味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

桃李言わざれども下自ずから蹊を成す。

2017-03-30 09:43:11 | ブログ
第3012号 29.03.30(木)
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桃李言わざれども下自ずから蹊(けい)を成す。『史記』

 桃や李は自己の存在を誇示しないが、その花や実にひかれて自然に人々が慕いより、下に道ができてしまう。
 漢の名将李広は匈奴との戦いで作戦失敗の責任を問われ自刃したが、つねづね部下に対する思いやりが深く、慕われており、だれもがその部下になりたがっていた。このことばは司馬遷がかれを讃えた一節の中にある。

 【コメント】大変参考になる訓戒だと思います。
 第二次大戦の時、枕崎出身の立石勝という方がおられました。この方は陸軍中尉だったと聞き及んでいます。戦地では決戦の時、大刀を振りかざし、俺の後からついてこいといって、敵の陣地めがけて突進していったと何回もお聞きしたものです。

 半世紀前、酒飲みの座で数回おあいしましたが、豪快そのものでした。仕事を真面目にし、人あたりの良いまさしく武人であったと回想しています。

 あの世でも豪快に酒を飲んでいることでしょう。もう一つ『史記』より。


 久しく尊名を受くるは不祥なり。

 (栄誉ある地位に長くいるのは危ない)

 越の重臣范蠡はよく王句践を補佐し、かれを天下の覇者におしあげた直後、王の慰留を振りきって辞職し、他国に行って開拓や商業に従事し安楽に一生を終えた。功なったのち王にうとまれ粛清されることを予見し、こう考えて事前に身を引いたのである。

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『臥牛菅実秀』(第544回)

 そのとき一琴は、
「後藤祐乗は、この道の聖ともいうべき人で、その作品は神気躍動、真に迫るものがある。その鏨(たがね)の跡から考えて、おそらく祐乗は思いきり鎚を振りあげて細工をしたものであろう。これはわしなどの遥かに及ぶところではない。しかし、わしは、この道に志したからには、この名工にならおうと思って、精神をこめ、思い切り鎚を振りあげて鏨を打つのだが、細工が進むにつれて、いつしか体はこごみ、気は細まり鎚は目先にきてしまうのは実に遺憾にたえないことだ。」
と深く嘆息するのであった。

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