味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

敬せざること毋かれ。

2017-07-27 09:03:27 | ブログ
第3131号 29.07.27(木)

曲禮に曰く、敬せざること毋かれ。若(なんじ)の思を儼にし、辭を安定にせよ。民を安んずるかな。敖(おごり)は長ず可からず。欲は従(ほしいまま)にす可からず。志は満たす可からず。楽しみは極む可からず。『小学』(明倫第三)140

 曲禮篇にいう。すべてにつつしみ深くせよ。汝の思念を儼(おごそ)かにし、言葉を静かに明確にせよ。汝のかかる態度は万民を安らかにするであろう。敬こそ一切の本である。人の上に位する者は、傲りの心を生じ易いが、傲りの心は増大させてはならない。欲望はとめどなく起って来るが、これを放縦にしてはならない。志望は十二分に満足するまで追求してはならない。欲望は警戒すべきであり、楽しみは極めてはならない。141  

 【コメント】心身共に清廉であるためには、人々が絶えず我が身を省みるために、注意しなければならない大事なことだと思います。
 通常、何もなければいいのですが、多くの人々と共に住む世界では、一寸したことでも、思わぬ問題に発展する事があります。ですから、上に書いた事柄を我がこととして捉え、慎重さをもって日々に臨みたいものです。

 その為めには『南洲翁遺訓』はじめ漢籍、そして良書に親しみ参考にしたいものです。
 このようなことを子供たちにもわかるよう、かいつまんでおはなしすることにしています。

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『人としての生き方』(第85回)

 外国の元首の方が日本に来られますと、天皇陛下による招宴が開かれます。例えば、アフリカにある国の元首の方が来られますと、その招宴の中で招かれた元首の方が陛下にお礼を申し上げるそうです。他国の将来の発展の為に日本の青年たちが大変有力な働きをしてくれていることは勿論のこと、それよりも派遣されて来ている日本の青年たちの日常の生活というものが、自分の国の青年たちに与えた影響は大変なものがあるということです。約束や時間を守ること。老人を大切にすること。身の回りを清潔にすること。こうした日本の青年たちの生活のあり方というものが、自分たちの国の青年たちに非常に大きな影響を与えたということなんです。
 わたくしはこれを聞いた時に、安岡先生の「万世の為に太平を開く」ということ、その先兵としての役割を果せたのではないかと感じてほっとしたのと、これまで先生からご指導いただいたことへのお礼が少しは出来たのではないかと喜んだ次第であります。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第76回)

 開墾士の中には、黒崎のように、〔国辱をそそぐ〕という目標を片時も忘れない。一途な人と、そうでない人とが次第に形成されていきました。
 この当時は菅の黒田清隆に期待するところがはなはだ大きかったのですが、西郷亡きあとは、菅に対する黒田の態度は一変しました。
 
   壮士騒然

 西郷党が政府問責の軍を鹿児島に挙げたのは明治十年二月十七日ですが、明治九年十月には神風連、秋月の乱、萩の乱があり、このころは天下まさに騒然、急進派の新聞雑誌の論調はいよいよ急進的になり、なかでも西郷派を支持するメディアは最も革命的な論説を掲げていました。
 遠隔の庄内でも、こうした情報を日々目にする開墾士たち、そのなかの特に急派ともいうべき壮士たちの胸には、熱いマグマが沸々と醸成されつつあったのです。
 十一月、菅は温海温泉に逗留しましたが、その一夜、開墾士の幹部を呼んで宴会を設けました。黒崎の日誌です。
 「歌舞堂にあふれ、切歯扼腕、来年のいまは、果たしてどこにいるやら、と悲憤の声をはりあげる」
と簡潔ですが、ただごとならぬ物々しさを感じます。菅は壮士、急派の人達のこうしたさまをどんな目で見ていたか。彼等を鼓舞激励していたようにも見えます。

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