味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

古の小学、人を教ふるに---親を愛し長を敬し

2017-06-28 09:56:18 | ブログ
第3102号 29.06.28(水)

古の小学、人を教ふるに、灑掃・応対・進退の節、親を愛し長を敬し師を隆び友に親しむの道を以てす。皆身を脩め家を齊へ国を治め天下を平らにするの本と為す所以にして、必ず其れをして講じて之を幼穉の時に習わしむ。其の習智と長じ、化心と成り、扞格して勝へざるの患無からんことを欲するなり。

 古(夏・殷・周三代)の小学では、人に子弟としての生活に必要な掃除、人との対応、行動の作法、肉親を愛し、長上を敬い、師をたっとび、友人に親しむ道を教えた。これらはみな一身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らかにする根本をつくるわけで、また必ずこれらの作法なり徳行なりを少年の時に講習させた。それはその習慣と知恵と教化と心情とか相伴って長成し、両方の間に矛盾なく行動の規範が確立されるようにと期待したからである。

 【コメント】この一節を読んだのが40年前のことでした。『南洲翁遺訓』同様、空手道教室にくる子供たちに暗記させていましたが、この処実践してなかったので、これからは真摯に取り組んで行くことと致します。

 こういう言葉を学んだ人と学んでいない人とでは、長い人生で大きな差がついてくると思います。長い人生で折角の幸せが頓挫することのなきよう精神面の練成を謀ることが大事でありましょう。

 『大学』は人を治める学問であり、『小学』は、己を修める学問でありますから、『小学』、『大学』と連続して学ぶことは大変善い事なのです。そして『孝経』も学んだ方がよいでしょう。

 荘内南洲会前理事長・小野寺先生は『孝経』が好きだと何回も承ったものです。小野寺先生のご人格には『孝経』の精神が培養されていたのだと拝見してきました。

 味園道場には荘内南洲会の先生方のお写真を掲げており、毎日朝晩慇懃にご挨拶していますので、すぐ目の前にいらっしゃるような気がしています。

 昨日は円心会範士・指宿の大坪伸一郎先生がおいでくださいました。78歳の味園高齢者が元気でやっているかと首実験に来てくれたのだと思っています。

 大坪先生とは半世紀に亘るおつきあいを致しています。穏やかにして、実直であり、英邁であり、人間の標本的逸材だと観察しています。

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『人としての生き方』(第56回)

 学んで自分のものになったならば、やはりそれは何でもないような平素の言行、或いは雰囲気となって体現されてくる。学びの成果というものは、実にこうあるべきだと思います。章楓山というのは、明代の碩学で、王陽明とほぼ同じ時代を生きた人物です。

   一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、
   十年の計は木を樹うるに如くは莫く、
   修身の計は人を樹うるに如くは莫し。


 一年先のことだけを考えるのであれば、穀物を植えればよい。十年先であれば木を植えればよい。だが、生涯、子子孫孫のことを考えるのであれば、人を育てることほど大切なものはないということです。これは『管子』権修篇に出てまいります。

 昔、中国の衛という国の君主が猟に出掛けた時、たくさんの松の苗木を植える一人の老人に出会う。衛の君主が尋ねます。「年は幾つかね」と。老人は「八十五になります」と答えた。これを聞いた君主は、「この苗木はいずれ立派な材木となるだろうが、その年では自分では使えまい」と言って一笑します。すると老人は「今のお言葉は一国を治める方のものとは思えません。この苗木は植えてから百年の後に役立つものとなるのです。私は老い先短い身、自分の生きているうちに役立てようなどと思ってはおりません。この苗木は子子孫孫の将来の為に植えているのです」と切言します。これには衛の君主も大いに恥じ入り、自らの非を認め、「今後はあなたのその言葉を教訓にします」と言って、老人に酒食を振る舞い勞をねぎらったといいます。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第48回) 

 菅が西郷に共感し、肝銘した素地には、藩侯致道館以来二百年の、聖人の政治を理想として実学し活学してきた、庄内郷学の教養があったことは否定することができないと思います。
 このとき菅は西郷に呼応して第二維新の先兵たらんと決意しても不思議ではありません。それは後で申します。
 この会見よりさき、政府は親平(近衛兵)を徴集することになり、明治四年二月十五日、西郷はそのため鹿児島に帰ります。そのとき、薩摩藩知政所で東京事情報国会が開かれました。西郷はそのとき、三条、岩倉の東京邸宅の豪壮ぶりを、
「わが知事公(藩主)も及ばない奢侈、華美、誰がみても月々の御手当では賄われるはずがない」
といい、
「特に同志大久保が、これらの悪習に馴染んで、往時の志士精神を忘却し尊大にかまえ、家令をおき、四、五十人の召使いまでやとっている」ことを、藩首脳が連なる前で、口をきわめて激しく非難しました。政府の顕官たちのこういう豪奢な生活が賄賂につながていることを、西郷は見とおしていたのです。

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