います。それでは世の中、良くなる筈がありません。
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 人間には好き嫌いがあります。西郷隆盛だって同様です。でも、『南洲翁遺訓』を刊行した菅臥牛翁外関係者は、ただ西郷隆盛その人を知って貰いたいことと併せ、国家日本をより素晴らしい方向へ導きたいという思いが先行していたと私は思うのですが、水野先生、高木先生、如何ですか。
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 その精神に該当する人が西郷隆盛という人であったわけです。

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「南洲詩より」
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  偶 成  

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 誓って長城に入って 身を顧みず、
 唯皇国を愁へて 和親を説く。
 譬首を投じて 真卿の血と作るとも、
 是より多年 賊人を駭かさむ。

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『臥牛菅実秀』(第480回)
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 それから十年、事業がようやく隆盛になったころ、実秀は、
「外套を最合(もあい)したことを忘れるな。」
と、ときどき担当者にいったという。

  ※最合。一つの傘を二人でさすことを相合傘とか最合傘というように、一つのものを二人で持ち合うこと。
 
 この外套の最合というのは、米商会所の経営の最も苦しかったころ、実秀は副頭取の地主正次(常松)に、先進地新潟の米穀市場を視察させることにしたが、ちょうど冬だというのに、地主には外套がなかったので、加藤と二人で一着作って、共同で着ることにしたのであった。 

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