味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

其の疾きこ風の如く、其の徐かなること林の如く、

2016-11-05 11:11:41 | ブログ
第2867号 28.11.05(土)
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其の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)は火の如く、動かざること山の如し。『孫子』
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 進攻にあたっては風のようにはやく、とどまれば林のように静かに、また敵地の侵掠を開始すれば、燃える火の勢いをもってし、守備するや山のように不動である。それが戦陣にある軍の態勢でなければならない。423
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 【コメント】『孫子』の上の言葉は、戦陣だけでなく、我々の日々の行いもかくありたいものだと思います。その時は、慎重に前後左右を観察し、安全等々を確認してから行動に移すことが大事だと思います。
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 昨日は超多忙の一日でした。
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 一番に荘内南洲会理事長・水野先生からお電話を戴きました。来年の西郷先生の遺徳を訪ねる旅と交流会の件についてでした。私が先ほどFAX送信した文書の内容の誤りもご指摘戴きました。大変失礼しました。有り難うございました。
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 水野先生と話している時、池田先生からもお電話を戴きました。南洲神社墓地にある荘内から持ってきて植えてある柿の木に柿がたくさん実っているという朗報でした。
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 私は勘違いして、榊原・伴青年のお墓のすぐ近くかと思って写真を写すため南洲神社に走った所でした。場所は少し離れた処でしたが、柿は熟していました。
 鶴田宮司様が言うには、既にもぎ取った後ですよ、と申されました。私は体調不良で例大祭欠席に参加できなかったお詫びを申上げました。
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 そこで宮司様から顕彰会常務理事交替のこともお聞き致しました。新館長には『南洲翁遺訓』等の事も踏まえ、荘内南洲会様との行き違いのなきようにとお願いしてあると申されました。
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 誰が何をしようと自由なのですが、トラブル等に発展する行為・思いはよくないと思います。事前に関係する方々へ一言お話し、了解を得るべきが大人の仕事の進め方でありましょう。
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 数年前、『南洲翁遺訓』改竄事件が発生したその頃私は、顕彰館で界隈の子供・青年たちに『南洲翁遺訓』を講義する役目を仰せつかっていました。その時、『南洲翁遺訓』改竄のことを聞きましたので、主犯の男に大声で食ってかかりました。
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 評議員会では何一つ異議は申さず、男か、女みたいなバカかと思われていたみたいでした。その男がこと、『南洲翁遺訓』改竄については、承服できず怒鳴ったのでした。
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 これらは、西郷先生のご人格を世に知らしめ、日本国が少しでもよくなるようにとの配慮から、菅先生を中心に荘内の英邁な先生たちが命に代えて出版したものであるからです。
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 当時、理事長の小野寺先生とは夜中にも話したことがありました。遠くにいる小野寺先生はどうすることもできず、歯がゆい思いをしたことであろうと思って私もいろいろご提言をしたものでした。
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 夕刻、12月18日、開催予定の史談会講演会に出演依頼されていることもあり、伊牟田先生といろいろお話し、資料つくりを致しました。

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『臥牛菅実秀』(第402回)
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 明治五年に最初の国立銀行条例が交付されると、いち早く鹿児島県士族によって第五国立銀行が設立されており、西郷隆盛もこの当時『バンク、バンク』といって銀行に非常に関心を示していたといわれているから、実秀はこうした鹿児島の動きを通じて、すでに銀行業の重要性に着目していたのではないかとも思われる。
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 なお『地方銀行小史』によると、この国立銀行を、その設立事情から四つのタイプに分類して、(1)は士族の金禄公債の活用と授産を目標とした士族銀行、(2)は士商協力による銀行、(3)は商人、地主の銀行、(4)は産業家の銀行としているが、第六十七国立銀行の場合は、当初の株主や資本構成が明かでないので、はっきりしたことはいえないが、その設立の事情から考えて、この四つのタイプのいずれにもはいらない、あるいはこの四つのタイプを包含した士、商、地主、産業家が一丸になって協力する銀行を企図したものではなかったかと思われる。

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