味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

単辞を明清にせよ。

2016-10-11 09:36:15 | ブログ
第2842号 28.10.11(火)
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単辞を明清にせよ。『書経』
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 裁判にあたって、一方だけのことばを聞くばあいには、その真偽を明らかにして、不公平の起らないようにしなければならない。218
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 【コメント】アメリカ大統領選挙を一ケ月後に控えて、中傷合戦華やかなりしであります。これを聞いていて、菅原兵治先生がご存命中であり、御聞きになられたら何と仰せになるだろうと、思うことでした。
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 人間の品性・品格・良識のかけらもない言論の戦いを展開しています。国のトップは国家を守ると同時に、国民の生活も安定してあげなければならないということは理の当然であります。
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 しかしそこには、国民から見て、人間性を尊敬できる内面の哲学がなければならないと思います。トランプ氏と仮に桜井よし子が討論したらどういう展開になるでしょう。桜井氏は激することなく、冷静に論理的に話をすすめる人です。
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 東京都では小池都知事の質問に対して、石原氏は公開の場でないところが良いという風に伝えられているようです。上に書いた<不公平の起らないようにするためには>公開すべきでしょう。
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 過ちは過ちとして認めて頭を下げ、言うべきは発言するというのが男・慎太郎だと思うのですが。人には言いたい放題で、人からは言われたくないというのは、人間を下げることにはならないのでしょうか。
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 私が交流している周囲にいる人(東京在住も含めて)も石原氏の動向に注視しています。石原氏が素直に、非を認めて赤裸々に過去を証言し文献にすれば、『天才』以上の評価が得られ、永遠のベストセラーになると思うのですが。
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 姑息な手段で逃げを討った場合、歴史的に現在と真逆な評価がなされることでしょう。安岡氏も石原は小さいネといっているでしょう。
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 東京オリンピックに向けて、スポーツ界ではメダル獲得に向け鋭意取り組んでおられ善い事だと思います。しかし、M・トケイヤー著『日本人は死んだ』が指摘している、3S5Dの悪い面ばかりが、蔓延するような気がしてならないのです。
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 ですから私は連日、漢籍を繙いているのです。8日から10日にかけて、『礼記』を37時間拝読しました。流石、天下の安岡氏が『礼記』を読みなさいと勧めてくれたのだな、と感慨一入でした。過去にも一応は読んだのですが。
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 今日、人々は、ITとスポーツに翻弄されている感なしとしないのです。が、地球が破壊されない限り、人々の生活は大して変わらないと思っています。
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 西郷南洲翁、菅臥牛翁、安岡氏らが勧めてくれている漢籍は、品性・品格・真摯・英明・協調等々を如何に社会性豊かに活用するかということに効果的であると思うのです。

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『運命を拓く』より
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  想 像 力 の 誦 句
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 私は今正に喜びと感謝に満たされている。それは宇宙霊は人間の心の中に、想像という特別の作用を賦与して下されているからである。そして宇宙霊は、常に我々を我々の想像する観念どおりの世界へと、真実に導き入れるべく、その準備を尽されている。
 だから心して想像の作用を正確に応用すれば、それはとりもなおさず、幸福の楽園へのよき案内者を作ったのと同様である。
 かるがゆえに、私は能うかぎり可能的で高級なる想像の絵を心に描こう、はっきりと明瞭に、ただしどんなことがあっても、夢にも自分の生命を腐らし泥ぬるような価値のないことは想像するまい。
 そして宇宙霊の定めた約束どおり、その想像の中から正しい人生設計を現実化する気高い理想を作り上げよう。

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『臥牛菅実秀』(第377回)
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 実秀はこのようにして内部を抑えきったが、一方、山形県令三島通庸が、もし政府の意向に隷従し、あるいは彼の下僚のように狼狽したら、荘内の野は忽ち戦火に包まれてしまったかも知れない。幸に彼は県令として荘内をよく知っていた。
 政府が荘内に追討令を下そうとしていることを知った県令三島は、荘内は決して暴挙を企てはしないとして、急ぎ東京から帰県した。そして松平、菅、及び開墾各組長を呼んで実状を聴取した結果、暴挙の状況なしと政府に報告したために、鶴岡への出兵は危いところで中止になったのである。

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『農士道』(第652回)
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 生きてゐる「青い稲」を生み育てて行く愛育の心は、工業生産に対しても、かくまでの栄養となっているのである。分業化せられたる工業生産に於ては、一つの物を製作するのに、一人の人がその始めから終までを、一貫した連絡の下に仕事することが出来ず、その部分品製作に、或は鐵塊を切断し、或は木片を削りして行くのであるから、ともすれば全体的完成に対する感激と責任とをもつことが薄くなる傾向がなしとせぬであろう。これに対して春の種子蒔きから秋の収穫までを、一人の計画と責任とによって、生きてゐる作物の生命を愛育して行く農の心は、たしかに移して以て、工の心に大きい栄養となし得るであらう。
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