味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

一人の手を将ては天下の目を掩い得難し。

2016-10-08 10:55:08 | ブログ
第2839号 28.10.08(土)
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一人の手を将(もっ)ては天下の目を掩(おお)い得難し。『古文真宝』
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 ただ一人の手をもって天下中の人の目をおおいかくすことはできない。
 ひとたび世にあらわれた悪事は、どうごまかそうとしても、天下中の人を欺くことはできるものではない。530

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 【コメント】連日、東京都、豊洲市場問題のいかがわしさに国民は息を飲んで見守っています。そして富山市議会の政務活動費の不正受給問題、都議会議員の政務活動費の杜撰な使用問題等々、厳しく暴かれています。
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 当時のドン都知事は俺には関係ないと強気みたいです。人間には過ちはあるものです。悪かった時は土下座をして謝る勇気が欲しいものです。
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 今日の現象を見て都民は大変怒っている筈です。こういう現象が花盛りになったら、野党が伸びて国家崩壊につながると私は観ています。
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 何時の時代でも悪はなくならないものなのですが、今ほどデタラメな時代はなかったのではないでしょうか。

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『運命を拓く』より。
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   不 幸 福 撃 退 の 章 句
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 私はもう何事が自分の人生に発生しようと、決していたずらに心配もせず、また悲観もしないように心がけよう。それはいたずらに、心配したり悲観したりすると、すればするほどその心配や悲観する事柄が、やがていつかは事実となって具体化してくるがゆえである。
 神仏と名づけられている宇宙霊なるものの心の中には、真善美以外に、心配や悲観というような消極的な心持ちは、夢にもない。私はその宇宙霊の心と通じている心をもつ万物の霊長たる人間である。したがって私がこの自覚を明瞭にした以上は、下らぬことに心配したり、悲観したりする必要はさらにない。
 人はどこまでも人としての面目を発揮せぬと、人間の、第一つらよごしである。
 人間が人間らしくあるときにのみ、人間の恵まれる幸福を享け得る。
 だから私は、宇宙霊の心と宇宙霊の力に近寄るために、心配や悲観という価値なきことを断然しないことにする。そして真理に則した正しい人生に活きよう。

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『臥牛菅実秀』(第374回)
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 このころ鹿児島軍は政府軍の前衛拠点、熊本城に猛攻を加えていた。熊本鎮台司令官谷干城は徹底した籠城作戦をとって政府軍の来援を待つ方策に出た。このために熊本城は容易に落ちず、鹿児島軍はいよいよこの拠点に執着した。
 実秀はこの情勢を知ると、戊辰戦争で酒井了恒が神宮寺の要塞の攻略に執着したときと同じように、
「さては固着した。」
といった。そして、
「これから考えても、西郷先生はこの戦争の指揮はとっておられぬのだろう。」
といった。

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『農士道』(第649回)
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 かかる観点から私は、現に革新的工業観に立脚して、敢然として同志を率いつつ邁王しつつある某氏の誌せる次の一文を、近来になき感激と敬慕の情を以て讀めるものである。
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一通り書いて誤字脱字はないかチェックするのですが、プリントアウトしてみて、ミスに気付く次第です。文献の原稿にする場合は、再度書き直し、徹底したチェックをすることにしています。ご海容賜りたく存じます。
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