味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

礼儀覚え書き---4

2017-06-14 17:47:46 | ブログ
第3089号 29.06.15(木)

礼儀覚え書き---4

 本当のもてなし

 京都の老舗「亀末広」の六代目が存命中の話です。商用で東京に出たついでに浅草寺に詣で、かねてから聞いた「籔そば」に入った。注文を聞かれて「お店で、いちばん、うまいものをたのみます」。二百円のモリソバが出た。うまかった。食べ終わって外に出ると、店の主人が送ってきて「ありがとうございました」と頭を下げた。「いちばんうまいもの、といったら、モリソバでっせ。その二百円のやつを家内とふたりで食べて外へ出たら、店の主人が送りに出てくる。わたし涙こぼしました----日本はいいねッ」
 ある経済学者の奥さんが言ってました。ご主人は講演が多いそうです。老大家ですから、自宅から東京駅なり羽田空港なりへ”送り”がつきます。「行ってくるよ」と、ご主人がでかける。しばらくして、
「ただいま、先生を東京までお送りし、新幹線にご案内しました。お元気でお発ちになりました」
 そう言って電話をかけてくるのは男の社員。もしこの”送り”が女子社員だと、まず十人が十人、ンともスンとも言ってこない。
 仕事というのは「プラン」(立案)「ドゥ」(行為)「チェック」(点検)から成り立っているのです。この三つをしないと、仕事をしている人は、仕事をしたような気にならない。平凡なことですが、大切なことです。
 自動車に乗る順序も「もてなし」のひとつです。ドアをあけて、年配者や客が乗ったら、「私は向こうから乗ります」と声をかけ、自動車のうしろをまわって向こう側の乗り口から乗る。自動車の中を移動させないための配慮なんです。これは立派な「もてなし」といえるでしょう。
 私自身の経験をひとつ。秋田に行ったとき、同年輩の人が車で迎えに来てくれた。走り出すと、「草柳さんが、フランシス・ゴヤのギターが好きだって、どこかで書いているのを思い出してね。今日は、かれの”涙色の手紙”をカセットに入れてきているんですよ」と言った。「どうもありがとう」というと、彼はある沈鬱な流れの中にやさしく涙を流して弾いているかのような演奏をスタートさせた。「音楽は良いことも悪いことも皆同じと思わせる」という亡くなった先輩の声を憶い出しながら、私はコスモスの揺れる秋田の街を眺めていた。

 今朝、テロ等処罰法案が裁決の上、可決されました。やり方に強引な所もあったが、良い事だという市民の声が聴かれました。民法のテレビ司会者が言うには、今後の動向を見て、官憲のやり方がおかしい時は、廃案の動議を出して貰いたいと発言しました。同感です。
 私は以前、悪い事はしないから、法案に賛成だと書きました。普通の人間が普通に生活するのに、何を怖がる必要がありましょう。まじにして正々堂々と生きて行きたいものです。

 私は道場に菅原先生のお写真を掲げていますが、菅原先生がご存命であれば賛成したであろうと思っています。安岡正篤先生の推挙を得て日本農士学校の初代検校(校長)に就任した方だからです。
 戦後、二度と戦火を交えてはならないとのことで平和・安全・自由が主軸となりましたが、これには徹底した躾同様の自らを律する姿勢が要求されると思うのです。
 中澤先生、高木先生、如何思われますか。およろしかったら、胸の内を少しくお聞かせ頂ければと存じます。
 初夏となりましたものの、朝方はヒンヤリ致します。その為か、咳がひどく、微熱がありました。そこで「葛根湯」を昨夜飲み、額を冷やしタオルで冷やしました。今朝はすっかり良くなりました。葛根湯に感謝したい思いです。

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『人としての生き方』(第43回)

 本を開けば学ぶべき良い言葉が沢山あって、そしてそれは躍動して人の心に迫る。だけれども人は読もうとしない。読んでも実行に移さない。本というものも活字をただ何となく追っているだけでは価値が無いんです。心中深く刻み込むような心の自覚をもってこれを読んで実行したならば、実行しても為し尽くせぬほどの教えがあるんだということです。
 また『士規七則』の中には次のようにあります。


    人古今に通ぜず、聖賢を師とせずんば、則ち鄙夫のみ。
    読書尚友は君子の事なり。


 歴史に通暁(精通)せず、聖賢を師として学ばないと、くだらぬ人間となってしまう。読書を通じて古人を友とし尚(とうと)ぶことが立派な人物というもの。

    徳を成し材を達するには、師恩有益多きに居り。故に君子は交遊を慎む。

 人徳を磨いて、持てる才能を発揮する、そのためには師恩と益友の裨益(助け)によって決まる。だからこそ交友を大切にするということです。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第35回)

 さらに、菅が千住事件で九死に一生をえたとき、菅のために尽力した小栗が、幕府の戦略としての(危険な)「京阪視察」に菅を指名したのではないかと思われます。いずれにせよ、庄内藩は菅の謹慎を解いて小栗の指名を受け容れました。「視察」はおそらく「命令」のかたちで与えられたことでしょう。菅は江戸詰めの人から同行六人を選んでいます。
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