味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

灑掃応対、入りては孝、出でては恭、

2017-07-01 09:26:42 | ブログ
第3105号 29.07.01(土)

小学の方は、灑掃応対、入りては孝、出でては恭、動くには悖ること或る罔く、行ひて餘力有らば、詩を誦(くちずさ)み書を読み、詠歌し舞踏して、思ふには逾ゆること有る罔し。理を窮め、身を修むるは、斯れ学の大、明命赫然として、内外有ること罔し。徳崇く業廣くして、乃ち其の初に復る。昔足らざるに非ず、今豈餘有らんや。『小学』

 この小学の教育方法は、まず掃除応対など子弟としての作法を教え、家では親に孝を尽くし、外では礼に従って行動して、子弟たる態度にそむかないようにさせ、これらの実行に努力して、なお余力があれば、詩を誦し書を読み、歌をうたい舞踏を行なわせて、性情の正しい発動を期する。これがいわゆる小学である。そして、この基盤に立って道理を窮め身を修めるが、それは大学の範疇にぞくする。窮理修身によって本来の性が赫然たる明光を発揮してきて、心の中と行動とは少しも矛盾がなくなる。ここに徳の高い業績の広い聖人が出現するのだが、それは心の作用がただ天賦の能力を十分に発揮しているだけである。

 【コメント】20年前、漢籍全巻を購入し何回となく拝読してきましたが、出来ればまだお読みでない方の為にもと思い、ブログでご紹介している次第でございます。
 
 漢籍は数多くありますが、出来れば可愛い御子様に子供のあるべき姿を訓戒することは大事であろうと思います。
 昨昨日、奄美空港で飛行機に乗るとして自分の腕力で一段一段昇っていた人がありましたが、その方は、若い時ラグビーの選手として競技をしている時、脊髄を傷め両足が使えなくなったとのことでした。

 思うに、我が子にいろいろな形で伸びて欲しいという気持ちはわかりますが、その競技の特徴も真剣に考え、道に勤しんで欲しいものです。

 私の場合、空手道を70年近く実践していますが、そんなにあわてずに、可能性を模索しボチボチやっています。
 しかし今日、何が一番大事かと言えば、漢籍を学び続けること、これがいいうに思われます。
 このブログで渡邊五郎三郎先生の『人としての生き方』をご紹介していますが、90歳過ぎて尚、ご健在であらせられます。この先生をして聖賢であると観察しています。

 先般ご他界されました元県教育長の伊牟田先生も素晴らしいご人格の方でございました。
 『南洲翁遺訓』を改竄しようととんでもない男が出てきたものですから、私を説き伏せて駒に使い、鹿児島市議会で教育長らに、人の道に外れることをしてはならないとして、命がけで訴えたのでした。
 その際、全国の南洲会の方々200人に不正防止を呼び掛けたのでした。今頃、あの世で安堵していることだろうと思います。
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「古典の教え 四」の言葉は、

 『詩経』は、<温温たる恭人は、惟れ徳の基なり>と教えています。「寛大であり、身をつつしんでいる人はすべての道徳の基本である」というのです。
 多くの人々と住む世界では、まじめであり、かつ、おだやかでありたいものです。でも、精神はしっかりしていなければならないと思います。

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『人ととしての生き方』(第59回)

 また、憲問篇には次のようにあります。

     君子は其の言の其の行いに過ぐるを恥ず。

 実行の伴わない発言を恥じ、慎み、発言以上の実行を心掛けるということです。
 更に顔淵篇には、
 
     司馬牛、仁を問う。 
     子曰わく、仁者は其の言や訒ぶ。
     曰わく、其の言や訒ぶ斯れ之を仁と謂うか。
     子曰わく、之を為すこと難し。之を言うに訒ぶ無きを得んや。

 司馬牛が孔子に「仁とはどういうものですか」と尋ねると、孔子は「仁者は言いたいことがあっても容易に言わない。あまり喋らないことだ」と答えます。
 司馬牛が重ねて尋ねます。「ではあまり喋らない人が仁者ですか」と。孔子が答えます。
「それを実行することは非常に難しい。これが言葉を少なく所以なのだ」と言うんですね。話すということは、そのまま実行するということを意味していたんです。「西郷南洲の一言は百金に價する」といわれておりました。この人が「うん」と言ったら必ず出来るという信頼があったんです。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第51回)

 西郷はこの詩を書きながら途中で筆をおくと、いずまいを正して、
 「西郷がもしこの詩とちがったことをしたら、言行に違反した男だと、見限っていただきたい」といったそうです。西郷の王事に玉砕しようとする非情の決意を察知して、菅はおそらく、背筋に悪寒の走るような緊張を覚えたことでしょう。
 こうして両雄は、第二維新をどうして成し遂げるか。西郷は政府に〔ガンと響きをいれる〕といって、実力行使を示唆していますが、この時点の菅の胸中には、政府の改革という手段が絶無ではなかったのではないか、とも考えられます。

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